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憲問第十四 37 子曰莫我知也夫章

369(14-37)
子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人、下學而上達。知我者其天乎。
いわく、われることきかな。こういわく、なんれぞからんや。いわく、てんうらみず、ひととがめず、がくしてじょうたつす。われものてんか。
現代語訳
  • 先生 ――「わしを理解するものはないのか…。」子貢 ――「なんでまた先生を理解しないことが…。」先生 ――「天をうらまず、人をとがめず、俗世間から真理をつかむ。わしを理解するのは、まあ天だけか…。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • これは孔子様七十一歳の時のこと。「とうとうわしを知ってくれる者がなかったことかな。」と歎息たんそくされた。そこでこうなぐさめ顔に、「どうして先生を知らない者がござりましょうや。私ども門人をはじめ天下の心ある者は皆先生の聖人たることを知って、ずい渇仰かつごうしていることでござります。」と言った。すると孔子様がおっしゃるよう、「イヤイヤ、わしが言うのはわしを知って国政をまかせてくれる国君こっくんがなかったことをいうのだが、わしの理想なる先王の道を現代に行うことができなかったのをかんとするので、人に知られなかったことをうらむのではない。知られようと知られまいと用いられようと用いられまいと、いずれも天命だから、わしは天をもうらまず人をもとがめず、しもきんな人事から学び始めて、かみこうしょうな天理まで一通りきわめつくしたこと故、わしはそれで満足で、たとい人は知らずとも、わしを知ってくれるのは天であると確信して、天命に安んじているぞよ、心配するな。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が嘆息していわれた。――
    「ああ、とうとう私は人に知られないで世を終りそうだ」
    子貢がおどろいていった。――
    「どうして先生のような大徳の方が世に知られないというようなことが、あり得ましょう」
    すると先師は、しばらく沈黙したあとでいわれた。――
    「私は天をうらもうとも、人をとがめようとも思わぬ。私はただ自分の信ずるところに従って、低いところから学びはじめ、一歩一歩と高いところにのぼって来たのだ。私の心は天だけが知っている」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 莫我知也夫 … 私を理解する者は誰もいない。
  • 也夫 … 「かな」と読み、「~なのかなあ」と訳す。慨嘆の語気を含んだ助辞。
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 何為其莫知子也 … どうして先生を知らないことなどありましょうや。
  • 何為 … 「なんすれぞ」と読む。どうして。なぜ。
  • 下学而上達 … 手近なことから学んで、次第に高遠な道理に通ずること。
  • 下学 … 身近なところから学ぶこと。
  • 上達 … 「達」は、到達の意。徳や道理を知り、高遠な問題が分かるようになること。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子自ら其の志を明らかにするなり」(此章孔子自明其志也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 莫我知也夫 … 『義疏』に「莫は、無なり。孔子世人の我を知る者無きを歎ず」(莫、無也。孔子歎世人無知我者)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「人の我が志を知る者無きを言うなり」(言無人知我志者也)とある。また『集注』に「夫子自ら歎じ、以て子貢の問いを発するなり」(夫子自歎、以發子貢之問也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 何為其莫知子也 … 『集解』の何晏の注に「子貢は夫子の何為れぞ己を知るもの莫しと言うを怪しむ。故に問うなり」(子貢怪夫子言何爲莫知己。故問也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「子貢は夫子の此の言有るを怪しむ。云う、何ぞ子を知る莫しと謂うや、と。何為は、猶お若為のごときなり」(子貢怪夫子有此言。云何謂莫知子乎。何爲、猶若爲也)とある。また『注疏』に「子貢は夫子の言を怪しむ、故に何為れぞ己を知るもの莫きかを問う」(子貢怪夫子言、故問何爲莫知己)とある。
  • 不怨天、不尤人 … 『集解』に引く馬融の注に「孔子世に用いられず、而れども天を怨みず、人己を知らざるも、亦た人を尤めざるなり」(孔子不用於世、而不怨天、人不知己、亦不尤人也)とある。また『義疏』に「孔子我を知ること無きの事に答う。尤は、責なり。我用いられざるを言う。而して世人みな我応に天を怨み人を責むべしと言う。而れども我実に此の心無きなり。人に知られざれども、我人を責めず、天に我を用いられざるも、亦た天を怨みざるなり」(孔子答無知我之事。尤、責也。言我不見用。而世人咸言我應怨天責人。而我實無此心也。人不見知、而我不責人、天不見用我、亦不怨天也)とある。また『注疏』に「尢は、非なり。孔子の言うこころは己の世に用いられざるも而も天を怨みず、人の己を知らざるも亦た人を非とせざるなり」(尢、非也。孔子言己不用於世而不怨天、人不知己亦不非人也)とある。また『集注』に「天に得られざるも天を怨みず。人に合わざるも人を尤めず」(不得於天而不怨天。不合於人而不尤人)とある。
  • 下学而上達 … 『集解』に引く孔安国の注に「下は人事を学び、上は天命を知るなり」(下學人事、上知天命也)とある。また『義疏』に「我を知ること無し、所以に天を怨みず、人を尤めざるの由を解くなり。下学は人事を学び、上達は天命に達す。我既に人事を学ぶ。人事に否有り泰有り。故に人を尤めず。上天命に達す。天命に窮有り通有り。故に我天を怨みざるなり」(解無知我所以不怨天不尤人之由也。下學學人事、上達達天命。我既學人事。人事有否有泰。故不尤人。上達天命。天命有窮有通。故我不怨天也)とある。また『注疏』に「言うこころは己れ下は人事を学び、上は天命を知る。時に否泰有り、故に用いらるるに行蔵有り。是を以て天を怨みて人を尤むるをせざるなり」(言己下學人事、上知天命。時有否泰、故用有行藏。是以不怨天尤人也)とある。また『集注』に「但だ下学して自然に上達するを知る。此れ但だ自ら其の己に反って自ら修め、序に循いて漸く進むを言うのみ。以て甚だしく人に異なり、其の知を致すこと無きなり」(但知下學而自然上達。此但自言其反己自修、循序漸進耳。無以甚異於人、而致其知也)とある。
  • 知我者其天乎 … 『集解』の何晏の注に「聖人は天地と其の徳を合わす。故に唯だ天のみ己を知るを曰うなり」(聖人與天地合其德。故曰唯天知己也)とある。また『義疏』に「人我を知るを見ず。我怨みず尤めざる者は、唯だ天之を知るのみなればなり」(人不見知我。我不怨不尤者、唯天知之耳)とある。また『注疏』に「唯だ天のみ己の志を知るを言うなり」(言唯天知己志也)とある。また『集注』に「然れども深く其の語意を味わえば、則ち其の中に自ら人の知るに及ばずして、天独り之を知るの妙有るを見る。蓋し孔門に在りては、唯だ子貢の智のみ、ほとんど以て此に及ぶに足る。故に特にげ以て之を発せり。惜しいかな、其れ猶お未だ達せざる所有るなり」(然深味其語意、則見其中自有人不及知、而天獨知之之妙。蓋在孔門、唯子貢之智、幾足以及此。故特語以發之。惜乎、其猶有所未達也)とある。
  • 『集注』に「程子曰く、天を怨みず、人を尤めずは、理に在りては当に此くの如くあるべし、と。又た曰く、下学して上達するは、意は言の表に在り、と。又た曰く、学者須らく下学上達の語を守るべし。乃ち学の要なり。蓋し凡そ下人事を学べば、便ち是れ上天理に達す。然れども習いて察せざれば、則ち亦た以て上達すること能わず、と」(程子曰、不怨天、不尤人、在理當如此。又曰、下學上達、意在言表。又曰、學者須守下學上達之語。乃學之要。蓋凡下學人事、便是上達天理。然習而不察、則亦不能以上達矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「下学とは、人事の近きを習うなり。上達とは、道徳の奥にいたるなり。……論に曰く、何をか天之を知ると謂うや。曰く、天に心無し、人心を以て心と為す。直なるときは則ち悦び、誠なるときは則ち信ず。理到るの言は、人服せざること能わず。此れ天下のこうにして、人心の同じく然る所なり。此れを以て自ずから楽しむ。故に曰く、我を知る者は其れ天か、と。斯の理や、磨けどもうすらがず、くだけどもやぶれず、当時に赫著かくちょとせずと雖も、然れども千載の下、必ず之を識る者有り。此れ聖人の自らたのみて忻然きんぜんとして楽しみ、以て其の身を終うる所以なり」(下學者、習人事之近也。上達者、造道德之奥也。……論曰、何謂天知之乎。曰天無心、以人心爲心。直則悦、誠則信。理到之言、人不能不服。此天下之公是、而人心之所同然。以此自樂。故曰、知我者其天乎。斯理也、磨而不磷、摧而不毀、雖不赫著于當時、然千載之下、必有識之者矣。此聖人之所以自恃而忻然樂、以終其身也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「我を知ること莫きかなとは、世主せいしゅ、孔子を知る者無きを謂うなり。……仁斎乃ち曰く、黙契もっけいする者の難きを嘆ず、と。道学先生なるかな。……下学して上達すとは、下は今を謂うなり。上は古えを謂うなり。先王の詩書礼楽を学びて先王の心に達するを謂うなり。……仁斎曰く、……故に我を知る者は其れ天かと曰う。……果たして其の言の若くんば、則ち聖人も亦た唯だ子雲のみ。且つ徒らに公是を以てし理到るの言を以てして孔子の心を論ずるは、陋と謂う可きのみ。且つ其の鬼神を貴ばざる、故に亦た孔子の天を称するの意にくらし。たれか仁斎先生を理学に非ずと謂うや」(莫我知也夫、謂世主無知孔子者也。……仁齋乃曰、嘆默契者之難。道學先生哉。……下學而上達者、下謂今。上謂古也。謂學先王之詩書禮樂而達先王之心也。……仁齋曰、……故曰知我者其天乎。……果若其言、則聖人亦唯子雲耳。且徒以公是以理到之言而論孔子之心、可謂陋已。且其不貴鬼神、故亦昧乎孔子稱天之意。孰謂仁齋先生非理學乎)とある。子雲は、前漢の揚雄のあざな。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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