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陽貨第十七 18 子曰惡紫之奪朱也章

452(17-18)
子曰、惡紫之奪朱也。惡鄭聲之亂雅樂也。惡利口之覆邦家者。
いわく、むらさきしゅうばうをにくむ。鄭声ていせいがくみだるをにくむ。こうほうくつがえものにくむ。
現代語訳
  • 先生 ――「紫が朱をおさえているのはいやらしいな。鄭(テイ)の国の歌が正しい音楽を乱すのもいやらしいな。口達者が国をほろぼすのはいやなことだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「かんしょくたる紫がそのなまめかしさの故に正色の赤を圧倒あっとうすることがにくむべきと同様、鄭国ていこく俗楽ぞくがくが耳に入りやすきが故に先王せんのうの正楽を混乱し、べん佞人ねいじんが君にへつらい、善人をおとしいれて国家をあやうくするは、にくむべき極みである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「私は紫色が朱色を圧して流行しているのを憎む。鄭声が雅楽を乱しているのを憎む。そして、口上手な人が国家を危くしているのを最も憎む」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 紫・朱 … 赤などの原色が正色。紫などの混合色は間色。正色を間色より尊んだ。
  • 奪 … 地位を奪う。取って代わる。圧倒する。
  • 鄭声 … 鄭の国の卑俗な音楽。
  • 雅楽 … 宮中の上品で正統的な音楽。
  • 利口 … 口達者な者。
  • 邦家 … 国家。
  • 覆 … 転覆させること。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子邪の正を奪うを悪むを記するなり」(此章記孔子惡邪奪正也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 悪紫之奪朱也 … 『集解』に引く孔安国の注に「朱は、正色なり。紫は、間色の好き者なり。其の邪好んで正色を奪うを悪む」(朱、正色。紫、間色之好者。惡其邪好而奪正色)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「紫は、是れ間色なり。朱は、是れ正色なり。正色は宜しく行うべく、間色は宜しく除くべし。間色の物を用いて、以て正色の用を妨げ奪うを得ざるなり。言うこころは此の者、時に多く邪人を以て正人を奪うを為す。故に孔子託して云う、之を悪む者なり、と」(紫、是閒色。朱、是正色。正色宜行、閒色宜除。不得用閒色之物、以妨奪正色之用也。言此者、爲時多以邪人奪正人。故孔子託云、惡之者也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「朱は、正色、紫は、間色の好き者なり。其の邪好にして正色を奪うを悪むなり」(朱、正色、紫、間色之好者。惡其邪好而奪正色也)とある。また『集注』に「朱は、正色。紫は、間色」(朱、正色。紫、閒色)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 悪鄭声之乱雅楽也 … 『集解』に引く包咸の注に「鄭声は、淫声の哀しき者なり。其の雅楽を奪うを悪むなり」(鄭聲、淫聲之哀者。惡其奪雅樂也)とある。また『義疏』に「鄭声とは、鄭国の音なり。其の音は淫なり。雅楽とは、其の声は正なり。時人多く淫声、以て雅楽を廃す。故に孔子之を悪む者なり」(鄭聲者、鄭國之音也。其音淫也。雅樂者、其聲正也。時人多淫聲以廢雅樂。故孔子惡之者也)とある。また『注疏』に「鄭声は、淫声の哀しき者、其の淫声の正楽を乱るを悪むなり」(鄭聲、淫聲之哀者、惡其淫聲亂正樂也)とある。また『集注』に「雅は、正なり」(雅、正也)とある。
  • 楽也 … 『義疏』に「也」の字なし。
  • 悪利口之覆邦家者 … 『集解』に引く孔安国の注に「利口の人、言多くして実少し。苟くも能くくんえつせば、其の国家を傾覆けいふくするなり」(利口之人、多言少實。苟能悦媚時君、傾覆其國家也)とある。時君は、当時の君主。悦媚は、よろこばせ媚びる。傾覆は、転覆すること。国が滅亡すること。また『義疏』に「利口は、弁佞の口なり。邦は、諸侯なり。家は、卿大夫なり。君子は辞達するのみ。弁佞実無くして国家を傾覆するを用いず。故に孔子の悪む所と為るなり」(利口、辯佞之口也。邦、諸侯也。家、卿大夫也。君子辭達而已。不用辯佞無實而傾覆國家。故爲孔子所惡也)とある。また『注疏』に「利口の人、言多くして実少なし。苟くも能く時君を悦媚せば、国家を傾覆するなり」(利口之人、多言少實。苟能悅媚時君、傾覆國家也)とある。また『集注』に「利口は、捷給しょうきゅうなり。覆は、傾敗けいはいなり」(利口、捷給。覆、傾敗也)とある。捷給は、口がうまく、応対がすばやいこと。傾敗は、顚覆すること。
  • 者 … 『義疏』では「也」に作る。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「天下の理、正しくして勝つ者は常に少なく、正しからずして勝つ者は常に多し。聖人の之を悪む所以なり。利口の人は、を以て非と為し、非を以てと為し、賢を以て不肖と為し、不肖を以て賢と為す。人君いやしくも悦びて之を信ずれば、則ち国家のくつがえるや難からず」(天下之理、正而勝者常少、不正而勝者常多。聖人所以惡之也。利口之人、以是爲非、以非爲是、以賢爲不肖、以不肖爲賢。人君苟悦而信之、則國家之覆也不難矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「凡そ天下の事、其の是非善悪の甚だいちじるしき者は、判然として見易く、以て人を惑わすに足らず。惟だ夫のに似て実はに、善に似て実は悪なる者は、人心疑惑して以て真を乱すに足る。其の害げて言う可からざる者有り。此れ孔子の郷原を悪む所以なり」(凡天下之事、其是非善惡之甚著者、判然易見、不足以惑人。惟夫似是而實非、似善而實惡者、人心疑惑足以亂眞。其害有不可勝言者矣。此孔子之所以惡郷原也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「紫の朱を奪うを悪む、此の一句は譬喩なり。鄭声の雅楽を乱るを悪むは、即ち顔子に鄭声を放つと告ぐるなり。利口の邦家を覆す者を悪むは、即ち顔子に佞人ねいじんを遠ざくるを告ぐるなり。聖人の道は、礼楽のみ。故に此の二者を悪む。学者多く利口の邦家を覆すというを以て是非を変乱すと為す。是れ誠に然り。然れども所謂是非なる者は、いやしくも礼を以て拠と為さずんば、た何のていする所ぞ。故に後儒益〻ますます是非を弁じて、是非益〻ますます定まらず。学者これを察せよ。鄭声の雅楽を乱るも、亦た其の人の耳をたのしますべき者、雅楽に過ぐ。故に聖人之を悪み之を放つ」(惡紫之奪朱也、此一句譬喩。惡鄭聲之亂雅樂也、即告顏子放鄭聲也。惡利口之覆邦家者、即告顏子遠佞人也。聖人之道、禮樂而已矣。故惡此二者焉。學者多以利口之覆邦家、爲變亂是非。是誠然。然所謂是非者、苟不以禮爲據、將何所底止。故後儒益辨是非、而是非益不定矣。學者察諸。鄭聲之亂雅樂、亦其可娯人耳者、過於雅樂。故聖人惡之放之)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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