>   論語   >   先進第十一   >   9

先進第十一 9 顏淵死第三章

262(11-09)
顏淵死。子哭之慟。從者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之爲慟、而誰爲。
顔淵がんえんす。これこくしてどうす。じゅうしゃいわく、どうせりと。いわく、どうするるか。ひとためどうするにあらずして、ためにかせんと。
現代語訳
  • 顔淵が死ぬと、先生はなげいて泣きくずれた。供の者が ―― 「先生お泣きでしたね。」先生 ――「泣いたか…。あの男のために泣かなかったら、だれのために泣こう。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 顔淵が死んだ。孔子様がとるものもとりあえずその家にけつけ、霊前で声を上げて「哭」されたのみならず、身もだえして前後不覚に絶え入るばかり「慟」された。孔子様としてはめずらしいことなので、帰宅されてからお供に行った内弟子が、「先生は先刻慟哭どうこくなさいました。」と告げたら、孔子様がおっしゃるよう、「そうか、慟哭したか。あの人のために慟哭しないで、誰のために慟哭しようぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 顔淵が死んだ。先師はその霊前で声をあげて泣かれ、ほとんど取りみだされたほどの悲しみようであった。おともの門人が、あとで先師にいった。――
    「先生も今日はお取りみだしのようでしたね」
    先師がこたえられた。――
    「そうか。取りみだしていたかね。だが、あの人のためになげかないで、誰のためになげこう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 顔淵 … 前521~前490頃。孔子の第一の弟子、顔回。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 哭 … 大声をあげて泣く。
  • 慟 … ひどく悲しむ。
  • 従者 … お供をした門人たち。
  • 子慟矣 … 先生は先ほど泣き崩れられましたね。
  • 曰、有慟乎 … 孔子はあまりの悲しみに自分の態度に気づかず、思わず発したことば。そうか。私は慟哭していたかね。
  • 夫人 … 「かのひと」と読む。顔淵を指す。
  • 誰為 … 誰のために慟哭しようか。ほかに慟哭すべき人はない。反語の形。
補説
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 顔淵死。子哭之慟 … 『集解』に引く馬融の注に「慟は、哀しむことの過ぎたるなり」(慟、哀過也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「顔淵死し、孔子顔家に往きて之を哭するを謂うなり。慟は、哀しみの甚だしきを謂うなり。既に己を喪ぼすが如し。慟する所以なり。郭象云う、人哭するも亦た哭し、人慟するも亦た慟す。蓋し情無き者は与に物化するなり、と。繆協曰く、聖人の体、哀楽無けれども、能く哀楽を以て体と為し、過を失わざるなり、と」(謂顏淵死、孔子往顏家哭之也。慟、謂哀甚也。旣如喪己。所以慟也。郭象云、人哭亦哭、人慟亦慟。蓋無情者與物化也。繆協曰、聖人體無哀樂、而能以哀樂爲體、不失過也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「慟は、過ぎて哀しむなり。夫子顔淵を哭し、其の悲哀することの過ぎて甚だしきを言うなり」(慟、過哀也。言夫子哭顏淵、其悲哀過甚)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「慟すは、哀しみの過ぐるなり」(慟、哀過也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 従者曰、子慟矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「自ずから己の悲哀の過ぎたるを知らざるなり」(不自知己之悲哀過也)とある。また『義疏』に「従者は、諸弟子を謂うなり。孔子に随いて顔淵の家に往く者、孔子の哀しみの甚だしきを見る。故に云う、子慟せり、と」(從者、謂諸弟子也。隨孔子往顏淵家者、見孔子哀甚。故云、子慟矣)とある。また『注疏』に「従者は、衆弟子なり。夫子の哀しむことの過ぐるを見る、故に告げて曰く、子慟せり、と」(從者、衆弟子。見夫子哀過、故告曰、子慟矣)とある。
  • 曰、有慟乎 … また『注疏』に「時に夫子自らは己の悲哀することの過ぐるを知らず。故に答えて曰く、慟する有るか、と」(時夫子不自知己之悲哀過。故答曰、有慟乎邪)とある。また『集注』に「哀傷の至り、自ら知らざるなり」(哀傷之至、不自知也)とある。
  • 曰、有慟乎 … 『義疏』では「子曰、有慟乎」に作る。
  • 非夫人之為慟、而誰為 … 『義疏』に「初め既に自ら知らず。又た諸弟子に向かいて、慟する所以の意を明らかにするなり。夫の人は、顔淵を指すなり。言うこころは若し顔淵の為に哀慟せずんば、応に誰が為にすべけんや。慟するを言うなり」(初旣不自知。又向諸弟子、明所以慟意也。夫人、指顏淵也。言若不爲顏淵哀慟、而應爲誰耶。言慟也)とある。また『注疏』に「弟子己の悲哀することの過ぎて甚だしきを言うに因り、遂に己の過ぎて哀しむも亦た理に当たり、失うに非ざるを説くなり。夫の人は、顔淵を謂う。言うこころは顔淵に於いて之を哭して慟を為さずして、更に誰人たれびとに於いて慟を為さんや」(因弟子言己悲哀過甚、遂説己之過哀亦當於理、非失也。夫人、謂顏淵。言不於顏淵哭之爲慟、而更於誰人爲慟乎)とある。また『集注』に「の人は、顔淵を謂う。言うこころは其の死惜しむ可ければ、之を哭すること宜しく慟すべし。他人の比に非ざるなり」(夫人、謂顏淵。言其死可惜、哭之宜慟。非他人之比也)とある。また『集注』に引く胡寅の注に「痛惜の至りにして、施すこと其の可に当たる。皆情性の正しきなり」(痛惜之至、施當其可。皆情性之正也)とある。
  • 誰爲 … 『義疏』では「誰爲慟」に作る。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、宜しく哀しむべくして哀しみ、宜しく楽しむべくして楽しむは、皆人情の已むこと能わざる所にして、聖人と雖も、以て人に異なること無し。故に人情は、聖人の廃せざる所なり。苟くも其の節にたれば、則ち天下の達道と為り、其の節に中たらざれば、則ち一人の私情と為り、之を人情に求めて、安んぜざる所の者は、聖人為さざるなり。故に情を滅すと情をほしいままにするとは、其の罪たることやひとし。大学の書に曰く、心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず、と。宋儒此にりて、遂に聖人の心を以て、静虚と為し、無欲と為し、明鏡止水と為して、聖人の心、仁愛を以て体と為し、礼儀を所と為し、天下万世人倫の至りたることを知らざるなり。若し大学を以て之を視れば、則ち夫子顔子を哭して、自ら其の慟を覚えざるは、心焉に在らずと為ることを免れず。故に予嘗て大学を以て、孔子の遺書に非ずと為る者は、此れが為なり」(論曰、宜哀而哀、宜樂而樂、皆人情之所不能已、而雖聖人、無以異于人。故人情者、聖人之所不廢也。苟中其節、則爲天下之達道、不中其節、則爲一人之私情、求之人情、而所不安者、聖人不爲也。故滅情與縱情、其爲罪也均矣。大學書曰、心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。宋儒繇此、遂以聖人之心、爲靜虚、爲無欲、爲明鏡止水、而不知聖人之心、以仁愛爲體、禮儀爲所、爲天下萬世人倫之至也。若以大學視之、則夫子哭顏子、不自覺其慟、不免爲心不在焉。故予嘗以大學、爲非孔子之遺書者、爲此也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十