雍也第六 19 子曰中人以上章
138(06-19)
子曰、中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。
子曰、中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也。
子曰く、中人以上は、以て上を語る可きなり。中人以下は、以て上を語る可からざるなり。
現代語訳
- 先生 ――「中以上の人には、高級なことをいってよい。中以下の人には、高級なことをいってはならない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「中以上の学力の者には高等哲理を教えてよいが、中以下の者に深遠な理論を語るべきでない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「中以上の学徒には高遠精深な哲理を説いてもいいが、中以下の学徒にはそれを説くべきではない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は学を授くるの法は、当に其の才識を称るべきを言うなり」(此章言授學之法、當稱其才識也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也 … 『集解』に引く王粛の注に「上は、上知の知る所を謂うなり。両たび中人を挙ぐるは、其の上にす可く下にす可きを以てなり」(上、謂上知之所知也。兩舉中人、以其可上可下也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れは教化を為すの法を謂うなり。師の説に云う、人の品識に就いて、大判三有り。上中下を謂うなり。細かにして之を分かつときは、則ち九有るなり。上の上、上の中、上の下有るなり。又た中の上、中の中、中の下有るなり。又た下の上、下の中、下の下有るなり。凡そ九品有り。上の上は、則ち是れ聖人、聖人須らく教うべからざるなり。下の下は、則ち是れ愚人なり。愚人は移らず。亦た須らく教うべからざるなり。而して教う可き者は、上の中以下、下の中以上、凡そ七品の人を謂うなり。今云う、中人以上は、以て上を語ぐ可し。即ち上の道を以て上の分を語ぐるなり。中人以下は、以て上を語ぐ可からず。上を語ぐ可からずと雖も、猶お之に語ぐるに中を以てし、及び之を語ぐるに下を以てす可し。何となれば、夫れ教えの法たるや、恒に分の前を導引すればなり。聖人は教えを待つこと無し。故に聖人の道を以て、以て顔に教う可く、顔の道を以て、以て閔に教う可し。斯れ則ち中人以上は、以て上を語ぐ可きなり。又た閔の道を以て、以て中品の上に教う可し。此れ則ち中人、亦た上を語ぐ可きなり。又た中品の上の道を以て、中品の中を教え、又た中品の中の道を以て、中品の下を教う。斯れ即ち中人も亦た以て之に語ぐるに中を以てす可きこと有るなり。又た中品の下の道を以て、下品の上を教う。斯れ即ち中人以下は、以て中を語ぐ可し。又た下品の上の道を以て、下品の中を教う。斯れ即ち中人以下は、以て下に語ぐ可きなり。此に云う、中人以上、中人以下は、大略之を言うのみ。既に九品有れば、則ち第五を正中人と為すなり。以下は即ち六、七、八なり。以上は即ち四、三、二なり」(此謂爲教化法也。師説云、就人之品識、大判有三。謂上中下也。細而分之、則有九也。有上上、上中、上下也。又有中上、中中、中下也。又有下上、下中、下下也。凡有九品。上上、則是聖人、聖人不須教也。下下、則是愚人。愚人不移。亦不須教也。而可教者、謂上中以下、下中以上、凡七品之人也。今云、中人以上、可以語上。即以上道語於上分也。中人以下、不可以語上。雖不可語上、猶可語之以中、及語之以下。何者、夫教之爲法、恆導引分前也。聖人無待於教。故以聖人之道、可以教顏、以顏之道、可以教閔。斯則中人以上、可以語上也。又以閔道、可以教中品之上。此則中人、亦可語上也。又以中品之上道、教中品之中、又以中品之中道、教中品之下。斯即中人亦有可以語之以中也。又以中品之下道、教下品之上。斯即中人以下、可以語中。又以下品之上道、教下品之中。斯即中人以下、可以語下也。此云、中人以上、中人以下、大略言之耳。既有九品、則第五爲正中人也。以下即六七八也。以上即四三二也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「語は、告を謂う。上を語るは、上知の知る所を謂うなり。人の才識は、凡そ九等有り。上上・上中・上下・中上・中中・中下・下上・下中・下下を謂うなり。上上は則ち聖人なり。下下は則ち愚人なり。皆移す可からざるなり。其の上中より以下、下中より以上は、是れ教う可きの人なり。中人は、第五中中の人を謂うなり。以上は、上中・上下・中上の人を謂うなり。其の才識の優長なるを以て、故に以て上知の知る所を告語す可きなり。中人以下は、中下・下上・下中の人を謂うなり。其の才識の暗劣なるを以て、故に以て上知の知る所を告語す可からざるなり。此れ応に中人より以上は以て上を語る可く、以下は以て上を語る可からずと云うべし。而るに繁文して両つながら中人を挙ぐるは、其の中人は上にす可く下にす可きの故を以てなり。言うこころは此の中人は、若し才性の稍〻優らば、則ち以て上を語る可く、才性の稍〻劣らば、則ち以て上を語る可からず。是れ其の上にす可く下にす可きことなり」(語、謂告。語上、謂上知之所知也。人之才識、凡有九等。謂上上上中上下中上中中中下下上下中下下也。上上則聖人也。下下則愚人也。皆不可移也。其上中以下、下中以上、是可教之人也。中人、謂第五中中之人也。以上、謂上中上下中上之人也。以其才識優長、故可以告語上知之所知也。中人以下、謂中下下上下中之人也。以其才識暗劣、故不可以告語上知之所知也。此應云中人以上可以語上、以下不可以語上。而繁文兩舉中人者、以其中人可上可下故也。言此中人、若才性稍優、則可以語上、才性稍劣、則不可以語上。是其可上可下也)とある。また『集注』に「語は、告ぐるなり。言うこころは人を教うる者、当に其の高下に随いて之に告げ語るべければ、則ち其の言入り易くして、等を躐ゆるの弊無きなり」(語、告也。言教人者、當隨其高下而告語之、則其言易入、而無躐等之弊也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 上 … 宮崎市定は「中人が主語となっている以上、上は上人と解するのが自然であろう」といい、この章を「普通以上の人間ならば、一流の人物の價値が理解できる。普通以下の人間には、全然分かりっこない」と訳している(『論語の新研究』220頁)。
- 『集注』に引く張敬夫(張栻、敬夫は字)の注に「聖人の道、精粗の二致無しと雖も、但だ其の教えを施すこと、則ち必ず其の材に因りて篤くす。蓋し中人以下の質、驟かにして之に太だ高きを語げれば、惟だに以て入る能わざるのみに非ず、且つ将に妄意に等を躐えて、身に切ならざるの弊有らんとし、亦た下に終わるのみ。故に其の及ぶ所に就きて之に語ぐ。是れ乃ち之をして切問近思して、漸く高遠に進ましむる所以なり」(聖人之道、精粗雖無二致、但其施教、則必因其材而篤焉。蓋中人以下之質、驟而語之太高、非惟不能以入、且將妄意躐等、而有不切於身之弊、亦終於下而已矣。故就其所及而語之。是乃所以使之切問近思、而漸進於高遠也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「聖賢の事業は、中人以下の能く当たる所に非ざるなり。唯だ当に孝弟忠信・威儀礼節を以て之に告ぐべきのみ。……故に君子の教えは、勧むること有りて抑うること無く、導くこと有りて強うること無く、各〻其の材に因りて篤くす。亦た中人以下なる者は、則ち必ず上を語げずと謂うに非ざるなり」(聖賢之事業、非中人以下之所能當也。唯當以孝弟忠信威儀禮節告之耳。……故君子之教也、有勸而無抑、有導而無強、各因其材而篤焉。亦非謂中人以下者、則必不語上也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「道に上下有ること莫し、故に今此の所謂上は、乃ち上智の知る所を謂うなり。後世此の章の義明らかならず、故に理学興って聖人の心を窺わんと欲し、又た之を一切に聒しくし、務めて民の知竇を開かんと欲す。聖人の道は則ち然らず。諸を行事に示し、其の自ら喩るを待つ」(道莫有上下、故今此所謂上、乃謂上智所知也。後世此章之義不明、故理學興而欲窺聖人之心、又聒之一切、務欲開民知竇。聖人之道則不然。示諸行事、待其自喩)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
こちらの章もオススメ!
学而第一 | 為政第二 |
八佾第三 | 里仁第四 |
公冶長第五 | 雍也第六 |
述而第七 | 泰伯第八 |
子罕第九 | 郷党第十 |
先進第十一 | 顔淵第十二 |
子路第十三 | 憲問第十四 |
衛霊公第十五 | 季氏第十六 |
陽貨第十七 | 微子第十八 |
子張第十九 | 堯曰第二十 |