子路第十三 7 子曰魯衞之政章
309(13-07)
子曰、魯衞之政、兄弟也。
子曰、魯衞之政、兄弟也。
子曰く、魯・衛の政は兄弟なり。
現代語訳
- 先生 ――「魯の国と衛の国の政治は、きょうだいみたいだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「魯は周公の後、衛は周公の弟康叔の後であって、元来が兄弟の国だが、はじめ魯の国を立つるや、『尊きを尊び、親しきを親しみ』、衛の国を立つるや、『徳を明かにし、罰を慎み』、道行われ国治まれることにおいて正に兄弟の国であった。しかるに今日の魯と衛とは、道すたれ、国乱れたることにおいて正に兄弟の国である。何ともなげかわしいことじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「魯の政治と衛の政治とはやはり兄弟だな」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は孔子魯・衛二国の政の相似たること周公・康叔の兄弟たるが如きを評論するなり」(此章孔子評論魯衞二國之政相似如周公康叔之爲兄弟也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 魯衛之政、兄弟也 … 『集解』に引く包咸の注に「魯は、周公の封、衛は、康叔の封なり。周公・康叔は既に兄弟たり。康叔は周公に睦み、其の国の政も亦た兄弟の如きなり」(魯、周公之封、衞、康叔之封也。周公康叔既爲兄弟。康叔睦於周公、其國之政亦如兄弟也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「魯は是れ周公の封なり。衛は是れ康叔の封なり。周公・康叔は是れ兄弟なり。周公の初時に当たりては、則ち二国の風化、政も亦た倶に能く治化すること兄弟の如し。周末に至りて、二国の風化倶に悪く、亦た兄弟の如し。故に衛瓘云う、治乱略〻同じきを言うなり、と」(魯是周公之封。衞是康叔之封。周公康叔是兄弟。當周公初時、則二國風化、政亦倶能治化如兄弟。至周末、二國風化倶惡、亦如兄弟。故衞瓘云、言治亂略同也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「魯は、周公の封、衛は、康叔の封なり。周公・康叔は既に兄弟たれば、康叔周公に睦み、其の国の政も亦た兄弟の如きなり」(魯、周公之封、衞、康叔之封。周公康叔既爲兄弟、康叔睦於周公、其國之政亦如兄弟也)とある。また『集注』に「魯は、周公の後、衛は、康叔の後にして、本と兄弟の国なり。而して是の時衰乱して、政も亦た相似たり。故に孔子之を歎く」(魯、周公之後、衞、康叔之後、本兄弟之國。而是時衰亂、政亦相似。故孔子歎之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「魯は周公の後、衛は康叔の後にして、本は兄弟の国なり。而して是の時二国、衰乱之れ甚だしと雖も、然れども猶お二公の遺風有り。故に兄弟なりと曰う。亦た魯一変せば、道に至らんの意なり。其の当時に在りて、誰か謂わん、斉・晋の強き、魯・衛の弱きに如かずと。然れども魯、斉・晋に後れて亡び、衛の子孫、漢に至りて猶お在れば、則ち王沢の遠き、亦た誣う可からざるなり。聖人の言、信ず可きかな」(魯周公之後、衞康叔之後、本兄弟之國。而是時二國、雖衰亂之甚、然猶有二公之遺風。故曰兄弟也。亦魯一變、至於道之意。其在當時、誰謂齊晉之強、不如魯衞之弱。然魯後齊晉而亡、衞之子孫、至漢猶在、則王澤之遠、亦不可誣也。聖人之言、可信也夫)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「仁斎先生曰く、亦た魯一変せば道に至らんの意、と。善く論語を解すと謂う可きのみ。蓋し孔子魯を去り、而うして衛に居るの日独り多し。門人も亦た衛人多し。而うして衛に君子多きは、豈に然らざらんや」(仁齋先生曰、亦魯一變至於道之意。可謂善解論語已。蓋孔子去魯、而居衞之日獨多。門人亦多衞人。而衞多君子、豈不然乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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