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郷党第十 18 色斯舉矣章

253(10-18)
色斯舉矣、翔而後集。曰、山梁雌雉、時哉時哉。子路共之。三嗅而作。
いろみてここがり、かけりてしかのちとどまる。いわく、さんりょう雌雉しちときなるかな、ときなるかな。子路しろこれきょうす。たびぎてつ。
現代語訳
  • 人の顔つきで、鳥は舞いあがり、グルグルまわって、それからおりる。先生 ――「山の橋のメスキジ、時を知る、時を知る。」子路がつかまえようとすると、ウサンくさそうに飛び立った。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が門人たちとやまを行かれたとき、行手の山橋のほとりにおりていた雌雉しちが、人のけはいに一度飛び立ったが、一回り輪をかくと、害心なしと見定めて、再び元の所へおり立った。孔子様がこれを見て、「山路の橋の雌雉よ、飛ぶも返るも時を得たるかな、時を得たるかな。」と感嘆かんたんされた。すると子路が、おとなげもなくつかまえようとでも思ったか、きじに近寄ったので、雉は三度鳴いて飛び去った。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 人のさま あやしと見てか、
    鳥のむれ 空にとび立ち
    舞い舞いて 輪を描きしが、
    やがてまた 地にひそまりぬ。

    師はいえり「み山の橋の
    きじらは 時のよろしも、
    雌雉らは 時のよろしも」

    子路ききて かいななでつつ、
    雌雉らを とらんと寄れば、
    雌雉らは 三たび鳴き
    舞い立ちぬ いずくともなく。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 色斯挙矣、翔而後集 … きじは人の気配を感じて飛び上がり、空を飛び回ってから木に止まる。「色」は、人の顔色。「集」は、鳥が木に止まること。
  • 山梁 … 山の中に架けた丸木橋。
  • 雌雉 … めすの雉。
  • 時哉時哉 … 時機をわきまえているなあ、まったく時機をわきまえているなあ。
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 共 … 「子路が雉に向かって行った」「子路が雉に餌を投げ与えた」「子路が孔子に雉の料理を差し上げた」など、解釈が分かれる。
  • 三嗅而作 … 「雉が三度羽ばたいて飛び去った」「雉が餌を三度嗅いだだけで飛び去った」「孔子が雉の料理の匂いを嗅いだだけで、そのまま席を立った」など、解釈が分かれる。
補説
  • 『注疏』では「色斯舉矣、翔而後集」を本章とし、「此れ孔子の去就を審らかにするを言うなり」(此言孔子審去就也)とある。また「曰、山梁雌雉、時哉時哉。子路共之。三嗅而作」を次章とし、「此れ孔子の物に感じて歎ずるを記するなり」(此記孔子感物而歎也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 色斯挙矣… 『集解』に引く馬融の注に「顔色の善からざるを見れば、則ち之を去るなり」(見顏色不善、則去之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子処る在りて、人の顔色を観て挙動するを謂うなり」(謂孔子在處、觀人顏色而舉動也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「孔子の処る所、顔色の善からざるを見ては、則ち斯に於いて挙動して之を去るを謂う」(謂孔子所處、見顏色不善、則於斯舉動而去之)とある。
  • 翔而後集 … 『集解』に引く周生烈の注に「迴翔して審らかに観、而して後に下りて止まるなり」(迴翔審觀、而後下止也)とある。また『義疏』に「孔子至る所の処を謂うなり。必ず迴翔審観するの後、乃ち下り集まるなり」(謂孔子所至之處也。必迴翔審觀之後、乃下集也)とある。また『注疏』に「将に依り就かんとする所は、則ち必ず迴翔して審らかに観、而る後に下りて止まる。此の翔而後集の一句は、飛鳥を以て喩うるなり」(將所依就、則必迴翔審觀、而後下止。此翔而後集一句、以飛鳥喩也)とある。また『集注』に「言うこころは鳥は人の顔色の善かざるを見れば、則ち飛び去り、回翔審視して後に下り止まる。人のを見てち、審らかに処る所を択ぶも、亦た当に此くの如くなるべし。然れども此の上下に必ず闕文有らん」(言鳥見人之顏色不善、則飛去、回翔審視而後下止。人之見幾而作、審擇所處、亦當如此。然此上下必有闕文矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曰、山梁雌雉 … 『義疏』に「此れ記者孔子見る所に因りて嘆ずること有るを記すなり。山梁とは、木を以て水上に架し、水の処を践み渡る可きなり。孔子山梁の間より此の雌雉有るを見るなり」(此記者記孔子因所見而有嘆也。山梁者、以木架水上、可踐渡水之處也。孔子從山梁間遇見有此雌雉也)とある。また『注疏』に「梁は、橋なり。……孔子山梁に行き、雌雉の飲啄すること所を得るを見る」(梁、橋也。……孔子行於山梁、見雌雉飮啄得所)とある。また『集注』に引く邢昺の注に「梁は、橋なり」(梁、橋也)とある。
  • 時哉時哉 … 『義疏』に「時なるかなとは、言うこころはきじ逍遥として時を得るなり。嘆ずること有る所以の者は、言うこころは人乱世に遭い、翔集して其の所を得ず。是れ時を失えるなり。而るに梁間の雉、十歩に一啄、百歩に一飲、是れ其の時を得たるに如かず。故に之を嘆ずるなり。独り雌のみを云えるは、見る所に因りて言えばなり」(時哉者、言雉逍遥得時也。所以有嘆者、言人遭亂世、翔集不得其所。是失時矣。而不如梁間之雉、十歩一啄、百歩一飮、是得其時。故嘆之也。獨云雌者、因所見而言矣)とある。また『注疏』に「共は、具なり。嗅は、鼻其の気をくるを謂う。作は、起なり。……故に歎じて曰く、此の山梁の雌雉は、其の時を得たるかな、と。而るに人は其の時を得ざるなり」(共、具也。嗅、謂鼻歆其氣。作、起也。……故歎曰、此山梁雌雉、得其時哉。而人不得其時也)とある。また『集注』に引く邢昺の注に「時なるかなは、雉の飲啄其の時を得るを言う」(時哉、言雉之飮啄得其時)とある。
  • 子路共之 … 『義疏』に「子路孔子の時なるかな、時なるかなの嘆をさとらず。而して雌雉是の時月の味を嘆ずと謂う。故に馳逐駈拍し、遂に雌雉を得、煮熟して進めて以て孔子に供養す。故に曰く、子路之を供す、と」(子路不達孔子時哉、時哉之嘆。而謂嘆雌雉是時月之味。故馳逐駈拍、遂得雌雉、煮熟而進以供養孔子。故曰、子路供之也)とある。また『注疏』に「子路は指を失い、以為えらく夫子の時なるかなと云うは、是れ時の物を言うなり、と。故に取りて之を共具す」(子路失指、以爲夫子云時哉者、言是時物也。故取而共具之)とある。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 共 … 『義疏』では「供」に作る。
  • 三嗅而作 … 『集解』の何晏の注に「言うこころは山梁の雌雉、其の時を得れども、而るに人時を得ず。故に之を歎ず。子路其の時物を以てす。故に之に供具するは、其の本意に非ず、苟くも食らわず。故に三たびぎて起つなり」(言山梁雌雉得其時、而人不得時。故歎之。子路以其時物。故供具之、非其本意、不苟食。故三嗅而起也)とある。また『義疏』に「臭は、其の気をきんきゅうするを謂うなり。作は、起なり。子路孔子の意をさとらずして、此の熟雉を供す。孔子の本心にそむく。孔子若し直に爾のみ食らわざれば、則ち子路怨みを生ずるを恐る。若し遂にして之を食らわば、則ち又た我が本心に乖く。故に先ず三たび気をきんし、而る後に乃ち起つ。亦た食を得るも食らわざるの間の如きなり」(臭、謂歆翕其氣也。作、起也。子路不達孔子意、而供此熟雉。乖孔子本心。孔子若直爾不食、則恐子路生怨。若遂而食之、則又乖我本心。故先三歆氣、而後乃起。亦如得食不食之間也)とある。また『注疏』に「孔子は己の本意に非ず、義として苟しくも食らわず、又た子路の情に逆らう可からざるを以て、故に但だ三たび其の気を嗅ぎて起つなり」(孔子以非己本意、義不苟食、又不可逆子路之情、故但三嗅其氣而起也)とある。また『集注』に「子路達せず、以て時物と為して之を共具す。孔子食らわず、三たび其の気を嗅ぎて起つ」(子路不達、以爲時物而共具之。孔子不食、三嗅其氣而起)とある。また『集注』に引く晁説之の注に「石経は嗅を戞に作る。雉の鳴くを謂うなり」(石經嗅作戞。謂雉鳴也)とある。また『集注』に引く劉勉之の注に「嗅は、当に臭に作るべし。古閴の反なり。両翅を張るなり。爾雅に見ゆ」(嗅、當作臭。古閴反。張兩翅也。見爾雅)とある。また『集注』に「愚按ずるに、後の両説の如ければ、則ち共の字は当に拱執の義と為すべし。然らば此れ必ず闕文有らん。強いて之が説を為す可からず。しばらく聞く所を記し、以て知者を俟つ」(愚按、如後兩説、則共字當爲拱執之義。然此必有闕文。不可強爲之説。姑記所聞、以俟知者)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』はこの章を第十五章とし、「共は、衆星之にむかうの共と同じ、向かうなり。……此れ夫子雉の色みて挙がりかけりて集まるを見て、因って之を指顧して、以て従者に示す。子路之にむかう、終に鳴いてつ、亦た君子幾を見て作つの意有り。門人其の事深く聖人の意に合うを以てす、故に詳らかに其の本末を記すと云う。此の一条は前の記する所と、相類せず。此の篇に入る可からざるに似たり。蓋し門人夫子出遊の間、物を観て感有るを以て、此に附記するか」(共、與衆星共之之共同、向也。……此夫子見雉之色舉翔集、因指顧之、以示從者。子路共之、終鳴而作、亦有君子見幾而作之意。門人以其事深合于聖人之意、故詳記其本末云。此一條與前所記、不相類。似不可入于此篇。蓋門人以夫子出遊之間觀物有感、而附記於此歟)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「色のままにれ挙す、しょうして而うして後にとどまる。逸詩なり。曰く以下は、詩を解するの言、孔子の事を引いて以て之を解す。韓詩外伝がいでんに此の類多し、疑う可からず。共はきょうと訓ずるを、と為す。衆星之に共す、以て徴す可きのみ。朱子拱執と訓ず、非なり。嗅は劉説を是と為す。爾雅以て徴す可きのみ。旧註は郷党は必ず孔子の行いを記するに泥す。又た眼古書を識らず、故に以て闕文有りと為す。不学の失なり」(色斯舉矣、翔而後集。逸詩也。曰以下、解詩之言、引孔子之事以解之。韓詩外傳多此類、不可疑矣。共訓拱、爲是。衆星共之、可以徴已。朱子訓拱執、非矣。嗅劉説爲是。爾雅可以徴已。舊註泥郷黨必記孔子之行。又眼不識古書、故以爲有闕文。不學之失也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十