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子路第十三 14 冉子退朝章

316(13-14)
冉子退朝。子曰、何晏也。對曰、有政。子曰、其事也。如有政、雖不吾以、吾其與聞之。
ぜんちょうより退しりぞく。いわく、なんおそきや。こたえていわく、まつりごとり。いわく、ことならん。まつりごとらば、われもちいずといえども、われこれあずかかん。
現代語訳
  • 冉(ゼン)先生が勤めから帰った。先生 ――「どうしておそいのじゃな…。」返事 ―― 「公用でして。」先生 ――「私用だろうよ。もし公用があれば、わしは現役でなくても、相談にあずかるはずじゃ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 冉有ぜんゆうたい季氏きししつであったが、ある日季氏の家の事務所から退出してきたとき、孔子様が、「どうしてこんなに遅くなったのか。」と問われた。冉有が答えて、「マツリゴトがありましたので、時間がかかりました。」と言った。孔子様がおっしゃるよう、「それは国政ではあるまい、季氏の家事だったのだろう。もし国政ならば、わしも以前は大夫だった重臣なのだから、今は非役だけれども、ご相談にあずからぬはずはあるまい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ぜん先生が役所から退出してこられると、先師がたずねられた。――
    「どうしてこんなにおそくなったのかね」
    冉先生がこたえられた。――
    「政治上の相談がひまどりまして」
    先師がいわれた。――
    「いや、そうではあるまい。季氏一家の私事ではなかったかね。もし政治向きのことであれば私にも相談があるはずだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 冉子 … 前522~?。孔子の門人、冉有ぜんゆう。姓はぜん、名はきゅうあざなゆう。魯の人。孔子より二十九歳若い。孔門十哲のひとり。政治的才能があり、季氏の宰(家老)となった。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 朝 … ここでは季氏の事務所を指す。なお、魯君の朝廷とする説もある。
  • 退 … 退出する。
  • 晏 … 遅い。
  • 政 … 国家の政務。なお、古注では「改めたり正したりする重要な政務」と解釈している。
  • 事 … 季氏の日常の事務。なお、古注では「普段行っている政務」と解釈している。
  • 以 … 用いる。任用する。
  • 与聞 … 相談にあずかる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は政・事の別を明らかにするなり」(此章明政事之別也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 冉子(冉有) … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 冉子退朝 … 『集解』に引く周生烈の注に「魯君に朝するよりまかるを謂うなり」(謂罷朝於魯君也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「朝より退くは、あしたに朝よりえんとして家に還るを謂うなり。朝廷には退と曰うなり」(退朝、謂旦朝竟而還家。朝廷曰退也)とある。なお、「旦」は底本では「且」に作るが、諸本に従い改めた。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「時に冉有季氏に臣たり。朝廷には退と曰う、魯君に朝するよりまかるを謂うなり」(時冉有臣於季氏。朝廷曰退、謂罷朝於魯君也)とある。また『集注』に「冉有時に季氏の宰たり。朝は、季氏の私朝なり」(冉有時爲季氏宰。朝、季氏之私朝也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、何晏也 … 『義疏』に「晏は、晩なり。冉子還ること常の朝よりおそし。故に孔子之を問う。今還ること何ぞ晏きや、と。范寧云う、冉求つとに朝より晩く退く。故に孔子疑いて之を問うなり、と」(晏、晩也。冉子還晩於常朝。故孔子問之。今還何晏也。范寧云、冉求早朝晩退。故孔子疑而問之也)とある。また『注疏』に「晏は、晩なり。孔子其の退朝の晩きをいぶかる。故に之を問う」(晏、晩也。孔子訝其退朝晩。故問之)とある。また『集注』に「晏は、晩なり」(晏、晩也)とある。
  • 対曰、有政 … 『集解』に引く馬融の注に「政とは、改更匡正する所有るなり」(政者、有所改更匡正也)とある。また『義疏』に「退くことのおそき所以の由を答うるなり。言うこころは朝に在りて政事を論ず。故に晏きに至るなり」(答所以退晩之由也。言在朝論於政事。故至晏也)とある。また『注疏』に「冉子言う、改更匡正する所の政有り。故に退くこと晩きなり、と」(冉子言、有所改更匡正之政。故退晩也)とある。また『集注』に「政は、国政なり」(政、國政)とある。
  • 子曰、其事也 … 『集解』に引く馬融の注に「事とは、凡そ行う所の常事なり」(事者、凡所行常事也)とある。また『義疏』に「孔子は冉有の云う所の政有りを謂いて之をそしるなり。応に是れ凡そ行う所小事なるのみ。故に云う、其れ事ならん、と」(孔子謂冉有所云有政非之也。應是凡所行小事耳。故云、其事也)とある。また『集注』に「事は、家事なり」(事、家事)とある。
  • 如有政、雖不吾以、吾其与聞之 … 『集解』に引く馬融の注に「如し政に常に非ざるの事有らば、我大夫たりて、任用せられずと雖も、必ず当に之を与り聞くべし」(如有政非常之事、我爲大夫、雖不見任用、必當與聞之)とある。また『義疏』に「孔子更に政に非ざるの由を知る所以を説くなり。以は、用なり。言うこころは若し必ず是れ政事有らば、吾既に必ず応に用うべからずと雖も、而れども吾既に卿大夫たるも、亦た当に必ず参に応じて預め之を聞くべし。今既に聞かざれば、則ち汝の論ずる所、政に関するに非ざるを知るなり」(孔子更説所以知非政之由也。以、用也。言若必是有政事、雖不吾既必應用、而吾既爲卿大夫、亦當必應參預聞之。今既不聞、則知汝所論非關政也)とある。また『注疏』に「孔子言う、なんじの謂う所の政とは、但だ凡行の常事なるのみ。設如もし大政非常の事有らば、我大夫たり、任用せられずと雖も、必ず当に之を与り聞くべし、と」(孔子言、女之所謂政者、但凡行常事耳。設如有大政非常之事、我爲大夫、雖不見任用、必當與聞之也)とある。また『集注』に「以は、用うるなり。礼は、大夫、事を治めずと雖も、猶お国政を与り聞くを得。是の時季氏、魯を専らにし、其の国政に於いては、蓋し同列と公朝に議せずして、独り家臣と私室に謀る者有り。故に夫子知らざる者と為して言う。此れ必ず季氏の家事のみ。若し是れ国政ならば、我嘗て大夫たり、用いられずと雖も、猶お当に与り聞くべし。今既に聞かざれば、則ち是れ国政に非ざるなり。語意は魏徵の献陵の対と略〻ほぼ相似たり。其の名分を正しくし、季氏を抑えて、冉有を教うる所以の意深し」(以、用也。禮、大夫雖不治事、猶得與聞國政。是時季氏專魯、其於國政、蓋有不與同列議於公朝、而獨與家臣謀於私室者。故夫子爲不知者而言。此必季氏之家事耳。若是國政、我嘗爲大夫、雖不見用、猶當與聞。今既不聞、則是非國政也。語意與魏徵獻陵之對略相似。其所以正名分、抑季氏、而教冉有之意深矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子其の漸く長ず可からざるを知る。故に特に顕白して之を言う。独り季氏をいましめ冉有を教うるのみならず、亦た此の義をして天下万世にくらからしめんと欲す。蓋し春秋の意なりと云う」(夫子知其漸不可長。故特顯白言之。不獨警季氏教冉有、亦欲使此義不晦於天下萬世。蓋春秋之意云)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「馬融曰く、政とは改更匡正する所有り。事とは凡そ常事を行う、と。是れ古来相伝の説にして、う可からず。朱註曰く、政は国政、事は家事、と。非なり」(馬融曰、政者有所改更匡正。事者凡行常事。是古來相傳之説、不可易矣。朱註曰、政國政、事家事。非矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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