>   論語   >   泰伯第八   >   7

泰伯第八 7 曾子曰士不可以不弘毅章

191(08-07)
曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。
そういわく、もっこうならざるべからず。にんおもくしてみちとおし。じんもっおのにんす。おもからずや。してのちむ。とおからずや。
現代語訳
  • 曽先生 ――「知識人はたくましくなくてはダメだ。任務は重く道は遠い。人類愛が任務とあれば、重いではないか。死ぬまで続くとあれば、遠いではないか。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 曾子が言うよう、「士たる者は、りょうが大きくして意志が強くなければならぬ。たんすべき責任がはなはだ重くして前途がきわめて遠いからである。その任ずるところはこう最大さいだいの徳たる仁である。実に重いことではないか。そしてその重任が死ぬまで続く。まことに遠いことではないか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 曾先生がいわれた。――
    「道を行なおうとする者は大器で強敵な意志の持主でなければならない。任務が重大でしかも前途遼遠だからだ。仁をもって自分の任務とする、なんと重いではないか。死にいたるまでその任務はつづく、なんと遠いではないか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 曾子 … 姓はそう、名はしんあざな子輿しよ。魯の人。孔子より四十六歳年少の門人。『孝経』を著した。ウィキペディア【曾子】参照。
  • 士 … ここでは「道を志し、教養のある者」程度の意。
  • 不可以不~ … 「もって~(せ)ざるべからず」と読み、「~でなくてはならない」「~しなければならない」と訳す。二重否定の形。
  • 弘毅 … 度量が大きく、意志の強いこと。
  • 任 … 任務。
  • 道 … 人生の道のり。
  • 仁以 … 「じんもって」と読む。「仁」を強調するため、「以仁」(じんをもって)を倒置させている。
  • 己任 … 自己の任務。
  • 不亦~乎 … 「また~ならずや」と読み、「なんと~ではないか」と訳す。詠嘆の形。
  • 亦 … 語調をゆるやかにする語。「~もまた」の意ではない。
  • 死而後已 … 死ぬまでやめない。
補説
  • 徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」という遺訓は、この章に基づいたものと思われる。
  • 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、あざなは子輿。孔子よりわかきこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為おもえらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 士不可以不弘毅 … 『集解』に引く包咸の注に「弘は、大なり。毅は、強くして能く決断するなり。士は弘毅にして、然る後に能く重任を負い、遠路に致すなり」(弘、大也。毅、強而能決斷也。士弘毅、然後能負重任、致遠路也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「士は、通じて丈夫を謂うなり。弘は、大なり。毅は、能く強くして果断なるを謂うなり。言うこころは丈夫の世に居るや、必ず徳行をして弘大にして能く果断ならしむるなり」(士、通謂丈夫也。弘、大也。毅、謂能強果斷也。言丈夫居世、必使德行弘大而能果斷也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「弘は、寬広なり。毅は、強忍なり」(弘、寬廣也。毅、強忍也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 任重而道遠 … 『義疏』に「宜しく弘毅なるべく所以の義を釈すなり。即ち任とする所の者重くして、行う所の者遠し。故に宜しく徳大にして能く断ずべきなり」(釋所以宜弘毅義也。即所任者重、所行者遠。故宜德大而能斷也)とある。また『集注』に「弘に非ざれば其の重きにうること能わず。毅に非ざれば以て其の遠きを致すこと無し」(非弘不能勝其重。非毅無以致其遠)とある。
  • 仁以爲己任。不亦重乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「仁を以て己が任と為すは、重きことこれより重きは莫し」(以仁爲己任、重莫重焉)とある。また『義疏』に「此れ任の重きを解するなり。士既に仁を以て平生の任と為す。此の任、豈に重しと為すと謂わざるを得んや」(此解任重也。士既以仁爲平生之任。此任豈得不謂爲重乎)とある。また『集注』に「仁とは、人心の全き徳にして、必ず身を以て体して之を力行せんと欲す。重しと謂う可し」(仁者、人心之全德、而必欲以身體而力行之。可謂重矣)とある。
  • 死而後已。不亦遠乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「死して後已むは、遠きことこれより遠きは莫きなり」(死而後已、遠莫遠焉也)とある。また『義疏』に「此れ道の遠きを釈するなり。已は、止なり。言うこころは仁を行うを知れば、少時にして止む可からず。必ず死に至りて乃ち後にして止むのみ。死に至りて乃ち止む。此の道、豈に遠からざらんや」(此釋道遠也。已、止也。言知行仁、不可少時而止。必至死乃後而止耳。至死乃止。此道豈不遠乎)とある。また『集注』に「一息尚お存すれば、此の志少しもおこたからず。遠しと謂う可し」(一息尚存、此志不容少懈。可謂遠矣)とある。
  • 『集注』に引く程顥の注に「弘にして毅ならざれば、則ち規矩無くして立ち難し。毅にして弘ならざれば、則ち隘陋あいろうにして以て之に居ること無し」(弘而不毅、則無規矩而難立。毅而不弘、則隘陋而無以居之)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「弘大剛毅にして、然る後能く重き任にえて遠く到る」(弘大剛毅、然後能勝重任而遠到)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此を以て任と為す、亦た重からずや。一息尚お存せば、能く此の志を持して、失う可からず、亦た遠からずや。故に士は以て弘毅ならざる可からずとは、蓋し其の素養を貴ぶなり」(以此爲任、不亦重乎。一息尚存、能持此志、而不可失焉、不亦遠乎。故士不可以不弘毅者、蓋貴其素養也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「古え学んで而うして士と為る、故に凡そ士と言う者は、学者をおしうるの言なり。士は当にしかるべくして大夫はしからずと謂うに非ざるなり。……仁以て天下を安んず、重任と謂う可し、故に規模宏遠なる者に非ざれば能くせず」(古者學而爲士、故凡言士者、誨學者之言也。非謂士當爾而大夫否也。……仁以安天下、可謂重任、故非規模宏遠者不能焉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十