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述而第七 7 子曰自行束脩以上章

154(07-07)
子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。
いわく、そくしゅうおこなうよりじょうは、われいまかつおしうることくんばあらず。
現代語訳
  • 先生 ――「ほし肉でも持ってくれば、わしはみんな弟子にしてやった。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「そくしゅうをおさめて入門した以上、教えてやらんことはないぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「かりそめにもそくしゅうをおさめて教えを乞うて来たからには、私はその人をなまけさしてはおかない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 束脩 … 干し肉。十本束ねて一束と呼んだ。「脩」はほじし(細長い干し肉)。当時、入門するとき師に贈る最低の謝礼の品であった。今日の入学金・月謝に相当する。
  • 自~以上 … ~したからには。
  • 未嘗~ … 「いまだかつて~ず」と読み、「今まで~したことがない」と訳す。否定の強調の意を示す。
  • 誨 … 教える。
補説
  • 行束脩 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは人能く礼を奉じて、束脩を行うより以上なれば、則ち皆之を教誨するなり」(言人能奉禮、自行束脩以上、則皆教誨之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ孔子の教化、感必ず応ずる者有るを明らかにするなり。束脩は十束のほじしなり。古えは相まみゆるとき、必ず物を執りてと為す。贄は至なり。己の来たり至るを表すなり。上は則ち人君玉を用う。中は則ち卿はこひつじ、大夫は雁、士は雉、下は則ち庶人はあひるを執る。工商はにわとりを執る。其の中或いは束脩、壺酒、一犬、悉く無きを得ざるなり。束脩最も是れ贄の至りて軽き者なり」(此明孔子教化有感必應者也。束脩十束脯也。古者相見、必執物為贄。贄至也。表己來至也。上則人君用玉。中則卿羔、大夫鴈、士雉、下則庶人執鶩。工商執雞。其中或束脩壺酒一犬悉不得無也。束脩最是贄之至輕者也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「案ずるに書伝に束脩を言う者多し。皆十ていを謂うなり」(案書傳言束脩者多矣。皆謂十脡脯也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「脩は、ほじしなり。十ていを束と為す。古えはあいまみゆるに、必ずを執るを以て礼と為す。束脩は、其の至りて薄き者なり」(脩、脯也。十脡爲束。古者相見、必執贄以為禮。束脩、其至薄者)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 吾未嘗無誨焉 … 『義疏』に「孔子言う、人若し能く自ら贄を施し束脩を行う以上、来たりて見謁する者ならば、則ち我未だ嘗て之を教誨せずんばあらず。故に江熙云う、其のぎょうぜんとして善に向かうの思を見て益するなり。古えは贄を以て見る。脩は、脯なり。孔注は脩を云わずと雖も、是れ脯なり。而して意も亦た脯を離れ得ざるなり」(孔子言、人若能自施贄行束脩以上、來見謁者、則我未嘗不教誨之。故江熙云、見其翹然向善思益也。古以贄見。脩、脯也。孔注雖不云脩、是脯。而意亦不得離脯也)とある。また『集注』に「蓋し人の生有るに、同じく此の理をそなう。故に聖人の人に於ける、其の善に入るを欲せざること無し。但だ来たりて学ぶを知らざれば、則ち往きて教うるの礼無し。故にいやしくも礼を以て来たれば、則ち以て之を教うること有らざる無きなり」(蓋人之有生、同具此理。故聖人之於人、無不欲其入於善。但不知來學、則無往教之禮。故苟以禮來、則無不有以教之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「苟くも誠を以て来たり学ぶときは、則ち吾以て之を教うること有らざるは無し」(苟以誠而來學、則吾無不有以教之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「蓋し束脩とは始見のなり。礼を奉じて以てまみゆ、此れより以往のちは、未だ嘗て誨うること無くんばあらざるなり」(蓋束脩者始見之贄也。奉禮以見、從此以往、未嘗無誨也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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