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上皇西巡南京歌二首 其一(李白)

上皇西巡南京歌二首 其一
じょうこう 南京なんけい西せいじゅんするのうた二首 其の一
はく
  • 七言絶句。難・歡・安(平声寒韻)。
  • ウィキソース「上皇西巡南京歌 (誰道君王行路難)」参照。
  • 詩題 … もとは十首連作の第四首。『唐詩品彙』では「四首 其一」に作る。『唐詩解』では「三首 其一」に作る。
  • 上皇 …帝位を譲って隠退された君主のこと。玄宗を指す。天宝十五載(756)六月、安禄山の乱のため、玄宗は長安から蜀の成都に移った。至徳元載(756)七月、霊武(今の寧夏回族自治区霊武市)で子の粛宗が自ら皇帝に即位したため、玄宗は事後承諾するしかなかった。『新唐書』玄宗本紀に「皇太子は皇帝の位に霊武に于いてく、以て聞く」(皇太子即皇帝位于靈武、以聞)とある。ウィキソース「新唐書/卷005」参照。
  • 南京 … 蜀の成都(今の四川省成都市)のこと。天宝十五載(756)六月、玄宗は安禄山の乱を避けて成都に避難していたが、至徳二載(757)、長安の戦乱が収まったので粛宗・玄宗ともに都に戻ったのち、成都を副都に昇格させ、南京と称した。ウィキペディア【成都市】参照。『新唐書』地理志に「至徳二載に南京と曰い、府と為す。上元元年に京を罷む」(至德二載曰南京、爲府。上元元年罷京)とある。ウィキソース「新唐書/卷042」参照。
  • 西巡 … 西方への巡狩(皇帝が諸国を巡回視察すること)。本来は蒙塵もうじん(天子が戦乱などで都から逃げ出すこと)というべきところを、玄宗を尊んで体裁よく表現している。『書経』舜典篇に「八月に西に巡守して、西岳に至り、初めの如くす」(八月西巡守、至于西岳、如初)とある。ウィキソース「尚書/舜典」参照。
  • 巡 … 『宋本』『繆本』『蕭本』『郭本』『許本』『万首唐人絶句』(両種とも)『唐詩品彙』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「廵」に作る。異体字。
  • この詩は、安禄山の乱のため、玄宗が蜀の成都に避難していたことを、西方へ巡回視察されたという形で詠んだもの。安旗主編『新版 李白全集編年注釋』(巴蜀書社、2000年)によると、至徳二載(757)、五十七歳の作。
  • 李白 … 701~762。盛唐の詩人。あざなは太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林かんりん供奉ぐぶ(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
誰道君王行路難
たれう 君王くんのう こうかたしと
  • 誰道 … 誰が言うであろうか。誰も言わない。反語。
  • 誰 … 『唐詩別裁集』では「莫」に作る。
  • 君王 … わが君。玄宗皇帝を指す。
  • 行路難 … 蜀へ行く道が困難であると。ここでは楽府の曲名「行路難」(『楽府詩集』巻七十・雑曲歌辞)及び「蜀道難」(『楽府詩集』巻四十・相和歌辞)に基づく。『楽府古題要解』巻下に「行路難、右、つぶさに世路の艱難及び離別悲傷の意を言う。蜀道難、右、つぶさに銅梁玉塁の険を言う」(行路難、右、備言世路艱難及離別悲傷之意。蜀道難、右、備言銅梁玉壘之險)とある。ウィキソース「樂府古題要解」参照。また李白の「蜀道難」に「噫吁嚱ああ、危ういかな高いかな、蜀道の難きは、青天に上るよりも難し」(噫吁嚱、危乎高哉、蜀道之難、難於上靑天)とある。ウィキソース「蜀道難 (李白)」参照。
六龍西幸萬人歡
りくりょう 西にしみゆきして万人ばんにんよろこ
  • 六竜 … 天子の車につける六頭立ての馬車。馬を竜に喩えていったもの。『易経』乾卦の彖伝たんでんに「時の六竜に乗りて、以て天を御す」(時乘六龍、以御天)とある。ウィキソース「周易/乾」参照。また張衡の「東京とうけいの賦」(『文選』巻三)に「天子乃ちぎょくり、時に六竜に乗る」(天子乃撫玉輅、時乘六龍)とある。玉輅は、玉で飾った天子の車。ウィキソース「東京賦」参照。
  • 西 … 蜀を指す。
  • 幸 … 天子が出かけることをいう敬語。ゆきぎょうこう。後漢の蔡邕さいようの『独断』巻上に「車駕の至る所、民臣其の徳沢とくたくを被りて以てぎょうこうす。故に幸と曰うなり」(車駕所至、民臣被其徳澤以僥倖。故曰幸也)とある。ウィキソース「獨斷」参照。
  • 万人歓 … 蜀のすべての人々が喜び勇んでお迎えした。
地轉錦江成渭水
錦江きんこうてんじてすい
  • 錦江 … 四川省成都市の中心部を流れる川。岷江の支流。ウィキペディア【錦江 (四川省)】参照。蜀錦の染めをこの川でそそぐと色鮮やかになったので濯錦江たくきんこうと呼ばれた。『太平寰宇記』益州、華陽県の条に「濯錦江たくきんこうは即ち蜀江なり。水ここに至り錦をそそげば、錦彩きんさいは他水よりせんじゅんなり。故に濯錦江と曰う」(濯錦江即蜀江。水至此濯錦、錦彩鮮潤於他水。故曰濯錦江)とある。ウィキソース「太平寰宇記 (四庫全書本)/卷072」参照。
  • 転 … 天地を回転させる。
  • 渭水 … 黄河最大の支流。渭河いがとも。甘粛省隴西県の鳥鼠山に源を発し、長安を過ぎ、最後に黄河に合流する。ウィキペディア【渭水】参照。『書経』禹貢篇に「みちびき、ちょう同穴どうけつより、ひがししてほうかいし、ひがししてけいかいし、ひがししてしつしょぎ、る」(導渭、自鳥鼠同穴、東會于灃、又東會于涇、又東過漆沮、入于河)とある。ウィキソース「尚書/禹貢」参照。また『山海経』西山経に「西にし二百二十里を、ちょう同穴どうけつやまう。うえびゃっはくぎょくおおし。すいここよりでて、とうりゅうしてそそぐ」(又西二百二十里、曰鳥鼠同穴之山。其上多白虎白玉。渭水出焉、而東流注于河)とある。ウィキソース「山海經/西山經」参照。
天廻玉壘作長安
てんぎょくるいめぐらしてちょうあん
  • 玉塁 … 成都の西北、灌県かんけん(今の都江堰市)の西北にある山。玉塁山。『元和郡県図志』剣南道、彭州、導江県の条に「玉壘山は、県の西北二十九里に在り」(玉壘山、在縣西北二十九里)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷31」参照。また『方輿勝覧』茂州の条に「玉塁山は、汶川ぶんせん県の東四里に在り。へきぎょくを出だす」(玉壘山、在汶川縣東四里。出璧玉)とある。ウィキソース「方輿勝覽 (四庫全書本)/卷55」参照。また西晋の左思「蜀都の賦」(『文選』巻四)に「霊関れいかんかくとしてもんし、ぎょくるいつつましめてやねす」(廓靈關而爲門、包玉壘而爲宇)とある。ウィキソース「蜀都賦 (左思)」参照。また東晋の郭璞「江の賦」(『文選』巻十二)に「峨嵋がび泉陽せんようけつり、ぎょくるい東別とうべつひょうる」(峨嵋爲泉陽之揭、玉壘作東別之標)とある。東別之標は、東に分かれる目印。ウィキソース「江賦」参照。
  • 廻 … 天地を回転させる。『全唐詩』『劉本』『王本』では「迴」に作る。『万首唐人絶句』(嘉靖刊本)では「回」に作る。いずれも同義。『万首唐人絶句』(万暦刊本)では「囘」に作る。「囘」は「回」の異体字。
  • 作長安 … 成都を長安の都にかえる。玉塁山を長安にかえるのではない。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
  • 『全唐詩』巻一百六十七(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
  • 『李太白文集』巻七(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
  • 『李太白文集』巻七(ぼくえつ重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
  • 『分類補註李太白詩』巻八(しょういん補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻八(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻八(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収、略称:許本)
  • 『李翰林集』巻十七(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
  • 『李太白全集』巻八(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
  • 『万首唐人絶句』七言・巻二(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十三(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十七(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
  • 『唐詩別裁集』巻二十(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十一(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、54頁)
  • 『唐詩解』巻二十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐宋詩醇』巻五(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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