罷相作(李適之)
罷相作
相を罷めて作る
相を罷めて作る
- ウィキソース「罷相作」参照。
- この詩は、作者が天宝元年(742)に左相(門下省の長官)となったが、天宝五載(746)、右相(中書省の長官)の李林甫の謀略により左相を罷めることとなり、そのときに詠んだもの。唐末の孟棨『本事詩』では、作者が左相を罷免された後、日頃交際のあった友人たちが誰も訪ねて来なくなったので、毎日酒ばかり飲んでこの詩を作ったと、詩を詠んだ順序を逆に書いている。『本事詩』怨憤第四に「開元の末、宰相李適之、疏直坦夷にして、時誉甚だ美なり。李林甫之を悪み、排誣して罷免す。朝に客来り、罪無きを知ると雖も、謁問甚だ稀なり。適之意に憤り、日に醇酣を飲み、且つ詩を為りて曰く、……李林甫愈〻怒り、終に遂に免れず」(開元末、宰相李適之疏直坦夷、時譽甚美。李林甫惡之、排誣罷免。朝客來、雖知無罪、謁問甚稀。適之意憤、日飮醇酣、且爲詩曰、……李林甫愈怒、終遂不免)とある。疏直は、大まかで正直なこと。坦夷は、土地などが平らであること。転じて、性格に裏表がないこと。時誉は、当時の名声。ウィキソース「本事詩/4」参照。
- 相 … ここでは、左相のこと。左相とは、三省(中書省・門下省・尚書省)のうち、門下省の長官のことで、それまでは侍中と称していたが、その頃は左相に改称されていた。また、中書省の長官は中書令と称したが、その頃は右相と称した。どちらも宰相職(君主を補佐する最高位の官職)である。なお、尚書省の長官は、尚書令と称したが、唐初に太宗(李世民)が皇帝になる前にこの地位に就いていたため、空席のままとなり、次官の左僕射・右僕射の二名が実質的長官となった。詳しくは、ウィキペディア【三省六部】参照。
- 罷 … やめる。辞任する。
- 李適之 … 694~747。盛唐の詩人、政治家。唐の太宗の子、恒山王李承乾の孫にあたる皇族の子孫。天宝元年(742)、左相(宰相)となったが、政敵李林甫との政争に巻き込まれ、最後は自殺した。ウィキペディア【李適之】参照。
避賢初罷相
賢を避けて初めて相を罷め
- 避賢 … 賢人の進む道を避ける。高い地位にある者が、自分がいては賢人が登用される道をふさぐことになるので、それを避けて辞任すること。『史記』万石君伝に「願わくは丞相と侯との印を帰し、骸骨を乞いて帰り、賢者の路を避けん」(願歸丞相侯印、乞骸骨歸、避賢者路)とあるのに基づく。骸骨を乞うとは、君主に辞職を願い出ること。仕官中の体は君主に捧げたものであり、その残骸を返してほしいと願う意から。ウィキソース「史記/卷103」参照。なお、ここでの賢人は、濁酒の隠語でもあり、李林甫の腹黒い陰謀を避けるという意味をひそませている。後述の語釈【楽聖】参照。
- 初罷相 … 宰相を辞めたばかり。「初」は「~したばかり」の意。
樂聖且銜杯
聖を楽しんで且く杯を銜む
- 楽聖 … 聖人の道を楽しむ。ここでの聖人は清酒の隠語であり、清酒を楽しむことを指す。三国魏の太祖(曹操)が禁酒令を施行していた頃、尚書郎の徐邈が酒を飲んで酔っ払った。校事(監察官)の趙達が彼の職務について質問すると「聖人に当ってね」と答えた。趙達がそのことを太祖に報告した。太祖はそれを聞いて大いに怒ったが、度遼将軍の鮮于輔が「酒飲みはよく清酒を聖人、濁酒を賢人と呼びます。徐邈は日頃慎み深い性格ですが、その日はたまたま酔っ払って戯言を申しただけでしょう」と弁護し、徐邈は刑を免れたという。『三国志』魏書・徐邈伝に「時に禁酒を科するも、邈私かに飲んで沈酔するに至る。校事の趙達問うに曹事を以てす。邈曰く、聖人に中たる、と。達之を太祖に白す。太祖甚だ怒る。度遼将軍の鮮于輔進んで曰く、平日の酔客、酒の清き者を謂いて聖人と為し、濁れる者を賢人と為す。邈の性は修慎、偶〻酔いて言えるのみ、と。竟に坐して刑を免るるを得たり」(時科禁酒、而邈私飮至於沈醉。校事趙達問以曹事。邈曰、中聖人。達白之太祖。太祖甚怒。度遼將軍鮮于輔進曰、平日醉客謂酒清者爲聖人、濁者爲賢人。邈性脩愼、偶醉言耳。竟坐得免刑)とある。曹事は、役所の部局における事務。度遼は、漢の将軍の名号。遼水を渡る意。修慎は、慎み深いこと。ウィキソース「三國志/卷27」参照。また「聖を楽しむ」とは、もともと「聖人であることを楽しむ」という意味である。『法言』問明篇に「天は独り仲尼を労せしむるのみに非ず、亦た自ら労するなり。天は病まんや。天は天を楽しみ、聖は聖を楽しむ」(天非獨勞仲尼、亦自勞也。天病乎哉。天樂天、聖樂聖)とある。仲尼は、孔子の字。ウィキソース「法言/06」参照。
- 且 … 取り敢えず。ひとまず。
- 銜杯 … 杯を口にあてる。一杯やる。銜は、口にくわえる。西晋の劉伶「酒徳の頌」(『文選』巻四十七)に「先生、是に於いて方に甖を捧げ槽を承け、杯を銜み醪を漱ぐ」(先生於是方捧甖承槽、銜杯漱醪)とある。ウィキソース「酒德頌」参照。また、前漢の司馬遷「任少卿に報ずるの書」(『文選』巻四十一)に「僕と李陵とは、倶に門下に居る。素より能く相善きに非ざるなり。趣舎路を異にし、未だ嘗て杯酒を銜み、殷勤の余懽を接えず」(僕與李陵、倶居門下。素非能相善也。趣舍異路、未嘗銜杯酒、接殷勤之餘懽)とある。趣舎は、行くことと留まること。人の行為の一切をいう。餘懽は、大きな喜び。ウィキソース「報任少卿書」参照。
爲問門前客
為に問う 門前の客
- 為問 … さて、ちょっと尋ねるが。
- 為 … 『全唐詩』には「一作借」と注する。
- 門前客 … 訪問客。北周の徐謙の楽府「短歌行二首」(『楽府詩集』巻三十)の第一首に「門前の客を願わず、看る時に故人に逢わん」(不願門前客、看時逢故人)とある。ウィキソース「樂府詩集/030卷」参照。
今朝幾箇來
今朝 幾箇か来る
- 今朝幾箇来 … (門前の客は)今朝は何人来たかね。ここでは、出世すると大勢の人が訪れるが、落ちぶれると誰も来なくなるという、前漢の武帝の時の廷尉(刑罰を掌った官)だった翟公の故事を踏まえる。『史記』汲鄭列伝の論賛に「太史公曰く、夫れ汲・鄭の賢を以てして、勢い有れば則ち賓客十倍し、勢い無ければ則ち否らず。況んや衆人をや。下邽の翟公言う有り。始め翟公、廷尉と為るや、賓客門に闐つ。廃せらるるに及べば、門外雀羅を設く可し。翟公復た廷尉と為るや、賓客往かんと欲す。翟公乃ち其の門に大署して曰く、一死一生、乃ち交情を知る。一貧一富、乃ち交態を知る。一貴一賤、交情乃ち見る、と。汲・鄭にも亦た云う。悲しいかな」(太史公曰、夫以汲鄭之賢、有勢則賓客十倍、無勢則否。況衆人乎。下邽翟公有言。始翟公爲廷尉、賓客闐門。及廢、門外可設雀羅。翟公復爲廷尉、賓客欲往。翟公乃大署其門曰、一死一生、乃知交情。一貧一富、乃知交態。一貴一賤、交情乃見。汲鄭亦云。悲夫)とある。汲鄭は、前漢の武帝に仕えた名臣、汲黯と鄭当時のこと。雀羅は、雀を捕らえる網。訪問する人がなく、閑散としているさまをたとえて「門前雀羅を張る」という。交情は、付き合いを通じて得られる親しみの感情。本当の友情。交態は、世の人情。友情の深さの程度。ウィキソース「史記/卷120」参照。
- 今朝 … 今朝。『詩経』小雅・白駒に「皎皎たる白駒、我が場の苗を食らう。之れを縶ぎ之れを維ぎ、以て今朝を永うせん。所謂伊の人、焉に於いて逍遥す」(皎皎白駒、食我場苗。縶之維之、以永今朝。所謂伊人、於焉逍遙)とある。白駒は、白い馬。皎皎は、真っ白い様子。場は、場圃。畑の庭。ウィキソース「詩經/白駒」参照。
- 幾箇 … 何人。俗語。
詩型・韻字
- 五言絶句。
- 杯・來(上平声灰韻)。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻一百九(排印本、中華書局、1960年)
- 『唐詩解』巻二十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐詩品彙』巻四十([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
- 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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