泰伯第八 12 子曰三年章
196(08-12)
子曰、三年學、不至於穀、不易得也。
子曰、三年學、不至於穀、不易得也。
子曰く、三年学びて、穀に至らざるは、得易からざるなり。
現代語訳
- 先生 ――「なが年学問をしながら、役人になろうとしないのは、めずらしい人だ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「三年も学問して仕官の気を起さぬ篤学者は、めずらしい。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「三年も学問をして、俸禄に野心のない人は得がたい人物だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 三年 … 三年間。「子路第十三10」には「三年にして成ること有らん」という孔子の言葉が見える。また、三年という年月に限らず、「年月が長いこと」という解釈もある。
- 穀 … 禄。俸禄。
- 至 … (俸禄を)求める。野心をもつ。
- 不易得 … なかなか得がたい。めったにいない。
補説
- 『注疏』に「此の章は学を勧むるなり」(此章勸學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 三年学、不至於穀、不易得也 … 『集解』に引く孔安国の注に「穀は、善なり。言うこころは人三歳学びて善に至らざるも、必ず及ぶこと無きと言うを得可からざるなり。人に学を勧むる所以なり」(穀、善也。言人三歳學不至於善、不可得言必無及也。所以勸人於學也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「人に学を勧むるなり。穀は、善なり。言うこころは学ぶこと三年なる者、必ず善道に至るなり。若し三年学びて善道に至らざる者は、必ず此の理無きなり。故に云う、得易からざるのみ、と。孫綽曰く、穀は、禄なり。云う、三年学びて、以て業に通ずるに足らば、以て禄を得可し。時に禄を得ずと雖も、禄を得るの道なり。得易からざるのみとは、猶お已に得易からずと云うがごときなり。此れ中人已下を教え勧むるなり、と」(勸人學也。穀、善也。言學三年者、必至於善道也。若三年學而不至善道者、必無此理也。故云、不易得也已。孫綽曰、穀、祿也。云、三年學、足以通業、可以得祿。雖時不得祿、得祿之道也。不易得已者、猶云不易已得也。此教勸中人已下也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「穀は、善なり。人学に勤むること三歳ならば、必ず善に至るを言うなり。若し三歳学び、善に至らざるは、得可からず。必ず無きを言うなり。人に学を勧むる所以なり」(穀、善也。言人勤學三歳、必至於善。若三歳學、不至於善、不可得。言必無也。所以勸人學也)とある。また『集注』に「穀は、禄なり。至は、疑うらくは当に志に作るべし。学を為すに久しくして、禄を求めず。此くの如きの人、得易からざるなり」(穀、祿也。至、疑當作志。爲學之久、而不求祿。如此之人、不易得也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集注』に引く楊時の注に「子張の賢と雖も、猶お禄を干むるを以て問いを為す。況んや其の下の者をや。然らば則ち三年学びて穀に至らざるは、宜しく得易からざるべきなり」(雖子張之賢、猶以干祿爲問。況其下者乎。然則三年學而不至於穀、宜不易得也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「志の小なる者は、其の得ること則ち小なり。志の大なる者は其の成なること必ず大なり。学を為すことの久しくして、志禄に至らざるは、必ず流俗に汨汨として、其の身を終うることを為さず。聖人の之を嘉尚する所以なり」(志小者、其得則小。志大者其成必大。爲學之久、而志不至於祿、必不爲汨汨於流俗、而終其身。聖人所以嘉尚之也)とある。嘉尚は、褒め称えること。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「穀は禄なり。禄と曰わずして穀と曰うは、邦道有れば穀すの如し、皆禄の薄き者を謂う。蓋し廩俸なり。学ぶこと三年にして、而も其の学ぶ所未だ禄す可きの才を成さざるは、是れ志大いにして学ぶこと博き者なり。故に得易からずと曰うなり」(穀祿也。不曰祿而曰穀、如邦有道穀、皆謂祿之薄者。蓋廩俸也。學三年、而其所學未成可祿之才、是志大而學博者也。故曰不易得也)とある。廩俸は、俸給。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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