子路第十三 13 子曰苟正其身矣章
315(13-13)
子曰、苟正其身矣、於從政乎何有。不能正其身、如正人何。
子曰、苟正其身矣、於從政乎何有。不能正其身、如正人何。
子曰く、苟くも其の身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。其の身を正しくする能わずんば、人を正しくするを如何せん。
現代語訳
- 先生 ――「わが身を正しくさえすれば、政治をするのもわけはない。わが身が正せないようで、なんで他人が正せよう。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「もしも自分の一身を正しくすることができるならば、政治の局に当るなどは何でもないことじゃ。自分の一身すら正しくすることができないで、どうして人を正しくすることができようぞ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「もし自分の身を正しくすることができるなら、政治の局に当ってもなんの困難があろう。もし自分の身を正しくすることができないなら、どうして人を正しくすることができよう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 苟 … 「いやしくも」と読み、「もし~だったら」「かりに~」と訳す。順接の仮定条件の意を示す。
- 正其身矣 … 自分の身を正しくさえすれば。「矣」は強調を表す助字。
- 於従政乎 … 政治を行なうことについて。「乎」は置字。読まない。
- 何有 … 「なにかあらん」と読み、「何の困難があろうか、何の困難もない」と訳す。反語形。「何の難きことか之れ有らん」(何難之有)を省略した形。
- 如正人何 … どうして人を正すこと、すなわち、よい政治をすることができようか、できるはずがない。「如~何」は「~をいかんせん」と読み、「~をどうすることができようか、どうすることもできまい」と訳す。反語形。なお、「何如」は「如何」と違い、間に目的語をはさむことはない。
補説
- 『注疏』に「此の章は政とは正すを言うなり」(此章言政者正也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集解』には、この章の注なし。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集注』には、この章の注なし。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 苟正其身矣、於従政乎何有 … 『義疏』に「苟は、誠なり。言うこころは誠に能く自ら其の身を正しくせば、則ち政を為すこと難からず。故に何か有らんと云う」(苟、誠也。言誠能自正其身、則爲政不難。故云何有)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「他人を正さんと欲せば、先ず其の身を正すに在るなり。苟は、誠なり。誠に能く自ら其の身を正しくせば、則ち政に従うに於いて何か有らん。難からざるを言うなり」(欲正他人、在先正其身也。苟、誠也。誠能自正其身、則於從政乎何有。言不難也)とある。
- 不能正其身、如正人何 … 『義疏』に「其の身正しからざれば、令すと雖も従われず。故に云う、人を正すを如何せん、と。故に江熙云う、政に従う者は、人を正すを以て事と為すなり。身正しからざれば、那ぞ能く人を正さんや、と」(其身不正、雖令不從。故云、如正人何也。故江熙云、從政者、以正人爲事也。身不正、那能正人也)とある。また『注疏』に「若し自ら其の身を正すこと能わずんば、則ち令すと雖も従わず。人を正すを如何せんとは、必ず人を正すこと能わざるを言うなり」(若自不能正其身、則雖令不從。如正人何、言必不能正人也)とある。
- 如正人何 … 宮崎市定は「政を如何せん」(如政何)に改め、「正人の二字は恐らく政一字の誤りかと思われる。……果して然りとすれば、後半と前半とがよく照應する」と言っている。詳しくは『論語の新研究』298頁参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ亦た人を治むるの常道を言う。故に論語を編む者、其の屢〻見して数〻出づることを厭わざるなり」(此亦言治人之常道。故編論語者、不厭其屢見而數出也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「饒氏魯曰く、従政と為政と同じからず。為政は是れ人君の事、従政は是れ大夫の事、と。非なり。為政とは政を秉るを謂うなり」(饒氏魯曰、從政與爲政不同。爲政是人君事、從政是大夫事。非矣。爲政者謂秉政也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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