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雍也第六 4 子謂仲弓曰章

123(06-04)
子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸。
仲弓ちゅうきゅういていわく、ぎゅうも、あかくしてつのあらば、もちうることからんとほっすといえども、山川さんせんこれてんや。
現代語訳
  • 先生は仲弓を批評して ―― 「マダラ牛の子だが、アメ色でツノもいい。のけものにしようたって、山川の神がすてはせぬ。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が仲弓に向かっておっしゃるよう、「ぶち牛の子でも、色が赤くて角のかっこうがよければ祭のいけにえに用いまいと思っても、山川の神が捨ておかれようや。お前も父親のことなどクヨクヨせずに、自身の勉学修養にせい出しなさい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師は仲弓のことについて、こんなことをいわれた。――
    「まだら牛の生んだ子でも、毛が赤くて、角が見事でさえあれば、神前に供えられる資格は十分だ。人がそれを用いまいとしても、山川の神々が決して捨ててはおかれないだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 仲弓 … 前522~?。姓はぜん、名は雍、あざなは仲弓。魯の人。孔子より二十九歳若いという。徳行にすぐれていた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【仲弓】参照。
  • 謂 … 批評する。
  • 犂牛 … 黄と黒との混じった、まだらな、まじり毛の牛。農耕用の牛。「犂牛」に対し、いけにえに用いる牛を「ぎゅう」と言った。
  • 騂 … 赤い。いけにえにする赤い毛色の牛。
  • 角 … 立派な角。
  • 用 … 祭祀のいけにえに用いる。
  • 山川 … 山川の神。
  • 諸 … 「これ(を)~や」と読み、「どうして~か(いやそのようなことはない)」と訳す。反語の意を示す。本来は「之乎しこ」の二字を合わせて一字にしたもの。「これ(を)~や」(~之乎)と同じ。
  • 舎 … 「捨」に同じ。用いない。放っておく。
補説
  • 仲弓 … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉雍は字は仲弓。伯牛の宗族なり。不肖の父より生まれ、徳行を以て名を著す」(冉雍字仲弓。伯牛之宗族。生於不肖之父、以德行著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記索隠』に引く『孔子家語』に「孔子よりわかきこと二十九歳」(少孔子二十九歳)とある。ウィキソース「史記索隱 (四庫全書本)/卷18」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉雍、字は仲弓。仲弓、政を問う。孔子曰く、門を出ずるは大賓を見るが如くし、民を使うは大祭をくるが如くす。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し、と。孔子、仲弓を以て徳行有りと為す。曰く、雍や南面せしむ可し、と。仲弓の父は賤人なり。孔子曰く、ぎゅうの子も、あかくして且つ角あらば、用いる勿からんと欲すと雖も、山川其れこれてんや、と」(冉雍字仲弓。仲弓問政。孔子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。在邦無怨、在家無怨。孔子以仲弓爲有德行。曰、雍也可使南面。仲弓父賤人。孔子曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子謂仲弓曰 … 『義疏』に「此れ父の徳無くして、子の賢を廃するを以てせざるを明らかにするなり。仲弓の父は劣、当に是れ時に、仲弓の父劣と為して、仲弓を用いざるべし。故に孔子之を明言するなり。范寧曰く、必ずしも対言するに非ざるを謂うなり」(此明不以父無德、而廢子之賢也。仲弓父劣、當是于時爲仲弓父劣而不用仲弓。故孔子明言之也。范寧曰、謂非必對言也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 犂牛之子、騂且角 … 『集解』の何晏の注に「犂は、雑文なり。騂は、赤色なり。角とは、角の周正、犠牲に中たるなり。其の生ずる所の犂を以て用いざらんと欲すと雖も、山川いずくんぞ之を舎つるを肯んぜんや。言うこころは父善からずと雖も、其の子の美をそこなわざるなり」(犂、雜文也。騂、赤色。角者、角周正、中犧牲也。雖欲以其所生犂而不用、山川寧肯舍之乎。言父雖不善、不害於其子之美也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「設を為して譬うるなり。犂牛は、文なり。雑文なるを犂と曰う。騂は赤色なり。周家の貴ぶ所なり。角は、角の周正、長短尺寸、礼に合するなり。言うこころは仮今たとい犁牛なるも好子を生まば、色角礼に合するなり」(爲設譬也。犂牛文也。雜文曰犂。騂赤色也。周家所貴也。角角周正、長短尺寸合禮也。言假今犂牛而生好子、色角合禮也)とある。また『集注』に「犂は、雑文。せいは、赤色。周人赤を尚べば、牲に騂を用う。角は、角の周正して、犠牲に中たるなり」(犂、雜文。騂、赤色。周人尚赤、牲用騂。角、角周正、中犧牲也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 雖欲勿用、山川其舎諸 … 『義疏』に「勿は、猶お不のごときなり。舎は、猶お棄のごときなり。言うこころは犂牛好子を生み、子既に色角悉く正し。而るに時人或いは言う、此の牛は不佳の母より出ず、と。急に此の牛を舎棄して用いざらんと欲す。特に鬼神を祭れば則ち山川の百神、豈に此の牛の母の悪を薄くして其の子を棄舎し、遂に此の祭を歆饗せざらんや。必ずや舎てざらん。譬えば仲弓の賢の如き、其の父劣なりと雖も、若し明王聖主に遭わば、豈に仲弓の父劣なるが為にして、仲弓の賢を舎てて、用て諸侯と為さざらんや。明らかに必ず用うるなり」(勿、猶不也。舍、猶棄也。言犂牛生好子、子既色角悉正。而時人或言、此牛出不佳之母。急欲舍棄此牛而不用。特祭於鬼神則山川百神、豈薄此牛母惡而棄舍其子、遂不歆饗此祭乎。必不舍矣。譬如仲弓之賢、其父雖劣、若遭明王聖主、豈爲仲弓父劣、而舍仲弓之賢、不用爲諸侯乎。明必用也)とある。また『集注』に「用は、用いて以て祭るなり。山川は、山川の神なり。人用いざると雖も、神必ず舎てざるを言うなり。仲弓の父賤しくして悪を行う。故に夫子此を以て之に譬う。言うこころは父の悪、其の子の善を廃すること能わず。仲弓の賢が如きは、自ら当に世に用いらるべきなり。然れども此れ仲弓を論じて云爾しかいう。仲弓と言うに非ざるなり」(用、用以祭也。山川、山川之神也。言人雖不用、神必不舍也。仲弓父賤而行惡。故夫子以此譬之。言父之惡、不能廢其子之善。如仲弓之賢、自當見用於世也。然此論仲弓云爾。非與仲弓言也)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「そうを以て父と為して舜有り。こんを以て父と為して禹有り。古えの聖賢、世類にかからざること、ひさし。子能く父の過ちを改め、悪を変じて以て美と為せば、則ち孝と謂う可し」(以瞽瞍爲父而有舜。以鯀爲父而有禹。古之聖賢不係於世類、尚矣。子能改父之過、變惡以爲美、則可謂孝矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「其の俗の悪しきを以て、其の人の才を捨てず。其の父の醜きを以て、其の子の美を棄てず。実に天地の心なり。門人此れを記して、以て夫子人を取るの方無きを見わすなり」(不以其俗之惡、而捨其人之才。不以其父之醜、而棄其子之美。實天地之心也。門人記此、以見夫子取人之無方也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「犂牛の章は、旧註之を尽くせり。但だ左伝に、宋公そうしゃに用う、と。是れ古え用うと曰う者は、以て牲と為すを謂うなり。山川てずとは、天舎てざるに譬うるなり。朱註に、自ずから当に世に用いらるべきなり、と。夫子の意は乃ち天を謂うなり。用うること勿からんと欲すと雖もは、人なり。故に天の舎てざることを知るなり」(犂牛章、舊註盡之矣。但左傳、宋公用鄫子於社。是古曰用者、謂以爲牲也。山川不舍者、譬天不舍也。朱註、自當見用於世也。夫子之意乃謂天也。雖欲勿用者、人也。故知天不舍也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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