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憲問第十四 24 子曰君子上達章

356(14-24)
子曰、君子上達、小人下達。
いわく、くんじょうたつし、しょうじんたつす。
現代語訳
  • 先生 ――「人物は上へ上へとのぼり、俗物は下へ下へと落ちる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「君子は道義に従って日夜勉学修養するから、だんだんと向上して聖賢のてっぺんにも達するが、小人は利欲にのみ志して一時の安楽あんらくをむさぼるから、おいおいにらくしてきょうのどんぞこにも達する。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「君子は上へ上へと進む。小人は下へ下へと進む」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 君子 … 徳の高い立派な人。人格者。反対は小人。
  • 上達 … 「達」は、到達の意。徳や道理を知り、高遠な問題が分かるようになる。
  • 小人 … 教養がなく、人格が低くてつまらない人。反対は君子。
  • 下達 … つまらない事柄、手近なことについて詳しくなる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子・小人のぎょうたつする所の同じからざるを言うなり」(此章言君子小人所曉達不同也)とある。暁達は、物事や道理によく通じていること。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 君子上達、小人下達 … 『集解』の何晏の注に「本を上と為し、末を下と為すなり」(本爲上、末爲下也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「上達とは、仁義に達するなり。下達は、財利に達するを謂う。君子と反する所以なり」(上達者、達於仁義也。下達、謂達於財利。所以與君子反也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「本を上と為すは、徳義を謂うなり。末を下と為すは、財利を謂うなり。君子は徳義に達し、小人は財利に達するを言う」(本爲上、謂德義也。末爲下、謂財利也。言君子達於德義、小人達於財利)とある。また『集注』に「君子は天理に循う。故に日〻高明に進む。小人は人欲にしたがう。故に日〻汚下に究まる」(君子循天理。故日進乎高明。小人徇人欲。故日究乎汙下)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「言うこころは君子小人各〻達する所有りて、君子の達する所は道徳に在り、小人の達する所は鄙事に在り、故に人の賤しむ所と為る。道徳に在り、故に人の貴ぶ所と為る。皆其の自ら取る所、慎まざる可けんや」(言君子小人各有所達、而君子之所達在道德、小人之所達在鄙事、故爲人之所賤。在道德、故爲人之所貴。皆其所自取、可不愼乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「蓋し君子の君に通ずるは礼を以てす。故に上達と曰う。小人は則ち君に通ずるの礼無し。故に私通す。之を下達と謂う。何・邢・朱皆誤るのみ。大氐たいてい論語に礼を言う者多し。而うして後人之を知らず、解するに義理を以てす。是れ古今学問のなり」(蓋君子之通於君以禮。故曰上達。小人則無通於君之禮。故に私通。謂之下達。何邢朱皆誤耳。大氐論語言禮者多矣。而後人不知之、解以義理。是古今學問之異也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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