子路第十三 6 子曰其身正章
308(13-06)
子曰、其身正、不令而行。其身不正、雖令不從。
子曰、其身正、不令而行。其身不正、雖令不從。
子曰く、其の身正しければ、令せずして行わる。其の身正しからざれば、令すと雖も従われず。
現代語訳
- 先生 ――「この身が正しければ、命令しなくてもやる。この身がよこしまだと、命令してもやらない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「政治をするには、上に立つ人の品行が第一じゃ。その行状が正しくて衆人の模範になるようならば、命令せずとも行われるが、不正をはたらきながらいくら命令しても、人民は服従しない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「上に立つ者が身を正しくすれば、命令を下さないでも道が行われるし、身を正しくしなければ、どんなに厳しい命令を下しても、人民はついてくるものではない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 其身 … 為政者として人の上に立つ者自身。
- 不令 … 命令しなくても。「令せずとも」「令せざれども」と読んでもよい。
- 雖 … 「~といえども」と読み、「たとえ~であっても」「かりに~であっても」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。
- 不従 … 「従わず」とも読む。人民が服従しない。
補説
- 『注疏』に「此の章は為政者は当に身を以て先んずべきを言うなり」(此章言爲政者當以身先也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集注』には、この章の注なし。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 其身正、不令而行 … 『集解』の何晏の注に「令は、教令なり」(令、教令也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「直形にして影自ら直きが如し。范寧云う、上能く己を正して、以て物を率いれば、則ち下令せずして自ら従うなり」(如直形而影自直。范寧云、上能正己以率物、則下不令而自從也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは上の人、其の身若し正しければ、教令に在らず、民は自ら化を観て之を行う」(言上之人、其身若正、不在教令、民自觀化而行之)とある。
- 其身不正、雖令不従 … 『義疏』に「曲表にして直影を求むるが如く、影終に直ならざるなり。范寧云う、上理僻を行いて下を制するに正ならしむるは、猶お邪表を立てて直影を責むるがごとく、猶お東行して郢を求むるがごとし。而して此れ年を終うるまで得ず、と」(如曲表而求直影、影終不直也。范寧云、上行理僻而制下使正、猶立邪表責直影、猶東行求郢。而此終年不得矣)とある。また『注疏』に「其の身若し正しからざれば、教令は滋章なりと雖も、民は亦た従わざるなり」(其身若不正、雖教令滋章、民亦不從也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ聖賢人を治むるの常法、此くの如くならずして能く人を治むる者は、未だ之れ有らざるなり。蓋し先王の治は、徳に詳らかにして、法に略せり。法の恃むに足らざるを知ればなり」(此聖賢治人之常法、不如此而能治人者、未之有也。蓋先王之治、詳于德、而略于法。知法之不足恃也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「古書に所謂身とは、皆己を謂うなり。人に対し事に対して言う。……宋儒は動もすれば身心を以て相対して工夫を立つ。浮屠の学なり。……何となれば、孔子の時、先王の道亡ぶと雖も猶お在り、故に特に此れを言いて以て人君を責むるのみ」(古書所謂身、皆謂己也。對人對事而言。……宋儒動以身心相對立工夫。浮屠之學也。……何則、孔子之時、先王之道雖亡乎猶在、故特言此以責人君已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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