子路第十三 2 仲弓爲季氏宰章
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仲弓爲季氏宰。問政。子曰。先有司。赦小過。舉賢才。曰。焉知賢才而舉之。曰。舉爾所知。爾所不知。人其舎諸。
仲弓爲季氏宰。問政。子曰。先有司。赦小過。舉賢才。曰。焉知賢才而舉之。曰。舉爾所知。爾所不知。人其舎諸。
仲弓季氏の宰と為り、政を問う。子曰く、有司を先にし、小過を赦し、賢才を挙げよ。曰く、焉んぞ賢才を知りて之を挙げん。曰く、爾の知る所を挙げよ。爾の知らざる所は、人其れ諸を舎てんや。
現代語訳
- 仲弓(チュウキュウ)が(魯の国の家老)季氏の執事になり、政治のことをきく。先生 ――「まず担任をきめ、ちいさな落ちどはゆるし、できる人はとりたてる。」 ―― 「どうしたらできる人がとりたてられます…。」先生 ――「知ってる人を使うんだ。こっちの知らない人は、他人が使わずにはおかぬ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 仲弓が魯の大夫季氏の執事となったときに、政治について先師にたずねた。先師がいわれた。――
「それぞれの係の役人を先に立てて働かせるがいい。小さな過失は大目に見るがいい。賢才を挙用することを忘れないがいい」
仲弓がたずねた。――
「賢才を挙用すると申しましても、もれなくそれを見いだすことはむずかしいと存じますが――」
先師がいわれた。――
「それは心配ない。お前の知っている賢才を挙用さえすれば、お前の知らない賢才は、人がすててはおかないだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 仲弓 … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉雍は字は仲弓。伯牛の宗族なり。不肖の父より生まれ、徳行を以て名を著す」(冉雍字仲弓。伯牛之宗族。生於不肖之父、以德行著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記索隠』に引く『孔子家語』に「孔子より少きこと二十九歳」(少孔子二十九歳)とある。ウィキソース「史記索隱 (四庫全書本)/卷18」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉雍、字は仲弓。仲弓、政を問う。孔子曰く、門を出ずるは大賓を見るが如くし、民を使うは大祭を承くるが如くす。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し、と。孔子、仲弓を以て徳行有りと為す。曰く、雍や南面せしむ可し、と。仲弓の父は賤人なり。孔子曰く、犂牛の子も、騂くして且つ角あらば、用いる勿からんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎てんや、と」(冉雍字仲弓。仲弓問政。孔子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。在邦無怨、在家無怨。孔子以仲弓爲有德行。曰、雍也可使南面。仲弓父賤人。孔子曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 先有司 … 宮崎市定は「先の有司は」と読み、「これまでいた役人は」と訳している(『論語の新研究』)。
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