>   論語   >   子罕第九   >   13

子罕第九 13 子欲居九夷章

218(09-13)
子欲居九夷。或曰、陋、如之何。子曰、君子居之、何陋之有。
きゅうらんとほっす。あるひといわく、ろうなり、これ如何いかんせん。いわく、くんこれらば、なんろうらん。
現代語訳
  • 先生が未開地に住みたいという。だれかが ―― 「下品で、しようがないでしょう。」先生 ――「まともな人が住めば、なんで下品なものか。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がとうの国に住もうと望んでおられると聞いたある人が、「風俗がばんとうでどうにもなりますまい」と言ったのに対して、孔子様がおっしゃるよう、「君子が行って住めば、その感化によって風俗善良となりそうなことじゃ。何の野蛮下等なことがあろうか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が道の行なわれないのを嘆じてきゅうの地に居をうつしたいといわれたことがあった。ある人がそれをきいて先師にいった。――
    「野蛮なところでございます。あんなところに、どうしてお住居ができましょう」
    すると先師はいわれた。――
    「君子が行って住めば、いつまでも野蛮なこともあるまい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 九夷 … 東方の未開の地。
  • 或 … 「あるひと」と読む。
  • 陋 … むさくるしい。野蛮なところ。
  • 如之何 … 「これをいかんせん」と読む。どうするつもりですか。どのようにして住むつもりですか。
  • 君子 … 宮崎市定は「孔子が自ら君子を以て任ずることは、どう考えても不自然である。……文中の君子は實は單なる二人稱に過ぎないのである。君子これに居らば、諸君が行ってくれるなら、諸君と一緒ならば、の意であり、……」といっている。『論語の新研究』138頁以下参照。また荻生徂徠は、君子は士大夫の通称であり、孔子はこの言葉を避けなかったと指摘している。
  • 居之 … そこに住めば。「之」は、九夷を指す。
  • 何陋之有 … 何のむさくるしいことがあろうか。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子中国に明君無きをにくむを論ずるなり」(此章論孔子疾中國無明君也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 欲居九夷 … 『集解』に引く馬融の注に「九夷は、東方の夷、九種有るなり」(九夷、東方之夷、有九種也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子の聖道中国に行われず。故に託して東のかた往きて九夷に居らんと欲するなり。亦たいかだに乗りて海に浮ばんことを欲するが如きなり」(孔子聖道不行於中國。故託欲東往居於九夷也。亦如欲乘桴浮海也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「東方の夷に九種有り。孔子時に明君無きを以て、故に東夷に居らんと欲す。……案ずるに東夷伝に云う、夷に九種有り。曰く、けん于夷うい・方夷・黄夷・白夷・赤夷・玄夷・風夷・陽夷なり、と」(東方之夷有九種。孔子以時無明君、故欲居東夷。……案東夷傳云、夷有九種。曰畎夷、于夷、方夷、黃夷、白夷、赤夷、玄夷、風夷、陽夷)とある。また『集注』に「東方の夷に九種有り。之に居らんと欲する者は、亦たいかだに乗りて海に浮かばんの意なり」(東方之夷有九種。欲居之者、亦乘桴浮海之意)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 或曰、陋、如之何 … 『義疏』に「或る人孔子の意をさとらずして、之を実に居るとおもえり。故に云う、陋なり、之を如何せん、と。言うこころは夷狄ろうにして居る可からざるなり」(或人不達孔子意、謂之實居。故云、陋如之何。言夷狄鄙陋不可居也)とある。また『注疏』に「或る人孔子に謂いて言う、東夷は僻陋へきろうにして礼無ければ、如何にして居る可き、と」(或人謂孔子言、東夷僻陋無禮、如何可居)とある。
  • 子曰、君子居之、何陋之有 … 『集解』に引く馬融の注に「君子の居る所は、皆化すなり」(君子所居者、皆化也)とある。また『義疏』に「孔子答えて曰く、君子の居る所、即ち化す。豈に鄙陋を以て疑を為さんや。復た遠くに己の意を申さざるなり、と。孫綽曰く、九夷を陋しと為す所以は、礼義無きを以てなり。君子の居る所は化す、則ち陋しけれども泰なること有るなり、と」(孔子答曰、君子所居、即化。豈以鄙陋爲疑乎。不復遠申己意也。孫綽曰、九夷所以爲陋者、以無禮義也。君子所居者化、則陋有泰也)とある。また『注疏』に「孔子或る人に答えて言う、君子の居る所は則ち化せられ、礼義有らしむ、故に何の陋しきことか之れ有らんと云う」(孔子答或人言、君子所居則化、使有禮義、故云何陋之有)とある。また『集注』に「君子の居る所は則ち化す。何の陋なることか之れ有らん」(君子所居則化。何陋之有)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「又た古え東方に君子の国有りと称すれば、則ち夫子の語、蓋し其の実に拠って之を称す。旧解以為おもえらく、君子の居る所は則ち化すと、非なり。此くの如きなれば則ち夫子自ら君子の位に居るの嫌有るなり。……吾が太祖、開国元年、実に周の恵王十七年にたる。今に到るまで君臣相伝え、綿綿として絶えず。之を尊ぶこと天の如く、之を敬すること神の如し。実に中国の及ばざる所なり。夫子の華を去りて夷に居らんと欲する、亦た由有るなり。今聖人を去ること既に二千有余歳、吾が日東国の人、学有ると学無きとを問わず、皆能く吾が夫子の号を尊びて、吾が夫子の道を宗とすれば、則ち豈に聖人の道、四海を包みて棄てず、又た能く千歳の後を先知すと謂わざる可けんや」(又古稱東方有君子之國、則夫子之語、蓋據其實而稱之。舊解以爲君子所居則化、非也。如此則夫子有自居君子之位之嫌也。……吾太祖、開國元年、實丁周惠王十七年。到今君臣相傳、綿綿不絶。尊之如天、敬之如神。實中國之所不及。夫子之欲去華而居夷、亦有由也。今去聖人既二千有餘歳、吾日東國人、不問有學無學、皆能尊吾夫子之號、而宗吾夫子之道、則豈可不謂聖人之道、包乎四海而不棄、又能先知千歳之後乎哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「馬融曰く、九夷は、東方の夷、九種有るなり、と。……仁斎之に因り、又た疑って日本と為す。此れ自ずからげん、弁説するをれず。ひそかに疑うらくは九夷は必ず是れ一夷なること、猶お太湖の五湖と名づくるが如くならん。しからざれば、九夷に居らんと欲すと、何ぞ其の言の漫なるや。且つ此れ必ず孔子其の地を経過し、因って之に居らんと欲するならん。しからざれば、当に九夷にかんと欲すべし、而るに居らんと欲すと曰えば、其の遥かに望むに非ざることあきらかなり。かんに孔望山有り、相伝えて孔子たんくときここに登るという。乃ち東夷の地なり。恐らくは是れ即ち九夷ならん。……仁斎は乃ちおもえらく東方に君子の国有り。故に君子之に居ると曰い、而うして孔子は自ら君子と称することをれず、以て其のせり。……且つ君子は士大夫の通称、孔子未だ嘗て之を避けず。……是れ吾が邦の道は、即ち夏・商の古道なり。今儒者の伝うる所は、独り周の道を詳らかにす。にわかに其の周と殊なるを見て、而うして中華聖人の道に非ずと謂う、亦た深く思わざるのみ」(馬融曰、九夷、東方之夷、有九種也。……仁齋因之、又疑爲日本。此自諛言、不容辨説。竊疑九夷必是一夷、猶如太湖名五湖。不爾、欲居九夷、何其言之漫也。且此必孔子經過其地、因欲居之。不爾、當欲適九夷、而曰欲居、其非遙望者審矣。贛楡有孔望山、相傳孔子適郯登此。乃東夷地。恐是即九夷。……仁齋乃謂東方有君子之國。故曰君子居之、而不容孔子自稱君子、以濟其諛。……且君子士大夫通稱、孔子未嘗避之。……是吾邦之道、即夏商古道也。今儒者所傳、獨詳周道。遽見其與周殊、而謂非中華聖人之道、亦不深思耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十