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子張第十九 2 子張曰執德不弘章

473(19-02)
子張曰、執德不弘、信道不篤、焉能爲有、焉能爲亡。
ちょういわく、とくることひろからず、みちしんずることあつからずんば、いずくんぞりとし、いずくんぞしとさん。
現代語訳
  • 子張 ――「修養がせまく、信念も弱いのでは、道徳がどうだとも、こうだともいえまい。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子張が言うよう、「徳を行うならば、ひろくあわせ行わねばならぬ。道を信ずるならばその信念が強く実践じっせんこころざしかたくなくてはならぬ。もし一善いちぜんを行って自ら得たりとするごときせまくかたまった気持であったり、たちまち信じたちまち疑うような薄い信仰であっては、道徳がありともいえず、なしともつかず、あぶはち取らずになってしまうぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子張がいった。――
    「何か一つの徳に固まって、ひろく衆徳を修めることができず、正道を信じても、それが腹の底からのものでなければ、そんな人は居ても大してありがたくないし、いなくても大して惜しくはない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子張 … 前503~?。孔子の弟子。姓は顓孫せんそん、名は師、あざなは子張。陳の人。孔子より四十八歳年少。ウィキペディア【子張】参照。
  • 徳 … 人格・教養。
  • 執 … 身につける。
  • 不弘 … 幅がない。視野が狭い。
  • 道 … 自分の生き方。
  • 不篤 … 強い信念がないこと。
  • 焉能為有、焉能為亡 … 「あってもなくても同じことだ」「いてもいなくても同じことだ」の意。「亡」は「無」に同じ。
  • 焉 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読む。「どうして~であろうか、いや~でない」と訳す。反語の形。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人の行いの備わらざる者を言う」(此章言人行之不備者)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子張 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顓孫せんそんは陳の人。あざなは子張。孔子よりわかきことじゅうはちさい」(顓孫師陳人。字子張。少孔子四十八歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顓孫師は陳人ちんひと、字は子張。孔子より少きこと四十八歳。人とり容貌資質有り。寬沖にして博く接し、従容として自ら務むるも、居りて仁義の行いを立つるを務めず。孔子の門人、之を友とするも敬せず」(顓孫師陳人、字子張。少孔子四十八歳。為人有容貌資質。寬沖博接、從容自務、居不務立於仁義之行。孔子門人、友之而弗敬)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 執徳不弘、信道不篤、焉能為有、焉能為亡 … 『集解』に引く孔安国の注に「軽重する所無きを言うなり」(言無所輕重也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「弘は、大なり。篤は、厚なり。亡は、無なり。人、徳を執れば能く弘大に至る。道を信ずれば必ず篤厚ならしめん。此の人、世に於いて、乃ち重かる可しと為す。若し徳を執ると雖も、而れども弘からず、道を信ずと雖も、而れども厚からず。此の人、世に於いて、重かる可きに足らず。有るが如く無きが如し。故に云う、焉んぞ能く有りと為し、焉んぞ能く亡しと為さんや、と。江熙云う、徳有れども弘大にする能わず、道を信ずれども厚至に務めず。其の道徳を懐うこと有りと雖も、蔑然べつぜんとして損益を為す能わざるなり、と」(弘、大也。篤、厚也。亡、無也。人執德能至弘大。信道必使篤厚。此人於世、乃爲可重。若雖執德、而不弘、雖信道、而不厚。此人於世、不足可重。如有如無。故云、焉能爲有、焉能爲亡也。江熙云、有德不能弘大、信道不務厚至。雖有其懷道德、蔑然不能爲損益也)とある。蔑然は、暗いさま。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「弘は、大なり。篤は、厚なり。亡は、無なり。言うこころは人其の徳を執り守ること、弘大なること能わず、善道を信ずと雖も、篤厚なること能わず。人の此のごときは、世に存すと雖も、何ぞ能く有りと為して重んぜんや。世を没すと雖も、何ぞ能く無しと為して軽んぜんや。世に於いて軽重する所無きを言うなり」(弘、大也。篤、厚也。亡、無也。言人執守其德、不能弘大、雖信善道、不能篤厚。人之若此、雖存於世、何能爲有而重。雖沒於世、何能爲無而輕。言於世無所輕重也)とある。また『集注』に「亡は、読んで無とす。下同じ。得る所有りて之を守ることはなはだ狭ければ、則ち徳孤なり。聞く所有りて之を信ずること篤からざれば、則ち道すたる。いずくんぞ能く有亡を為なんとは、猶お軽重を為すに足らずと言うがごとし」(亡、讀作無。下同。有所得而守之太狹、則德孤。有所聞而信之不篤、則道廢。焉能爲有亡、猶言不足爲輕重)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「徳は執るに在り。然れども弘からざれば則ち徒らに狷介けんかいの士と為る。道は信ずるに在り。然れども篤からざれば則ち必ず塗説の流と為る。故に徳を執りて必ず弘く、道を信じて必ず篤ければ、則ち以て君子と為る可し。然らざれば則ち其の始めは得ること有るが若しと雖も、然れども道徳はついに己のゆうと為らず。亦た必ずからんのみ」(德在於執。然不弘則徒爲狷介之士。道在信。然不篤則必爲塗説之流。故執德而必弘、信道而必篤、則可以爲君子矣。不然則其始雖若有得、然道德終不爲己有。亦必兦而已矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「徳を執ることこうならず。徳とは性の徳なり。弘とは養いて之を大にするを謂うなり。人各〻徳を異にし、性の近き所、執りて失わざることを貴ぶ。故にると曰う。又た修めて之をたかくすることを貴ぶ。故に弘と曰う。道を信ずるの篤きは、徳の弘なる所以なり。然れども道はかれに在りて徳は我に在り。故にきて之を言う」(執德不弘。德者性之德也。弘者謂養而大之也。人各異德。性所近焉。貴乎執而不失。故曰據。又貴修而崇之。故曰弘。信道之篤。德之所以弘也。然道在彼而德在我。故析言之)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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