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先進第十一 12 閔子侍側章

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閔子侍側、誾誾如也。子路行行如也。冉有子貢侃侃如也。子樂。若由也、不得其死然。
びんかたわらす、誾誾如ぎんぎんじょたり。子路しろ行行如こうこうじょたり。冉有ぜんゆうこう侃侃如かんかんじょたり。たのしむ。ゆうごときは、ざらん。
現代語訳
  • 閔(ビン)先生はおそばで、チンとすましている。子路はキッとかまえている。冉(ゼン)有・子貢は、ニコニコくつろいでいる。先生もうれしそう。(だが)「由くんみたいだと、死にぎわが心配だな。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • びんけんが行儀よく、子路しろつよそうに、冉有ぜんゆうこうとが楽しげに、おそばべっている。孔子様もうれしそうだ。しかし子路のこの気性では畳の上では死ねまい、と常に心配しておられた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • びん先生はものやわらかな態度で、子路はごつごつした態度で、冉有と子貢とはしゃんとした態度で、先師のおそばにいた。先師はうれしそうにしていられたが、ふと顔をくもらせていわれた。――
    ゆうのような気性だと、畳の上では死ねないかも知れないね」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 閔子 … 前536~前487。姓はびん。名は損。あざなは子騫。孔門十哲のひとり。孔子より十五歳年少。魯の人。徳行にすぐれ、また孝行者でもあった。ウィキペディア【閔子騫】参照。
  • 側 … そば。わき。
  • 侍 … 目上の人のそばに控える。侍坐する。
  • 誾誾如 … なごやかに中正の議論をする。おだやかに是非を論じる。
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 行行如 … 剛強なさま。意地っ張り。
  • 冉有 … 前522~?。孔門十哲のひとり。姓は冉、名は求。あざなは子有。政治的才能があり、季氏の宰(家老)となった。孔子より二十九歳年少。冉求、冉子とも。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 侃侃如 … なごやかなさま。おだやかなさま。
  • 子楽 … 孔子は楽しそうであった。
  • 若由也 … 由のような気性では。「由」は子路の名。
  • 不得其死然 … 穏やかな死に方はできまい。「然」は、ここでは助詞。読まない。
補説
  • 閔子騫 … 『孔子家語』七十二弟子解に「閔損びんそんひとあざなは子騫。孔子よりわかきこと十五歳。徳行を以て名を著す。孔子其の孝なるをたたう」(閔損魯人、字子騫。少孔子十五歳。以德行著名。孔子稱其孝焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「閔損、字は子騫。孔子より少きこと十五歳。孔子曰く、孝なるかな閔子騫。人、其の父母昆弟こんていの言をかんせず、と。大夫に仕えず、くんの禄をまず。如し我をふたたびする者有らば、必ずぶんほとりに在らん、と」(閔損字子騫。少孔子十五歳。孔子曰、孝哉閔子騫。人不閒於其父母昆弟之言。不仕大夫、不食汙君之祿。如有復我者、必在汶上矣)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 閔子 … 『義疏』では「閔子騫」に作る。
  • 侍側 … 『義疏』に「卑者尊者の側に在るを侍と曰う。此れ子騫孔子の座の側に侍するを明らかにするなり」(卑者在尊者之側曰侍。此明子騫侍於孔子座側也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 誾誾如也 … 『義疏』に「誾誾は、中正なり。子騫の性は中正なり」(誾誾、中正也。子騫性中正也)とある。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 行行如也 … 『義疏』に「亦た孔子の座の側に侍するなり。行行は、剛強の貌なり。子路の性は剛強なり」(亦侍孔子座側也。行行、剛強貌也。子路性剛強也)とある。また『集注』に「行行は、剛強の貌」(行行、剛強之貌)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 冉有 … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 冉有子貢侃侃如也 … 『義疏』に「此の二人も亦た側に侍するなり。侃侃は、和楽なり。二子並びに和楽なり」(此二人亦侍側也。侃侃、和樂也。二子竝和樂也)とある。
  • 子楽 … 『集解』に引く鄭玄の注に「各〻其の性を尽くすを楽しむなり。行行は、剛強の貌なり」(樂各盡其性也。行行、剛強之貌也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子四子の各〻其の性を極めて、情を隠す所無きを見る。故に我も亦た懽楽するなり」(孔子見四子之各極其性無所隱情。故我亦懽樂也)とある。また『集注』に「子楽しむとは、英材を得て之を教えやしなうを楽しむ」(子樂者、樂得英材而教育之)とある。
  • 若由也 … 『義疏』では「曰若由也」に作る。
  • 不得其死然 … 『集解』に引く孔安国の注に「寿を以て終わるを得ざるなり」(不得以壽終也)とある。また『義疏』に「孔子は子路のみ独り剛強なるを見る。故に此の言を発するなり。由は、子路の名なり。其の死を得ざること然りとは、必ず寿を得ずして終わるを謂うなり。後、果たして衛の乱に死せり」(孔子見子路獨剛強。故發此言也。由、子路名也。不得其死然、謂必不得壽終也。後果死衛亂也)とある。また『集注』に引く尹焞の注に「子路剛強、其の死を得ざるの理有り。故に因りて以て之を戒む」(子路剛強、有不得其死之理。故因以戒之)とある。また『集注』に「其の後子路卒に衛の孔悝こうかいの難に死せり」(其後子路卒死於衞孔悝之難)とある。また『集注』に引く洪興祖の注に「漢書此の句を引くに、上に曰の字有り」(漢書引此句、上有曰字)とある。また『集注』に「或ひと云う、上文の楽の字、即ち曰の字の誤り、と」(或云、上文樂字、即曰字之誤)とある。
  • 不得 … 『義疏』では「不待」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子の門弟子に於ける、道並び行われて相もとらず。各〻其の材に因りて之を成すこと、是に於いて見る可し。但し子路の行行たるが如きは、聖門中和の気象に非ず。故に因りて以て之を戒む。……而して四子の賢は、皆道を任ずるの器、待つこと有るの材、夫子唐虞三代の盛んなるにかえさんと欲するの意をすること有り。故に楽しむ」(夫子之於門弟子、道並行而不相悖。各因其材而成之、於是可見矣。但如子路之行行、非聖門中和之氣象。故因以戒之。……而四子之賢、皆任道之器、有待之材、有慰乎夫子欲反唐虞三代之盛之意。故樂焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「其の死を得じ(然)、邢昺けいへい曰く、然は猶お焉のごときなり、と。之を得たり。羿げいごう其の死を得ず(然)、以てちょうす可きのみ」(不得其死然、邢昺曰、然猶焉也。得之。羿奡不得其死然、可以徴已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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