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雍也第六 11 子謂子夏曰章

130(06-11)
子謂子夏曰、女爲君子儒、無爲小人儒。
子夏しかいていわく、なんじくんじゅれ、しょうじんじゅることかれ。
現代語訳
  • 先生が子夏におっしゃった、「大らかな学者になれ、ケチくさい学者になるな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が子夏におっしゃるよう、「お前は真に徳の高い君子の学者になれ、単なる物知りの小人の学者になるな。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が子夏しかにいわれた。――
    「君子のじゅになるのだ。小人の儒になるのではないぞ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 女 … 「汝」に同じ。
  • 君子儒 … 視野の広い学者。徳の高い学者。「儒」は、学問・学芸のある者。学者。
  • 小人儒 … こせこせした学者。自分の向上しか考えない学者。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子夏を戒めて君子たらしめんとするなり」(此章戒子夏爲君子也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
  • 女為君子儒、無為小人儒 … 『集解』に引く孔安国の注に「君子儒と為れば、将に以て道を明らかにすべし。小人儒と為れば、則ち其の名をほこるなり」(君子爲儒、將以明道。小人爲儒、則矜其名也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「儒とは、濡なり。夫れ習学する事久しければ、則ち身中を濡潤す。故に久しく習う者を謂いて儒と為すなり。但だ君子の習う所の者は道なり。道は是れ君子の儒なり。小人習う所の者はきょうなり。矜誇は是れ小人の儒なり。孔子子夏に語りて曰く、当に君子の儒とるべし、習いて小人の儒と為ることを得ざるなり、と」(儒者、濡也。夫習學事久、則濡潤身中。故謂久習者爲儒也。但君子所習者道。道是君子儒也。小人所習者矜誇。矜誇是小人儒也。孔子語子夏曰、當爲君子儒、不得習爲小人儒也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは人の博く先王の道を学びて、以て其の身を潤す者、皆之を儒と謂う。但だ君子は則ち将に以て道を明らかにせんとし、小人は則ち其の才名を矜る。言うこころは女当に道を明らかにし、名を矜るを得ること無かるべきなり」(言人博學先王之道、以潤其身者、皆謂之儒。但君子則將以明道、小人則矜其才名。言女當明道、無得矜名也)とある。また『集注』に「儒は、学者の称なり」(儒、學者之稱)とある。また『集注』に引く程頤の注に「君子の儒は、己のためにす、小人の儒は、人の為にす」(君子儒、爲己、小人儒、爲人)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「君子・小人の分は、義と利との間のみ。然れども所謂利なる者は、豈に必ずしも貨財を殖するの謂ならんや。私を以て公を滅し、己にかないて自ら便にす。凡そ以て天理を害す可き者は、皆利なり。子夏の文学余り有りと雖も、然れどもおもうに其の遠き者大なる者、或いはくらし。故に夫子之に語るに此を以てす」(君子小人之分、義與利之間而已。然所謂利者、豈必殖貨財之謂。以私滅公、適己自便。凡可以害天理者、皆利也。子夏文學雖有餘、然意其遠者大者、或昧焉。故夫子語之以此)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「君子の儒は、天下を以て己の任と為して、物をすくうに志有る者なり。小人の儒は、わずかに其の身を善くするに足るを取るのみ、物に及ぶこと能わざるなり。子夏は文学余り有りと雖も、然れども規模狭小なり。故に夫子其の或いは小人の儒と為らんことを恐る。故に之に語るに此を以てす。後世しょうしょうの学は、蓋し亦た小人の儒のみ」(君子之儒、以天下爲己任、而有志于濟物者也。小人之儒、纔取足善其身而已、不能及物也。子夏文學雖有餘、然規模狹小。故夫子恐其或爲小人之儒。故語之以此。後世記誦詞章之學、蓋亦小人之儒焉耳)とある。記誦は、暗唱すること。詞章は、詩文。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「儒の字は周礼しゅらいに見ゆ。すなわち文学有る者の称なり。子夏は文学に長ず。孔子は其の学ぶ所をばこれを君子の事に施さんことを欲し、而うして小人の事に施さんことを欲せざるなり。君子の事とは、謀を出だし慮りをおこし、其の国治まり民安んぜしむるを謂うなり。小人の事とは、徒らに籩豆へんとうすえを務めて、以て有司のえきに供するを謂うなり。戦国の時、百家並びに起こり、儒・墨こうを争う。而うして後荀子始めて堯・舜・禹・湯・文・武・を以て大儒と為す。古え無き所なり」(儒字見周禮。廼有文學者之稱。子夏長於文學。孔子欲其所學施諸君子之事、而不欲施於小人之事也。君子之事者、謂出謀發慮、使其國治民安也。小人之事者、謂徒務籩豆之末、以供有司之役也。戰國時百家並起、儒墨爭衡。而後荀子始以堯舜禹湯文武爲大儒。古所無也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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