>   論語   >   季氏第十六   >   6

季氏第十六 6 孔子曰侍於君子有三愆章

426(16-06)
孔子曰、侍於君子有三愆。言未及之而言、謂之躁。言及之而不言、謂之隱。未見顏色而言、謂之瞽。
こういわく、くんするに三愆さんけんり。げんいまこれおよばずしてう、これそうう。げんこれおよびてわず、これいんう。いまがんしょくずしてう、これう。
現代語訳
  • 孔先生 ――「目上の人のそばでの、落ちどが三つある。なにもいわれないのに口をきくのは、軽はずみだ。なにかいわれてもだまっているのは、うしろぐらい。顔つきも見ないでいうのは、まるで※※※だ。」(「※※※」部分は、現在視覚障害者を指す差別用語といわれているため、伏せ字とした。)(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子の申すよう、「目上の人の前に出たときおかしやすい三つの過失があります。先方から言葉のないうちにズケズケ物を言うのを、『さしでがましい』と申します。言葉があったのにだまっているのを、『へだてがましい』と申します。先方の顔色もうかがわずに口をきくのを、『みさかいがない』と申します。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「君子のそばにいて犯しやすい過ちが三つある。まだ口をきくべき時でないのに口をきく、これは軽はずみというものだ。口をきくべき時に口をきかない、これはかくすというものだ。顔色を見、気持を察することなしに口をきく、これは向う見ずというものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 君子 … ここでは、目上の人。
  • 侍 … そばに控える。そば近く仕える。
  • 愆 … 過ち。過失。
  • 言未及之而言 … 言うべきでないのに言う。目上の人にまだ話しかけられていないのに言う。
  • 躁 … 騒がしい。そそっかしい。軽率。軽はずみ。
  • 言及之而不言 … 言うべき時に言わない。
  • 隠 … 率直でない。引っ込み思案。
  • 未見顔色而言 … 相手の顔色を見ずに言う。相手の気持ちをまったく考えないで言う。
  • 顔色 … 顔色かおいろ。顔つき。
  • 瞽 … 目が見えない人。転じて、物事を見ぬく力の働かない人。
補説
  • 『注疏』に「此の章は卑の尊に侍し、言語を審慎するの法を戒むるなり」(此章戒卑侍於尊、審愼言語之法也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 侍於君子有三愆 … 『集解』に引く孔安国の注に「愆は、過なり」(愆、過也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「愆は、過なり。卑、尊に侍するに、三事の過失を為すこと有るなり」(愆、過也。卑侍於尊、有三事爲過失也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「愆は、過なり。卑の尊に侍するに、三種の過失の事有るを言う」(愆、過也。言卑侍於尊、有三種過失之事)とある。また『集注』に「君子は、徳位有るの通称なり。愆は、過なり」(君子、有德位之通稱。愆、過也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 言未及之而言、謂之躁 … 『集解』に引く鄭玄の注に「躁は、安静ならざるなり」(躁、不安靜也)とある。また『義疏』に「一の過ちなり。君子の坐に侍す、君子の言語の次第之を承く。未だ其の抄次に及ばずして言う、此れは是れ軽して動きて将に之を躁ならしめんとする者なり」(一過也。侍君子之坐、君子言語次第承之。未及其抄次而言、此是輕動將躁之者)とある。また『注疏』に「君子の事を言うに、未だ己に及ばずしてすなわち先に言うを謂い、是れ躁動して安静ならざるを謂うなり」(謂君子言事、未及於己而輒先言、是謂躁動不安靜也)とある。
  • 言及之而不言、謂之隠 … 『集解』に引く孔安国の注に「隠は、かくして情実を尽くさざるなり」(隱、匿不盡情實也)とある。また『義疏』に「二の過ちなり。言語の次第已に応に其の人に及ぶべし。忽として君の肯えて言を出ださざる、此れは是れ情心尽くさず、隠匿する所の者有るなり」(二過也。言語次第已應及其人。忽君之不肯出言、此是情心不盡、有所隱匿之者也)とある。また『注疏』に「君子の言論己に及ぶを謂う。己応に言うべくして言わざるは、是れ隠匿して情実を尽くさざるを謂うなり」(謂君子言論及己。己應言而不言、是謂隱匿不盡情實也)とある。
  • 未見顔色而言、謂之瞽 … 『集解』に引く周生烈の注に「未だ君子の顔色の趣向する所を見ずして、便ちあらかじめ意を先にして語る者は、猶お瞽者のごときなり」(未見君子顔色所趣向、而便逆先意語者、猶瞽者也)とある。また『義疏』に「瞽とは、盲人なり。盲人の目人の顔色を見ずして、只だ人の是非を言うのみ。今若し盲ならずして侍坐し、未だ君子の顔色趣向を見ずして、便ちあらかじめ之を言う。此れは是れ盲者と異質無し。故に之を謂いて瞽と為すなり」(瞽者、盲人也。盲人目不見人顏色、而只言人之是非。今若不盲侍坐、未見君子顏色趣向、而便逆言之。此是與盲者無異質。故謂之爲瞽也)とある。また『注疏』に「瞽は、目無きの人を謂うなり。言うこころは未だ君子の顔色の趣嚮する所を見ずして、便ちあらかじめ意を先にして語る者は、猶お目無きの人の若きなり」(瞽、謂無目之人也。言未見君子顏色所趣嚮、而便逆先意語者、猶若無目人也)とある。また『集注』に「瞽は、目無く、言を察し色を観ること能わず」(瞽、無目、不能察言觀色)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「時にして然る後に言えば、則ち三者の過ち無し」(時然後言、則無三者之過矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ卑幼の尊長にはべる言語の節を言うなり。蓋し人は必ず礼有り、之を得れば則ち君子たり、之を失えば則ち野人たり。而して其の言語に於ける、最も当に慎むべき所、況んや君子に侍るの間に於いてをや」(此言卑幼侍尊長言語之節也。蓋人必有禮、得之則爲君子、失之則爲野人。而其於言語、最所當愼、況於侍君子之間乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「君子に侍するに三愆有りは、弟子の礼なり。師につかえ父兄に事うるには此れを以てす。君に事うるには則ちしからず。曲礼に曰く、坐するときは必ず安んじ、なんじの顔をまもれ、と。即ち未だ顔色を見ずして言う、之を瞽と謂うなり。又た曰く、長者及ばざるときは、儳言ざんげんすること毋かれ、と。即ち言未だ之に及ばずして言う、之を躁と謂うなり。又た曰く、先生之と言うときは則ちこたえ、之と言わざるときは則ちはしりて退く、と。即ち言之に及びて言わざる、之を隠と謂うなり。皆先生長者を以て之を言う。故に弟子の礼たるを知るなり。孔子曰く、軍旅の事は、未だ之を学ばず、と。是れ言之に及びて言わざるなり。哀公問あいこうもんに、孔子遂に謂いて曰くという者三つ有り。是れ言未だ之に及ばずして言うなり。孟子曰く、大人に説くには則ち之をかろんず、其の巍巍然たるを視ること勿かれ、と。是れ未だ必ずしも顔色を見ざるなり。故に君に事うるの礼に非ざるを知るなり」(侍於君子有三愆、弟子之禮也。事師事父兄以此。事君則否。曲禮曰、坐必安、執爾顏。即未見顏色而言、謂之瞽也。又曰、長者不及、毋儳言。即言未及之而言、謂之躁也。又曰、先生與之言則對、不與之言則趍而退。即言及之而不言謂之隱也。皆以先生長者言之。故知爲弟子之禮也。孔子曰、軍旅之事、未之學也。是言及之而不言也。哀公問、有孔子遂謂曰者三。是言未及之而言也。孟子曰、説大人則藐之、勿視其巍巍然。是未必見顏色也。故知非事君之禮也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十