>   論語   >   子罕第九   >   20

子罕第九 20 子謂顔淵曰惜乎章

225(09-20)
子謂顏淵曰、惜乎。吾見其進也。未見其止也。
顔淵がんえんいていわく、しいかな。われすすむをたり。いまとどまるをざりき。
現代語訳
  • 先生は顔淵を批評して ―― 「おしいことをした。いつも向上して、やまない人だったよ。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 顔淵の死後、孔子様が追懐ついかいしておっしゃるよう、「ほんとうにしいことをした。進むところは見たがとどまるところを見なかったのに。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が顔淵のことをこういわれた。――
    「惜しい人物だった。私は彼が進んでいるところは見たが、彼が止まっているところを見たことがなかったのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 顔淵 … 前521~前490頃。孔子の第一の弟子、顔回。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 謂~曰 … 「~をいていわく」と読む。批評して言う。
  • 惜乎 … 「しいかな」と読む。ほんとうに惜しいことだ。「乎」は「かな」と読み、「~であるなあ」と訳す。詠嘆の意を示す。
  • 其 … 顔淵を指す。
  • 進 … 進んで努力する。
  • 止 … 停滞する。
補説
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 惜乎。吾見其進也。未見其止也 … 『集解』に引く包咸の注に「孔子、顔淵の進益して未だとどまらざるを謂う。之を痛惜すること甚だしきなり」(孔子謂顏淵進益未止。痛惜之甚也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「顔淵死して後、孔子に此の歎有るなり。云う、進むを見れども未だとどまるを見ず、と。其の神識猶お長ぜざるを惜しむなり。然れども顔淵の分已に満つるも屢〻しばしば空しきに至る。而るに此れ未だ其の止まるを見ずと云えるは、勗引の言なり」(顏淵死後、孔子有此歎也。云、見進未見止。惜其神識猶不長也。然顏淵分已滿至於屢空。而此云未見其止者、勗引之言也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「進・止の二字、説は上章に見ゆ。顔子既に死して、孔子之を惜しむ。其のまさに進みて未だ已まざるを言うなり」(進止二字、說見上章。顏子旣死、而孔子惜之。言其方進而未已也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人の学に於ける、其のとどむこと多くして其の進むこと少なし。顔子のまさに進みて已まざるが若きは、智・仁・勇の徳を全うする者に非ざれば則ち能わず。大なるかな」(人之於學、其止多而其進少。若顏子之方進而不已、非全智仁勇之德者則不能。大哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十