衛霊公第十五 38 子曰有教無類章
417(15-38)
子曰、有教無類。
子曰、有教無類。
子曰く、教え有りて類無し。
現代語訳
- 先生 ――「教育のまえに、差別はない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「人は教育によって善とも悪ともなるもので、はじめから善人悪人の類別があるわけではない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「人間を作るのは教育である。はじめから善悪の種類がきまっているのではない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- この章は「陽貨第十七2」と内容的に近い。
- 教 … 教育。
- 類 … 人間の種類。
補説
- 『注疏』に「此の章は人に教うるの法を言うなり」(此章言教人之法也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 有教無類 … 『集解』に引く馬融の注に「言うこころは人の教えらるること在るも、種類有ること無きなり」(言人在見教、無有種類也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人乃ち貴賤有るも、同に宜しく教えに資すべし。以て其の種類庶鄙なれども之に教えざる可からざるなり。之に教うれば則ち善、本と類無きなり」(人乃有貴賤、同宜資教。不可以其種類庶鄙而不教之也。教之則善本無類也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「類は、種類を謂う。言うこころは人は教えらるるに在る所、貴賤の種類有ること無きなり」(類、謂種類。言人所在見教、無有貴賤種類也)とある。また『集注』に「人の性は皆善なれども、其の類に善悪の殊有る者は、気習の染なり。故に君子教え有れば、則ち人皆以て善に復す可くして、当に復た其の類の悪を論ずべからず」(人性皆善、而其類有善惡之殊者、氣習之染也。故君子有教、則人皆可以復於善、而不當復論其類之惡矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し人の性は本と善なり、其の類の美しからざる者と雖も、然れども学以て充たすこと有れば、則ち皆以て化して善に入る可し。此れ孔子の万世の為に学問を開く所以なり。至れり大なるかな」(蓋人性本善、雖其類之不美者、然有學以充焉、則皆可以化而入于善矣。此孔子之所以爲萬世開學問也。至矣大哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「古え官を世〻にせず、人を刑するに孥までせざるは、是れが為の故なり。類、馬融解するに種類というを以てす。之を得たり」(古者不世官、刑人不孥、爲是故。類、馬融解以種類。得之)とある。世〻は、代々。孥は、父の犯した罪に対し、妻や子まで刑罰に処すること。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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