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先進第十一 8 顏淵死第二章

261(11-08)
顏淵死。子曰、噫、天喪予、天喪予。
顔淵がんえんす。いわく、ああてんわれほろぼせり、てんわれほろぼせり。
現代語訳
  • 顔淵が死んだ。先生 ――「アア。わしも運のつき。運のつきじゃ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 顔淵が死んだ。孔子様がなげき悲しんでおっしゃるよう、「ああ天がわしを亡ぼした。天がわしを亡ぼした。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 顔淵が死んだ。先師がいわれた。――
    「ああ、天は私の希望を奪った。天は私の希望を奪った」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 顔淵 … 前521~前490頃。孔子の第一の弟子、顔回。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 噫 … 感動詞。「ああ」と読む。
  • 天 … 天の神。天帝。
  • 予 … 「われ」と読む。「余」に同じ。「よ」と読んでもよい。
  • 喪 … 破滅させる。見放す。
補説
  • 『注疏』に「噫は、痛傷の声なり。天予を喪ぼすとは、孔子顔淵の死を痛惜し、天の己を喪ぼすが若きを言うなり。之を再言するは、痛惜することの甚だしきなり」(噫、痛傷之聲。天喪予者、孔子痛惜顏淵死、言若天喪己也。再言之者、痛惜之甚)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 顔淵死。子曰、噫 … 『集解』に引く包咸の注に「噫は、傷痛の声なり」(噫、傷痛聲)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「噫は、痛傷の声なり。淵死し、使いを遣わして孔子に報ぜしむ。孔子之を傷痛す。故に云う、噫、と」(噫、痛傷之聲也。淵死、遣使報孔子。孔子傷痛之。故云、噫也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「噫は、傷痛の声」(噫、傷痛聲)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 天喪予、天喪予 … 『集解』の何晏の注に「天予を喪ぼせりとは、己を喪ぼすが若きなり。之を再言するとは、之を痛惜すること甚だしければなり」(天喪予者、若喪己也。再言之者、痛惜之甚也)とある。また『義疏』に「喪は、猶お亡のごときなり。予は、我なり。夫れ聖人の世に出づるや、必ず賢輔をたん。天の将に雨を降らさんとするや、必ず先ず山沢雲を出だすが如し。淵未だ死せざれば、則ち孔道猶おこいねがう可し。縦い君と為らずとも、則ち亦た共に教化を為すを得ん。今、淵既に死す。是れ孔道も亦た亡ぶ。故に云う、天我を喪ぼせり、と。劉歆云う、顔は是れ亜聖人の偶なり、然れば則ち顔孔は自然の対物、一気の別形、玄妙の以て蔵寄する所、道旨の由りて讃明する所なり、顔淵死を叙ぶる、則ち夫子の体欠く、故に曰く、天予を喪ぼす、と。噫は、まことに実を率いるの情、過痛の辞に非ず。将に聖賢の域を求めんとせば、宜しく此れより之をさとるべきなり、と。繆播曰く、夫れ竿を投じて深さを測れば、安くんぞ江海のはるかなること有ることを知らん。なんとなれば、倶に其の極を究めざるなり。ここを以て西河の人は、子夏を疑いて夫子と為す、武叔は子貢を仲尼よりまされりとす、斯れ其の類に非ずや。顔回は形を尽くす、形外は神なり、故に孔子の理を知ることは回に在り、淵を知ることは亦た唯だ孔子なり、と」(喪、猶亡也。予、我也。夫聖人出世也、必須賢輔。如天將降雨必先山澤出雲。淵未死、則孔道猶可冀。縱不爲君、則亦得共爲敎化。今淵旣死。是孔道亦亡。故云、天喪我也。劉歆云、顏是亞聖人之偶、然則顏孔自然之對物、一氣之別形、玄妙所以藏寄、道旨所由讚明、叙顏淵死、則夫子體缺、故曰天喪予。噫、諒率實之情、非過痛之辭。將求聖賢之域、宜自此覺之也。繆播曰、夫投竿測深、安知江海之有懸也。何者、倶不究其極也。是以西河之人、疑子夏爲夫子、武叔賢子貢於仲尼、斯非其類耶。顏回盡形、形外者神、故知孔子理在回、知淵亦唯孔子也)とある。また『集注』に「道の伝無きを悼むこと、天、己を喪ぼすが若きなり」(悼道無傳、若天喪己也)とある。
  • 宮崎市定は「顔淵が死んだ。子曰く、ああ、お天道さまは私を亡す気か、私は死んでしまったも同然だ」と訳している(『論語の新研究』)。
  • 安井息軒『論語集説』に「時に孔子既に老ゆ。復た仕うるを求めず。斯の道の任、顔子に在り。而して顔子則ち死す。是れ孔子の道、終に天下に行われざるなり。道の天下に行われざるは、己の死と同じ。故に曰く、天予を喪ぼせり、と」(時孔子旣老。不復求仕。斯道之任在顏子。而顏子則死。是孔子之道、終不行於天下也。道不行於天下、與己死同。故曰、天喪予)とある。『論語集説』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「顔子の死は、実に道の興廃に係りて、惟だの躬の不幸のみに非ず。故に夫子其の歎きを同じうす。顔子も亦た大なるかな」(顏子之死、實係于道之興廢、而非惟厥躬之不幸。故夫子同其歎。顏子亦大矣哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「天予を喪ぼす、朱註に、道伝わること無きをいたむ、と。宋儒なるかな。夫れ聖人の興るは、必ず毗輔ひほ有り。苟くも毗輔無くんば、聖人と雖も何ぞ能く一人を以てんや。故に顔子の死、天意知る可し。是れいたむ所以なり。しからずんば、子路の死、天祝の嘆、其れ之を何と謂わん。何ぞ必ずしもようを皆妄なりと謂わんや」(天喪予、朱註、悼道無傳。宋儒哉。夫聖人之興、必有毗輔。苟無毗輔、雖聖人何能以一人爲乎。故顏子之死、天意可知。是所以傷也。不爾、子路之死、天祝之嘆、其謂之何。何必謂公羊皆妄乎)とある。毗輔は、助けること。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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