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微子第十八 2 柳下惠爲士師章

462(18-02)
柳下惠爲士師、三黜。人曰、子未可以去乎。曰、直道而事人、焉往而不三黜。枉道而事人、何必去父母之邦。
りゅうけい士師ししりて、たびしりぞけらる。ひといわく、いまもっからざるか。いわく、みちなおくしてひとつかうれば、いずくにくとしてたびしりぞけられざらん。みちげてひとつかうれば、なんかならずしも父母ふぼくにらん。
現代語訳
  • 柳下恵が司法官になり、なんどもクビになった。人が ――「あなたももうこの国に見きりをつけては…。」といえば、――「道理を守って勤務すれば、どこにいったってなんべんもクビになりますよ。道理をまげて勤務するくらいなら、なにも生まれ故郷をすてなくたって…。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • りゅうけいが裁判官になって、三度めんしょくされた。そこである人が、「こんなにしばしば退しりぞけられるのだから、もうたいていにしてこの国を去り、他国へ行って身を立てたがよさそうなものではないですか。」と言った。すると柳下恵が言うよう、「私がやめられるのは、正道を守って殿様やたい迎合げいごうしたご奉公をしないからです。この調子では今の世の中にどこの国へ行ったって三度や四度免職されないでしょうか。もし正道をまげてご奉公するくらいならば、何を好んで父母の国たるこの国を立ちのきましょうや。ここでそういうご奉公をします。ともかくも私としては正しきを行いさえすればよいので、免職されるか否かは私の知ったことでありません。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 柳下恵が法官となって三たびその職を免ぜられた。ある人が彼にいった。――
    「どうしてこんな国にぐずぐずしておいでです。さっさとお去りになったらいいでしょうに」
    柳下恵がこたえた。――
    「どこの国に行ったところで、正道をふんでご奉公をしようとすれば、三度ぐらいの免職は覚悟しなければなりますまい。免職がおそろしさに正道をまげてご奉公するぐらいなら、何も父母の国をすてて、わざわざ他国に行く必要もなかろうではありませんか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 柳下恵 … 前720~前621。魯の賢人。姓は展、名は獲。あざなきん。展季とも呼ばれた。柳下に住んだという。恵はおくりな。ウィキペディア【柳下惠】(中文)参照。
  • 士師 … 司法官。
  • 黜 … しりぞけられる。罷免される。
  • 子未可以去乎 … あなたはまだこの国を出て行く気にならないのですか。
  • 直道 … 主義を曲げない。
  • 焉往 … どこの国へ行っても。
  • 枉道 … 主義を曲げる。
  • 何必 … 「何ぞ必ずしも~せん」と読み、「どうして~する必要があろうか、いやない」と訳す。反語形。
補説
  • 『注疏』に「此の一章は柳下恵の行いを論ずるなり」(此一章論柳下惠之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 柳下恵為士師 … 『集解』に引く孔安国の注に「士師は、典獄の官なり」(士師、典獄之官)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「柳下恵は、展禽なり。士師は、獄官なり。恵時に獄官と為るなり」(柳下惠、展禽也。士師、獄官也。惠時爲獄官也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「士師は、典獄の官なり」(士師、典獄之官也)とある。また『集注』に「士師は、獄官なり」(士師、獄官)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 三黜 … 『義疏』に「ちゅつは、退くなり。恵は獄官と為りて、罪無くして三たび過ちてちゅっ退たいせらるるなり」(黜、退也。惠爲獄官、無罪而三過被黜退也)とある。また『注疏』に「時に柳下恵、魯の典獄の官と為り、其の直道に任せたれば、群邪直を醜む、故に三たび黜退せらる」(時柳下惠爲魯典獄之官、任其直道、羣邪醜直、故三被黜退)とある。また『集注』に「黜は、退くなり」(黜、退也)とある。
  • 子未可以去乎 … 『義疏』に「人は、或る人なり。去は、更に国を出でて他邦に往くを謂うなり。或る人恵罪無くして三たび退逐せらるるを見る。故に之に問いて云う、子何事を為して未だ以て此を去る可からざるか、と。其れをして去らしめんと欲するなり」(人、或人也。去、謂更出國往他邦也。或人見惠無罪而三被退逐。故問之云、子爲何事而未可以去此乎。欲令其去也)とある。また『注疏』に「或る人柳下恵に謂いて曰く、吾子ごし数〻しばしば黜辱せらるるに、未だ以て魯を去り離る可からざるか、と」(或人謂柳下惠曰、吾子數被黜辱、未可以去離魯乎)とある。
  • 直道而事人、焉往而不三黜 … 『集解』に引く孔安国の注に「苟くも道を直くして以て人に事うれば、至る所の国、倶に当に復た三たびしりぞけらるべし」(苟直道以事人、所至之國、倶當復三黜)とある。また『義疏』に「柳或る人に答えて、己去らざる所以の意を云うなり。言うこころは時に人世皆邪曲にして、我独り道を直くするを用てし、直道にして曲に事う。故に罪無くして三たび黜けらるるのみ。若し直を用て不正に事うれば、唯だ我が国のみ黜けらるるに非ず。仮令たといかしこに至るも、彼の国復た曲なれば、則ち亦た当に必ず復た黜けらるべし。故に云う、いずくに往くとして三たび黜けられざらん、と。禽は是れ三たび黜けらる。故に仮去せざるなり。故に李充曰く、世の喪乱を挙げて正直を容れず。国を以て国を観れば、いずくに往きて黜けられざらん、と」(柳答或人、云己所以不去之意也。言時人世皆邪曲、而我獨用直道、直道事曲。故無罪而三黜耳。若用直事不正、非唯我國見黜。假令至彼、彼國復曲、則亦當必復見黜。故云、焉往而不三黜也。禽是三黜。故不假去也。故李充曰、舉世喪亂不容正直。以國觀國、何往不黜也)とある。
  • 枉道而事人、何必去父母之邦 … 『義疏』に「枉は、曲なり。又た或る人に対うるなり。父母の邦は、今の旧居、そうの国を謂うなり。言うこころは我若し能く直きを捨てて曲を為さば、曲は則ち是れ地皆合す。既に往くも必ず皆合す。亦た何ぞ必ずしも我が旧邦を遠離して更に他にくや。故に曲直並びに須らく去るべからざるなり。孫綽云う、言うこころは道を枉げざるを以てして留まるを求むるなり。若し道にして枉ぐ可くんば、九生すと雖も、以て一死に易うるに足らず。柳下恵の此の心無きこと明らかなり。故に仕うるごとに必ず直くす。直ければ必ず用いられず。三たび黜けらる所以なり、と」(枉、曲也。又對或人也。父母邦、謂今舊居桑梓之國也。言我若能捨直爲曲、曲則是地皆合。既往必皆合。亦何必遠離我之舊邦而更他適耶。故曲直竝不須去也。孫綽云、言以不枉道而求留也。若道而可枉、雖九生、不足以易一死。柳下惠之無此心明矣。故毎仕必直。直必不用。所以三黜也)とある。また『注疏』に「或る人に去らざるの意を答うるなり。焉は、何なり。枉は、曲なり。時世は皆邪なれば、己直道を用いて以て人に事うれば、則ちいずくに往くとして三たび黜けられざらんや。言うこころは苟くも道を直くして以て人に事うれば 、至る所の国にて倶に当に復た三たび黜けらるべし。若し其の直道をてて、曲げて以て人に事うれば、則ち魯に在りても亦た黜けられざらん。何ぞ必ずしも父母の居る所の国を去らんや」(答或人不去之意也。焉、何也。枉、曲也。時世皆邪、己用直道以事於人、則何往而不三黜乎。言苟直道以事人、所至之國倶當復三黜。若舍其直道、而曲以事人、則在魯亦不見黜。何必去父母所居之國也)とある。また『集注』に「柳下恵は三たび黜けらるるも去らずして、其の辞気雍容たること此くの如ければ、和と謂う可し。然れども其の道をぐること能わざるの意は、則ち確乎として其れ抜く可からざる者有り。是れ則ち所謂必ず其の道を以てして自ら失わざる者なり」(柳下惠三黜不去、而其辭氣雍容如此、可謂和矣。然其不能枉道之意、則有確乎其不可拔者。是則所謂必以其道而不自失焉者也)とある。
  • 『集注』に引く胡寅の注に「此に必ず孔子之を断ずるの言有れども、之をうしなえるならん」(此必有孔子斷之之言、而亡之矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ蓋し夫子柳下恵の仁を称するなり。夫れ道を直くせば則ち当に去るべし。去らざるは則ち当に道をぐべし。柳下恵三たび黜けられ、去らずして、終に其の正を失わず。又た父母の国に恋恋たるの意有り。仁者に非ざれば能わざるなり」(此蓋夫子稱柳下惠之仁也。夫直道則當去。不去則當枉道。柳下惠三黜、不去、而終不失其正。又有戀戀於父母之國之意。非仁者不能也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「柳下恵、孔子未だ嘗て仁を以て之を称せず。其の論語に在りては、逸民を以て称せらる。曰く、言は倫にあたり、行いはりょに中る、と。此れ知者の事なり。孟子は不恭を以て之をもくす。亦た知者の事なり。仁斎其の言を味わい、以為おもえらく仁人に非ずんば言うこと能わずと。是れ但だ其の気象優游迫らざるを以てのみ。仁を知らずしていて之を知ると為す者と謂う可きなり。且つ古え所謂知者は、其の知は必ず仁に於いてす。ここを以て仁にたり」(柳下惠、孔子未嘗以仁稱之。其在論語、以逸民見稱。曰言中倫、行中慮。此知者事也。孟子以不恭目之。亦知者事也。仁齋味其言、以爲非仁人不能言矣。是但以其氣象優游不迫而已。可謂不知仁而強爲知之者也。且古所謂知者、其知必於仁。是以肖於仁)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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