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宮中題(文宗皇帝)

宮中題
宮中(きゅうちゅう)にて題(だい)す
文宗皇帝(ぶんそうこうてい)
  • ウィキソース「宮中題」参照。
  • この詩は、政治の実権のない唐の文宗(在位826~840)が鬱々とした日々を過ごし、憤懣(ふんまん)やる方ない胸中を詠んだもの。
  • 太和九年(835)、宦官の弊害を憂えていた文宗は、宰相の李(り)訓(くん)及び節度使の鄭(てい)注(ちゅう)と謀り、「甘露の変」と呼ばれる、宦官の勢力を一掃するクーデターを計画した。しかし、クーデターは失敗に終わり、李訓らは処刑され、以後、宦官の仇(きゅう)士(し)良(りょう)が政治を専横する結果となった。ウィキペディア【甘露の変】参照。『全唐詩』には、題下に「太和九年、李訓・鄭注敗する後(のち)、仇(きゅう)士(し)良(りょう)愈〻(いよいよ)専(せん)恣(し)す。上(しょう)、登臨遊幸するも、未だ嘗て楽しみを為さず。或いは瞠目(どうもく)して独語し、左右敢えて進問する莫し。因りて此の詩を賦す」(太和九年李訓、鄭注敗後、仇士良愈專恣、上登臨遊幸、未嘗爲樂、或瞠目獨語、左右莫敢進問、因賦此詩)と注する。
  • 題 … 詩を作って、壁などに書きつけること。
  • 文宗皇帝 … 809~840。在位826~840。唐朝の第十七代皇帝。姓は李、名は昂(こう)。穆宗(ぼくそう)の次男。初め江王に封(ほう)ぜられたが、兄の敬宗が宦官の劉(りゅう)克明(こくめい)によって毒殺されると、同じく宦官の王(おう)守(しゅ)澄(ちょう)らに擁立され、克明を殺して帝位に就いた。大和九年(835)、宰相李(り)訓(くん)らと「甘露の変」と呼ばれる宦官に対するクーデターを計画したが、失敗に終わった。その後は宦官の仇(きゅう)士(し)良(りょう)がかえって政治の実権を牛耳ることとなり、文宗は失意のまま、開成五年(840)、三十三歳の若さで崩じた。ウィキペディア【文宗 (唐)】参照。
輦路生春草
輦(れん)路(ろ) 春(しゅん)草(そう)を生(しょう)じ
  • 輦路 … 天子の車の通る道。輦道。輦は、天子の乗物。劉宋の顔延之の詩「車駕の京口に幸(みゆき)して蒜山(さんざん)に侍(じ)遊(ゆう)せしときの作」(『文選』巻二十二)に「峰に陟(のぼ)りて輦路に騰(のぼ)り、雲を尋ねて瑶甍(ようぼう)を抗(きわ)む」(陟峰騰輦路、尋雲抗瑤甍)とある。瑶甍は、玉で飾った建物。ウィキソース「車駕幸京口侍遊蒜山作」参照。また、後漢の班固「西都の賦」(『文選』巻一)に「輦路経営(けいえい)し、修(しゅう)除(じょ)には飛(ひ)閣(かく)あり」(輦路經營、脩除飛閣)とある。経営は、打ち続くこと。修除は、長い階(きざはし)。飛閣は、高楼。ウィキソース「西都賦」参照。
  • 生春草 … 春の草が生じている。劉宋の謝霊運「池上の楼に登る」詩(『文選』巻二十二)に「池(ち)塘(とう)には春草生じ、園柳には鳴禽(めいきん)変ず」(池塘生春草、園柳變鳴禽)とある。池塘は、池の堤。鳴禽は、よい声でさえずる鳥。ウィキソース「登池上樓」参照。
  • 春 … 底本及び『唐詩品彙』『唐詩別裁集』『古今詩刪』では「秋」に作る。『全唐詩』では「春」に作り、「一作秋」と注する。『万首唐人絶句』でも「春」に作る。承句との関連上、「春」の方がよいので改めた。
上林花滿枝
上(じょう)林(りん) 花(はな) 枝(えだ)に満(み)つ
  • 上林 … 漢代の御苑、上林苑のこと。ここでは唐の御苑にたとえた。『三輔黄図』巻四、苑囿、漢上林苑の条に「漢の上林苑は、即ち秦の旧苑なり。漢書に云う、武帝、建元三年上林苑を開き、東南のかた藍田宜春、鼎湖、御宿、昆吾に至り、南山を旁(かたわら)にして西し、長楊、五柞に至り、北のかた黄山を繞(めぐ)り、渭水に瀕して東す。周(しゅう)袤(ぼう)三百里、と。離宮七十所、皆な千乗万騎を容る。漢宮殿疏に云う、方(ほう)三百四十里、と。漢旧儀に云う、上林苑方三百里、苑中に百獣を養い、天子、秋冬に射猟して之を取る、と。帝初め上林苑を修むるに、群臣遠方、各〻名果異卉三千余種を献じて其の中に植え、亦た製して美名を為す有り、以て奇異なるを標す」(漢上林苑、即秦之舊苑也。漢書云、武帝建元三年開上林苑、東南至藍田宜春、鼎湖、御宿、昆吾、旁南山而西、至長楊、五柞、北繞黃山、瀕渭水而東。周袤三百里。離宮七十所、皆容千乘萬騎。漢宮殿疏云、方三百四十里。漢舊儀云、上林苑方三百里、苑中養百獸、天子秋冬射獵取之。帝初修上林苑、羣臣遠方、各獻名果異卉三千餘種植其中、亦有製爲美名、以標奇異)とある。周袤は、周囲。袤は、長さ。ウィキソース「三輔黃圖/卷之四」参照。また『後漢書』明帝紀、永平十五年に「冬、車騎上林苑に校(こう)猟(りょう)す」(冬、車騎校獵上林苑)とある。校猟は、鳥や獣が逃げ出さないように埒(らち)(囲い)を作って狩りをすること。ウィキソース「後漢書/卷2」参照。また同じく桓帝紀、延熹元年に「冬十月、広成に校猟して、遂に上林苑に幸す」(冬十月、校獵廣成、遂幸上林苑)とある。ウィキソース「後漢書/卷7」参照。ウィキペディア【上林苑】参照。
  • 花満枝 … 花が枝いっぱいに咲き乱れる。南朝梁の沈約「三月三日に、率爾として篇を成す」詩(『文選』巻三十)に「開花は已に樹を匝(めぐ)り、流(りゅう)嚶(おう)は復た枝に満つ」(開花已匝樹、流嚶復滿枝)とある。流嚶は、小鳥の鳴き声。ウィキソース「三月三日率爾成篇」参照。
  • 満枝 … 『全唐詩』では「発時」に作り、「一作満枝」と注する。『万首唐人絶句』では「発時」に作る。こちらは「花が開く時」の意。
憑高何限意
高(たか)きに憑(よ)る 何(か)限(げん)の意(い)
  • 憑高 … 高い所に登って見渡せば。憑は、寄りかかること。南朝梁の沈満願(しんまんがん)の楽府「登楼曲」(『玉台新詠』巻十・宋刻不収)に「高きに憑れば川陸(せんりく)近く、遠きを望めば阡陌(せんぱく)多し」(憑高川陸近、望遠阡陌多)とある。川陸は、河川と陸地。阡陌は、田んぼのあぜ道。転じて、田舎の田園風景。ウィキソース「登樓曲」参照。
  • 何限意 … 限りない思い。「何ぞ意に限りあらん」「何ぞ限らんの意」とも訓読できる。何限は、限りないこと。際限がないこと。意は、胸中の思い。感慨。南朝梁の劉令嫻(れいかん)「同心支子を摘(つ)んで謝嬢に贈り、因って此の詩を附す」詩(『玉台新詠』巻十)に「同心の処(ところ)何の限りかあらん、支子最も人に関す」(同心處何限、支子最關人)とある。同心は、二つの花が一つになって咲いたもの。支子は、木の名。くちなし。ウィキソース「摘同心支子贈謝孃因附此詩」参照。
無復侍臣知
復(ま)た侍(じ)臣(しん)の知(し)る無(な)し
  • 無復侍臣知 … その思いを知ってくれる近侍の者は一人もいない。
  • 無復 … 「また~なし」と読み、「もう~するものはいない」と訳す。
  • 侍臣 … 君主のそば近くに仕える家臣。近侍。三国魏の曹植の楽府「聖皇篇」(『楽府詩集』巻五十三)に「侍臣文(ぶん)を省(み)て奏(そう)し、陛下仁(じん)慈(じ)を体(たい)す」(侍臣省文奏、陛下體仁慈)とある。省文奏は、藩公の奉った文書を点検して奏上すること。仁慈は、上位者が下位者に与える慈しみ。ウィキソース「樂府詩集/053卷」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 枝・知(上平声支韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻四(排印本、中華書局、1960年)
  • 『唐詩解』巻二十四(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十三([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻二十二(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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