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先進第十一 1 子曰先進於禮樂章

254(11-01)
子曰、先進於禮樂、野人也。後進於禮樂、君子也。如用之、則吾從先進。
いわく、先進せんしん礼楽れいがくけるや、じんなり。後進こうしん礼楽れいがくけるや、くんなり。これもちうれば、すなわわれ先進せんしんしたがわん。
現代語訳
  • 先生 ――「昔の人は礼儀や音楽に、骨っぽさがあった。今の人は礼儀や音楽に、上品一方だ。それをえらぶとなれば、わしは昔流にやる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「昔の人の礼楽に対する態度は、いなか者的質朴しつぼくであった。今の人の礼楽に対する態度は、紳士的華美である。いずれも完全ではないが、もしどちらか一つによれというなら、わしは昔流儀に従おう。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「礼楽の道において、昔の人は土くさい野人、今の人は磨きのかかった上流人、と、そう世間で考えるのも一応もっともだ。しかし、もし私がそのいずれか一つを選ぶとすると、私は昔の人の歩んだ道を選びたい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 先進 … (周初の)先輩たち。
  • 礼楽 … 礼儀と音楽に対する態度。
  • 野人 … 田舎者。素朴な人。
  • 後進 … (周末の)後輩たち。
  • 君子 … 洗練された人。紳士的。
  • 如 … もし。「若」に同じ。
  • 用之 … どちらか一方の態度を選ぶとすれば。「之」は、礼楽を指す。
補説
  • 先進第十一 … 『集解』に「鄭は廿三章、皇は廿四章」(鄭廿三章、皇廿四章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「先進とは、此の篇、弟子の業を受くる者に進むるの先後を明らかにするなり。前に次ぐ所以の者は、既に還りて郷党に教うれば、則ち業を受くる者に進むるは、宜しく先後有るべし。故に先進は郷党に次ぐなり」(先進者、此篇、明弟子進受業者先後也。所以次前者、旣還敎鄉黨、則進受業者、宜有先後。故先進次鄉黨也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「前篇は夫子郷党に在りて聖人の行いを論ずるなり。蓋し此の篇は弟子の賢人の行いを論ず。聖賢相次ぐも、亦た其の宜しきなり」(前篇論夫子在鄉黨聖人之行也。蓋此篇論弟子賢人之行。聖賢相次、亦其宜也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「此の篇は多く弟子の賢否を評す。凡そ二十五章」(此篇多評弟子賢否。凡二十五章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く胡寅の注に「此の篇は閔子騫の言行を記す者四。而して其の一は直だ閔子と称するのみ。疑うらくは閔氏の門人記す所ならん」(此篇記閔子騫言行者四。而其一直稱閔子。疑閔氏門人所記也)とある。
  • 『注疏』に「此の章は孔子其の弟子の中の仕進の先後の輩を評するなり」(此章孔子評其弟子之中仕進先後之輩也)とある。
  • 先進於礼楽、野人也。後進於礼楽、君子也 … 『集解』に引く孔安国の注に「先進・後進は、士の先後の輩を謂うなり。礼楽は、世に因りて損益す。後進は礼楽と倶に時の中を得たり。れ君子なり。先進は古風有り。斯れ野人なり」(先進後進、謂士先後輩也。禮樂、因世損益。後進與禮樂倶得時之中。斯君子矣。先進有古風。斯野人也)とある。また『義疏』に「此れ孔子将に淳に還り素に反らんことを欲せんとす。古えを重んじ今を賤しむ。故に礼楽に君子、野人の異なること有るなり。先進・後進とは、先後の輩人を謂うなり。先輩は、五帝以上を謂うなり。後輩は、三王以還を謂うなり。礼楽に進む者は、其の時の輩人、礼楽に進行する者を謂うなり。野人は、質朴の称なり。君子は、時に会するの目なり。孔子言う、今人の文を以て古えを観る、古えは質にして今は文なり、と。文は則ち能く時の中に随う。此の故に当世の人君子と為るなり。質は則ち朴素にして俗に違う。是の故に当世の人野人と為るなり」(此孔子將欲還淳反素。重古賤今。故禮樂有君子野人之異也。先進後進者、謂先後輩人也。先輩、謂五帝以上也。後輩、謂三王以還也。進於禮樂者、謂其時輩人進行於禮樂者也。野人、質朴之稱也。君子、會時之目也。孔子言、以今人文觀古、古質而今文。文則能隨時之中。此故爲當世之人君子也。質則朴素而違俗。是故爲當世之人野人也)とある。また『注疏』に「先進は、先輩の仕進の人を謂う。礼楽にのっとるも、世に因りて損益すること能わずして、古風有り、故に朴野の人と曰うなり。後進は、後輩の仕進の人を謂うなり。礼楽に準り、能く時に因りて損益し、礼楽と倶に時の中を得たり、故に君子の人と曰うなり」(先進、謂先輩仕進之人。準於禮樂、不能因世損益、而有古風、故曰朴野之人也。後進、謂後輩仕進之人也。準於禮樂、能因時損益、與禮樂倶得時之中、故曰君子之人也)とある。また『集注』に「先進後進は、猶お前輩後輩と言うがごとし。野人は、郊外の民を謂う。君子は、賢士大夫を謂うなり」(先進後進、猶言前輩後輩。野人、謂郊外之民。君子、謂賢士大夫也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「先進の礼楽に於けるは、文質の宜しきを得るも、今反って之を質朴と謂いて、以て野人と為す。後進の礼楽に於けるは、文其の質に過ぐるも、今反って之を彬彬ひんぴんと謂いて、以て君子と為す。蓋し周の末は文勝り、故に時人の言此くの如く、自らは其の文に過ぐるを知らざるなり」(先進於禮樂、文質得宜、今反謂之質朴、而以爲野人。後進之於禮樂、文過其質、今反謂之彬彬、而以爲君子。蓋周末文勝、故時人之言如此、不自知其過於文也)とある。
  • 如用之、則吾従先進 … 『集解』に引く包咸の注に「将に風を移し俗を易え、之を純素に帰せんとす。先進は猶お古風に近し。故に之に従うなり」(將移風易俗、歸之純素。先進猶近古風。故從之也)とある。また『義疏』に「如は、猶お若のごときなり。若し方に先後の二時に比して、而して教えと為すを用うれば、則ち我先進の者に従うなり。然る所以の者は、古えは純素たり。故に従いのっとる可きなり」(如、猶若也。若比方先後二時而用爲教、則我從先進者也。所以然者、古爲純素。故可從式也)とある。また『注疏』に「言うこころは如し其れ之を用いて以て治を為さば、則ち吾は先輩朴野の人に従わん。夫子の意は、将に風を移し俗を易え、之を淳素に帰せんとす。先進は猶お古風に近し、故に之に従うなり」(言如其用之以爲治、則吾從先輩朴野之人。夫子之意、將移風易俗、歸之淳素。先進猶近古風、故從之也)とある。また『集注』に「之を用うは、礼楽を用うるを謂う。孔子既に時人の言を述べ、又た自ら其の此くの如くなるを言う。蓋し過ぎたるを損して以て中に就かしめんと欲するなり」(用之、謂用禮樂。孔子旣述時人之言、又自言其如此。蓋欲損過以就中也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、世道の升降は、細なりと雖も関する所、甚だ大なり。故に夫子風俗の変革に於いては、つねに深く慨歎を寄す。学者の当に之を詳らかにすべき所なり。此の章に由りて之を観れば、世に伝うる所の逸礼・戴記等の書は、頗るはんじょくやぶる。且つ論孟と合わざる者有り。之を先王の遺意有りと謂わば、則ち可なり。之を先進の礼と謂わば、則ち未だ可ならざるなり、と」(論曰、世道之升降、雖細所關、甚大矣。故夫子於風俗變革、毎深寄慨歎焉。學者所當詳之也。由此章觀之、世所傳逸禮戴記等書、頗傷繁縟。且有與論孟不合者。謂之有先王之遺意、則可。謂之先進之禮、則未可也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「先進・後進、孔安国曰く、仕うるの先後の輩を謂うなり、と。朱子仕の字をけずる。非なり。蓋し是れ進士の進なり。……是れ士の郷党より官にのぼる、之を進と謂う。仕の字豈に刪る可けんや。先進礼楽に於ける、野人なり。後進礼楽に於ける、君子なり、是れじん或いは先輩の言にして、孔子之を称す。魯の先輩ぞうぶんちゅうの如き、或いは是の言有りしならん。朱註と為す。……殊に知らず質は質行と謂い、文は礼楽を謂うことを。……蓋し世人徒らに礼楽を以て美観と為して、其の義の在る所を知らず、務めて其の物を備えて、以て其の数を侈にし、其の服飾を鮮麗にし、其の器用を華美にし、玉帛交錯、鐘鼓鏗鏘こうそう、其の視聴を耀かせて、以て相夸示こじし、謂いて君子と為す。先進の士、晏子其の国奢りて而も之に示すに倹を以てする者の如きに至りては、則ち賤しんで以て野人と為す。……後世の儒者古言を知らず、文質を以て之を論ず。夫れ礼楽は文なり。文は即ち中なり。豈に所謂文質なる者有らんや」(先進後進、孔安國曰、謂仕先後輩也。朱子刪仕字。非矣。蓋是進士之進。……是士之由鄉黨升于官、謂之進。仕字豈可刪乎。先進於禮樂、野人也。後進於禮樂、君子也、是時人或先輩之言、而孔子稱之。魯先輩如臧文仲、或有是言。朱註爲是。……殊不知質謂質行、文謂禮樂。……蓋世人徒以禮樂爲美觀、而不知其義所在、務備其物、以侈其數、鮮麗其服飾、華美其器用、玉帛交錯、鐘鼓鏗鏘、耀其視聽、以相夸示、謂爲君子。至於先進之士、如晏子其國奢而示之以儉者、則賤以爲野人。……後世儒者不知古言、以文質論之。夫禮樂文也。文即中也。豈有所謂文質者乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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