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季氏第十六 11 孔子曰見善如不及章

431(16-11)
孔子曰、見善如不及、見不善如探湯。吾見其人矣。吾聞其語矣。隱居以求其志、行義以達其道。吾聞其語矣。未見其人也。
こういわく、ぜんてはおよばざるがごとくし、ぜんてはさぐるがごとくす。われひとる。われく。隠居いんきょしてもっこころざしもとめ、おこないてもっみちたっす。われく。いまひとざるなり。
現代語訳
  • 孔先生 ――「よいことは、追っかけるようにし、よくないことには、手をやくまいとする。わしもそういう人を見たし、そういうはなしも聞いた。職をもとめないでいて理想をもとめ、公正なことをして真理を実現する。そういうことばは聞いたが、そういう人にはまだ会わないわ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子の申すよう、「善事を見ては、あだかも逃げる者を追いかけて追いつき得ず見失いはせぬかをおそれるような気持になり、不善を見ては、あだかも熱湯の中に手を突っ込みびっくりして急いで手を引っ込ますような気持になる、そういう言葉を聞いたこともありますし、現にそういう人物を見ております。道が行われぬ時にはかくれながらしかも世とたずしてその志を他日に行わんことを期しつつ徳を修め、国に道あれば表面に立ち正義を行って経国けいこく済民さいみんの志をじょうじゅする、そういう言葉を聞いてはいますが、そういう大人物はまだ見たことがありません。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「善を見ては、取りにがすのを恐れるようにそれを追求し、悪を見ては、熱湯に手を入れるのを恐れるようにそれを避ける。そういう言葉を私はきいたことがあるし、また現にそういう人物を見たこともある。しかし、世に用いられないでも初一念を貫き、正義の実現に精進して、道の徹底を期する、というようなことは、言葉ではきいたことがあるが、まだ実際にそういう人を見たことがない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 如不及 … 追っても追っても追いつけそうもないという気持ちで、一心に追いつこうと努力すること。
  • 如探湯 … 熱湯に手を入れて、さっと手を引っ込めるように、急いで遠ざかること。
  • 求其志 … 経世済民(よい政治を行って世の中をおさめ、民の苦しみを救う)の志を追求する。
  • 行義 … (仕官できた時は)正義を行う。
  • 達其道 … 自分の理想とする政策を実現させる。「達」は、通達させること。
補説
  • 『注疏』に「此の章は善人の得難きを言うなり」(此章言善人難得也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 見善如不及 … 『義疏』に「善有る者を見ては、当に慕いて之に斉しうすべし。恒に己の相及ぶ能わざるを恐るるなり。袁氏曰く、恒に之を失わんことを恐る。故に馳せて之に及ばんとするなり、と」(見有善者、當慕而齊之。恒恐己不能相及也。袁氏曰、恒恐失之。故馳而及之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「善を為すに常に汲汲たるを言うなり」(言爲善常汲汲也)とある。
  • 見不善如探湯 … 『集解』に引く孔安国の注に「湯を探るは、悪を去ることすみやかなるを喩うるなり」(探湯、喩去惡疾也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「若し彼の不善なる者を見れば、則ち己急に宜しく畏れ避くべくして、相染め入らず。譬えば人己をして手を以て沸湯を探ぐるを為さしむるが如きなり」(若見彼不善者、則己急宜畏避、不相染入。譬如人使己以手探於沸湯爲也)とある。また『注疏』に「人の熱湯を探試するや、其れ之を去ること必ず速し。以て悪事を見て之を去ることのはやきに喩うるなり」(人之探試熱湯、其去之必速。以喩見惡事去之疾也)とある。
  • 吾見其人矣。吾聞其語矣 … 『義疏』に「孔子自ら云う、此の上の二事、吾嘗て其の人を見、亦た嘗て其の語有るを聞けり、と」(孔子自云、此上二事、吾嘗見其人、亦嘗聞有其語也)とある。また『注疏』に「今人と古人と、皆能く此の若くする者有るを言うなり」(言今人與古人、皆有能若此者也)とある。また『集注』に「真に善悪を知りて、誠に之を好悪す。顔・曾・閔・冉の徒、蓋し之を能くす。語は、蓋し古語ならん」(眞知善惡、而誠好惡之。顏曾閔冉之徒、蓋能之矣。語、蓋古語也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 隠居以求其志 … 『義疏』に「志昏乱に達す。故に隠居して遁るるを願うなり。言うこころは幽居して以て其の志を求むるなり」(志達昏亂。故願隱居遁。言幽居以求其志也)とある。また『注疏』に「隠遯幽居して、以て其の己の志を遂ぐるを求むるを謂うなり」(謂隱遯幽居、以求遂其己志也)とある。また『集注』に「其の志を求むは、其の達する所の道を守るなり」(求其志、守其所達之道也)とある。
  • 行義以達其道 … 『義疏』に「常に道の中を願う。故に躬ら行うに義を行い以て其の道を達す」(常願道中。故躬行行義以達其道矣)とある。また『注疏』に「義事を行うを好みて、以て其の仁道に達するを謂うなり」(謂好行義事、以達其仁道也)とある。また『集注』に「其の道を達するは、其の求むる所の志を行うなり」(達其道、行其所求之志也)とある。
  • 吾聞其語矣。未見其人也 … 『義疏』に「唯だ昔夷・斉能く然らんこと有るを聞くのみ。是れ其の語を聞くなり。而して今の世に復た此の人無し。故に云う、未だ其の人を見ざるなり、と。顔特進云う、隠居して志を世表に求むる所以にして、義を行いて古人に達道する所以なり。立つことの高き無く、能くするの行い難し。徒らに其の語を聞くのみにして、未だ其の人を見ざるなり、と」(唯聞昔有夷齊能然。是聞其語也。而今世無復此人。故云、未見其人也。顏特進云、隱居所以求志於世表、行義所以達道於古人。無立之高、難能之行。徒聞其語、未見其人也)とある。また『注疏』に「但だ其の語を聞き、古えに此の行いの人有るを説くも、今は則ち有ること無きを言う、故に未だ其の人を見ざるなり」(言但聞其語、説古有此行之人也、今則無有、故未見其人也)とある。また『集注』に「蓋し惟だいん・太公の流のみ、以て之に当たる可し。当時顔子の若きも亦た此にちかけれども、然れども隠れて未だあらわれず、又た不幸にしてはやく死す。故に夫子か云う」(蓋惟伊尹太公之流、可以當之。當時若顏子亦庶乎此、然隱而未見、又不幸而蚤死。故夫子云然)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「曰く、聖人の学は、経世を以て本と為して、独り其の身を善くするを以て、極と為さず、と。……今亦た此にちかしと言えば、則ち是れ伊呂を右にして、顔子を左にするなり。孔子の聖、堯舜に賢ること遠し。而して顔子は之にぐ、則ち其の徳業豈に伊呂にづること有らんや」(曰、聖人之學、以經世爲本、而不以獨善其身、爲極。……今言亦幾乎此、則是右伊呂、而左顏子也。孔子之聖、賢於堯舜遠矣。而顏子亞之、則其德業豈有媿於伊呂乎哉)とある。伊呂は、伊尹と太公望(呂尚)。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「善を見ては及ばざるが如くし、不善を見ては湯を探るが如くす。又た曰く、我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず、と。ここに其の人を見ると言う。仁と善と、或いはへだて有るなり。然れども時有りてか或いは之を見ると曰い、時有りてか或いは未だ見ずと曰う。皆教えの術なり。万世の下、未だ孔子が為に之を言いしかを知らざれば、則ち必ずしも深くなずまずして可なり。且つ孔子の門人に蓋し之れ有らん。然れども孔子の道は、先王の道なり。其の門人に於ける、皆先王の道を以て之に期す。故に其の人を見ると曰う者は、かたんぜざるの辞なり。隠居して以て其のに求む、志は古えの志記を謂うなり。求むと云う者は、先王の道を其の書に求むるを謂う。孟子の所謂けんの中に処り是れに由りて以て堯舜の道を楽しむ、是れなり。旧註以て心志の志と為す。殊に通ぜずと為す。義を行うとは仕うるを謂うなり。子路曰く、君子の仕うるは、其の義を行うなり、と。其の道に達すとは、其の道を天下に達するなり。吾其の語を聞く。未だ其の人を見ずとは、かたんずるの辞、皆門人に仁に従事せんことを勧むるなり。孔子嘗て曰く、之を用うるときは則ち行い、之をつるときは則ちかくる、と。則ち顔子は蓋し其の人なり。而うしてここに未だ其の人を見ずと言う者は、它人をはげます辞なるのみ。後儒は聖人の善誘を知らず、徒らに孔子真に未だ見ずと謂う。亦た詩学伝わらず、人言語の道を知らざるが故なり。且つ後世の儒者は、専ら知見をたっとび、優劣を論じしゅを分かつことを以て務めと為し、遂に此れを以て孔子を視る。豈に悲しからずや。仁斎先生、此の章を以て夫子ひろく当世の人材を論じて其の門人に及ばずと為すが如き者是れなり。夫れ七十子の徒此の言をあずかり聞く者は、皆孔子の後言を以て志と為す者なり。其れをして当世に用いられしめば、亦た当世の伊・呂なり。其の徳の優劣の如き、千載の下、たれか能く之を知らん。区区としてこれを残編に求めて、或いは唯だ顔子のみ之に当たると曰い、或いは曾・冉・閔をわするる者は過ちなりと曰う。無益の論と謂う可きのみ」(見善如不及、見不善如探湯。又曰、我未見好仁者、惡不仁者。此言見其人矣。仁與善、或有間也。然有時乎或曰見之、有時乎或曰未見。皆教之術也。萬世之下、未知孔子誰爲言之、則不必深泥可也。且孔子門人蓋有之矣。然孔子之道、先王之道也。其於門人、皆以先王之道期之。故曰見其人矣者、不難之辭也。隱居以求其志、志謂古志記也。求云者、謂求先王之道於其書。孟子所謂處畎畝之中由是以樂堯舜之道、是也。舊註以爲心志之志。殊爲不通。行義者謂仕也。子路曰、君子之仕、行其義也。達其道者、達其道於天下也。吾聞其語矣。未見其人也者、難之辭、皆勸門人從事仁也。孔子嘗曰、用之則行、舍之則藏。則顏子蓋其人也。而此言未見其人者、勉它人辭已。後儒不知聖人之善誘、徒謂孔子眞未見焉。亦詩學不傳、人不知言語之道故也。且後世儒者、專尚知見、以論優劣分錙銖爲務、遂以此視孔子。豈不悲哉。如仁齋先生、以此章爲夫子泛論當世人材而不及其門人者是也。夫七十子之徒與聞此言者、皆以孔子後言爲志者也。使其見用於當世、亦當世之伊呂也。如其德之優劣、千載之下、孰能知之。區區求諸殘編、而或曰唯顏子當之、或曰遺曾冉閔者過也。可謂無益之論已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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