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子罕第九 19 子曰語之而不惰者章

224(09-19)
子曰、語之而不惰者、其回也與。
いわく、これげておこたらざるものは、かいなるか。
現代語訳
  • 先生 ――「おそわるとシッカリやるのは、まあ回くんだろうな。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「一応説明してやると、それで済んだつもりで気がゆるむのが普通で、そうでないのは顔回がんかいくらいのものか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「何か一つ話してやると、つぎからつぎへと精進して行くのはかいだけかな」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 語 … 告げる。「かたりて」とも読む。
  • 不惰 … 怠らない。
  • 回 … 前521~前490。孔子の第一の弟子。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 也与 … 「~なるか」と読み、「~であろうか」「~であるかなあ」と訳す。軽い疑問の意を示す。
補説
  • 語之而不惰者、其回也与 … 『集解』の何晏の注に「顔淵則ち解す、故に之にげておこたらず。余人解せず、故に語ぐるに惰るの時有るなり」(顏淵則解、故語之不惰。餘人不解、故有惰語之時也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「惰は、疲懈なり。余人ことごとく解する能わず。故に孔子の語を聞きて疲懈する有り。唯だ顔回のみ之を体す。故に語を聞きて即ち解す。所以に曰く、之にげておこたらざる者は其れ回なるか、と」(惰、疲懈也。餘人不能盡解。故聞孔子語而有疲懈。唯顏回體之。故聞語即解。所以曰、語之而不惰者其回也與)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「惰は、懈怠なり」(惰、懈怠也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「顔子、夫子の言を聞きて、心に解しつとめて行い、造次顚沛にも、未だ嘗て之に違わず。万物の時雨の潤を得て、発栄滋長するが如し。何ぞ惰有らんや。此れ群弟子の及ばざる所なり」(顏子聞夫子之言、而心解力行、造次顚沛、未嘗違之。如萬物得時雨之潤、發榮滋長。何有於惰。此羣弟子所不及也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「今夫子の語を読みて、たちまち作したちまみ、存するが若く亡するが若き者は、惟だ志み気餒うるの致す所のみに非ず。実に道の信ずること篤からざるが故なり」(今讀夫子之語、乍作乍輟、若存若亡者、非惟志倦氣餒之所致。實信道不篤故也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』には、この章の注なし。
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