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雍也第六 1 子曰雍也可使南面章

120(06-01)
子曰、雍也可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰、可也。簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎。子曰、雍之言然。
いわく、よう南面なんめんせしむし。仲弓ちゅうきゅうそうはくう。いわく、なり。かんなり。仲弓ちゅうきゅういわく、けいかんおこない、もったみのぞむは、ならずや。かんかんおこなうは、すなわ大簡たいかんなることからんや。いわく、ようげんしかり。
現代語訳
  • 先生 ――「雍(ヨウ)くんは、殿さまにしてもいい。」雍(仲弓)がきく、「子桑(シソウ)伯さんは…。」先生 ――「よかろう。大まかで。」仲弓 ―― 「気はついていて大まかに、民をおさめるのでしたら、それもいいでしょう。大まかな人の大まかなら、ズボラですね。」先生 ――「雍くんのいうとおりだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が門人冉雍ぜんようあざなは仲弓)をほめて、「雍は人君として南面させてもよい人物じゃ。」と言われた。かくまで言われるには理由がある。仲弓がかつて子桑伯子のことをおたずねしたときに、孔子様が、「よい人物じゃ。大まかでコセコセしない。」と言われた。すると仲弓が、「心のもち方はしんちょうで、する事は大まかなのが、君として民にのぞむ道ではありますまいか。気持も大まか、する事も大まかでは、大まか過ぎはいたしませんか。」とおたずねした。孔子様が感心して、「なるほど雍の言うとおりだ。」とおっしゃった。かような事もあったので、孔子様が仲弓を人君のがある、と評されたのである。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ようには人君の風がある。南面して政を見ることができよう」
         *
    仲弓が先師にそうはくの人物についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「よい人物だ。大まかでこせこせしない」
    すると仲弓がまたたずねた。――
    「日常あくまでも敬慎の心を以って万事を裁量しつつ、政治の実際にあたっては、大まかな態度で人民にのぞむ、これが為政の要道ではありますまいか。もし、日常の執務も大まかであり、政治の実際面でも大まかであると、放漫になりがちだと思いますが」
    先師がいわれた。――
    「おまえのいうとおりだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 「子曰、雍也可使南面」までを一章とするテキストもある。
  • 雍 … 前522~?。姓はぜん、名は雍、あざなは仲弓。魯の人。孔子より二十九歳若いという。徳行にすぐれていた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【仲弓】参照。
  • 南面 … 君主の位につくこと。君主の座席が南向きになっていることから。
  • 仲弓 … ぜんようあざな。上記「雍」参照。
  • 子桑伯子 … 人物については不明。魯の人か。
  • 可 … よろしい。
  • 簡 … こせこせしない。大まかである。
  • 居敬而行簡 … 心構えが慎み深く、行動が大まかである。
  • 居 … 日常生活における心構え。
  • 行 … 政治家としての行動。
  • 臨其民 … 人民を治める。政治をとり行う。
  • 不亦可乎 … またよろしいではないか。
  • 不亦~乎 … 「また~ならずや」と読み、「なんと~ではないか」と訳す。詠嘆の形。
  • 居簡而行簡 … 心構えが大まかで、行動も大まかである。
  • 無乃~乎 … 「すなわち~なからんや」と読み、「むしろ~ではなかろうか」と訳す。反語の形。
  • 大簡 … 大まか過ぎる。
  • 雍之言然 … 雍の言うとおりだ。
補説
  • 雍也第六 … 『集解』に「凡そ三十章」(凢三十章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「雍は、孔子の弟子なり。其の才南面するに堪うれども、時与えざるを明らかにするなり。前者に次する所以なり。其れ横罪無しと雖も、亦た是れ不遇の流、横罪切たり。故に公冶前に明らかにして、雍也を次と為すなり」(雍、孔子弟子也。明其才堪南面、而時不與也。所以次前者。其雖無横罪、亦是不遇之流、横罪爲切。故公冶前明、而雍也爲次也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇も亦た賢人・君子、及び仁・知・中庸の徳を論ず。大抵前と相類す、故に以て之を次す」(此篇亦論賢人君子、及仁知中庸之德。大抵與前相類、故以次之)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「凡そ二十八章。篇内の第十四章以前は、大意は前篇と同じ」(凡二十八章。篇内第十四章以前、大意與前篇同)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』では「子曰、雍也可使南面」までを本章とし、「此の章は弟子冉雍の徳行を称す」(此章稱弟子冉雍之德行)とある。また「仲弓問子桑伯子」から「子曰、雍之言然」までを次章とし、「此の章は簡を行うの法を明らかにす」(此章明行簡之法)とある。
  • 仲弓(雍) … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉雍は字は仲弓。伯牛の宗族なり。不肖の父より生まれ、徳行を以て名を著す」(冉雍字仲弓。伯牛之宗族。生於不肖之父、以德行著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記索隠』に引く『孔子家語』に「孔子よりわかきこと二十九歳」(少孔子二十九歳)とある。ウィキソース「史記索隱 (四庫全書本)/卷18」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉雍、字は仲弓。仲弓、政を問う。孔子曰く、門を出づるは大賓を見るが如くし、民を使うは大祭をくるが如くす。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し、と。孔子、仲弓を以て徳行有りと為す。曰く、雍や南面せしむ可し、と。仲弓の父は賤人なり。孔子曰く、ぎゅうの子も、あかくして且つ角あらば、用いる勿からんと欲すと雖も、山川其れこれてんや、と」(冉雍字仲弓。仲弓問政。孔子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。在邦無怨、在家無怨。孔子以仲弓爲有德行。曰、雍也可使南面。仲弓父賤人。孔子曰、犂牛之子、騂且角、雖欲勿用、山川其舍諸)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 可使南面 … 『集解』に引く包咸の注に「南面せしむ可しとは、諸侯に任じて国を治めしむ可きを言うなり」(可使南面者、言任諸侯可使治國之也)とある。ここでの「之」の字は衍字か。また『義疏』に「南面は、諸侯と為るを謂うなり。孔子は冉雍の徳、諸侯と為らしむ可しと言うなり」(南面、謂爲諸侯也。孔子言冉雍之德可使爲諸侯也)とある。また『注疏』に「南面は、諸侯を謂うなり。言うこころは冉雍には徳行有りて、諸侯の為に一国を治理するに堪任する者なり」(南面、謂諸侯也。言冉雍有德行、堪任爲諸侯治理一國者也)とある。また『集注』に「南面とは、人君の治を聴くの位なり。言うこころは仲弓は寛洪簡重にして、人君の度有るなり」(南面者、人君聽治之位。言仲弓寛洪簡重、有人君之度也)とある。度は、度量。
  • 仲弓問子桑伯子 … 『集解』に引く王粛の注に「伯子は、書伝に見ること無し」(伯子、書傳無見焉)とある。また『義疏』に「仲弓は、即ち冉雍なり。孔子に問いて曰く、人有り、名は子桑伯子、此れは是れ何人ぞや、と。言うこころは書伝に子桑伯子有ることを見ざるなり」(仲弓、即冉雍也。問孔子曰、有人、名子桑伯子、此是何人也。言書傳不見有子桑伯子也)とある。また『注疏』に「仲弓は、冉雍の字なり。子桑伯子其の人の徳行の何如を問う」(仲弓、冉雍字也。問子桑伯子其人德行何如)とある。また『集注』に「子桑伯子は、魯人。胡氏以為おもえらく、疑うらくは即ち荘周が称する所の子桑戸なる者、是れならん。仲弓は夫子のおのれに南面するを許すを以て、故に伯子は如何と問う」(子桑伯子、魯人。胡氏以爲、疑即莊周所稱子桑戸者、是也。仲弓以夫子許己南面、故問伯子如何)とある。
  • 子曰、可也。簡 … 『集解』の何晏の注に「其の能く簡なるを以ての故に可なりと曰うなり」(以其能簡故曰可也)とある。また『義疏』に「可は、猶お可のいいのごときなり。簡は、疎大にして細行無きを謂うなり。孔子答えて曰く、伯子の人身行う所、踈簡と謂う可きなり。言うこころは伯子能く簡略の行を為す。故に云う、可なり、と」(可、猶可謂也。簡、謂疎大無細行也。孔子答曰、伯子人身所行可謂踈簡也。言伯子能爲簡略之行。故云、可也)とある。また『注疏』に「孔子仲弓の為に子桑伯子の徳行を述ぶるなり。簡は、略なり。言うこころは其の人の可なるは、其の行いの能く寬略なるが故を以てなり」(孔子爲仲弓述子桑伯子之德行也。簡、略也。言其人可也、以其行能寬略故也)とある。また『集注』に「可とは、僅かに可にして未だ尽くさざる所有るの辞なり。簡とは、煩ならざるの謂なり」(可者、僅可而有所未盡之辭。簡者、不煩之謂)とある。また宮崎市定は「可」を子桑伯子の名と推測し、「かんなり」と読み、「可は大まかな人間だ」と訳している。詳しくは『論語の新研究』106頁以下参照。
  • 仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「身を敬粛に居きて、下に臨みて寛略なれば、則ち可なり」(居身敬肅、臨下寛畧、則可也)とある。また『義疏』に「孔子答えて曰く、伯子の行う所、疎簡と謂う可し。故に仲弓更に孔子に諮る。伯子の簡は礼に合せずと評するなり。将に其の簡、礼に合せざるを説かんとす。故に此れ先ず礼に合するの簡を説くなり。言うこころは人、若し身を居くに敬有りて、寛簡にして以て下民に臨まば、能く此くの如きの者、乃ち礼に合すと為す。故に云う、亦た可ならずや。其の可なるを言うなり」(孔子答曰、伯子所行、可謂疎簡。故仲弓更諮孔子。評伯子之簡不合禮也。將説其簡不合於禮。故此先説於合禮之簡也。言人、若居身有敬、而寛簡以臨下民、能如此者乃爲合禮。故云、不亦可乎。言其可也)とある。また『注疏』に「仲弓因りて簡の可否を弁ず。言うこころは若し身を居くこと敬粛、而して寬略を行い、以て其の下民に臨むは、亦た可ならずや。其の可なるを言うなり」(仲弓因辨簡之可否。言若居身敬肅、而行寬略、以臨其下民、不亦可乎。言其可也)とある。また『集注』に「言うこころは自ら処るに敬を以てすれば、則ち中に主有りて自ら治むること厳なり。是くの如くして簡を行い以て民に臨めば、則ち事煩わしからずして、民みだれず。可と為す所以なり」(言自處以敬、則中有主而自治嚴。如是而行簡以臨民、則事不煩、而民不擾。所以爲可)とある。
  • 居簡而行簡、無乃大簡乎 … 『集解』に引く包咸の注に「伯子の簡は、大いに簡なり」(伯子之簡、大簡也)とある。また『義疏』に「此の伯子の簡は礼に合せざるを説くなり。而も伯子みずから敬無くして、簡を以て自ら居し、又た簡を行うに物に対す。物に対すれば皆敬無し。而して簡此くの如くんば、乃ち大簡ならざらんや。言うこころは其の簡の過ぎたること甚だしきなり」(此説伯子之簡不合禮也。而伯子身無敬、而以簡自居、又行簡對物。對物皆無敬。而簡如此、不乃大簡乎。言其簡過甚也)とある。また『注疏』に「言うこころは身を居くこと寬略にして、行いも又た寬略なるは、乃ち大簡なれば、則ち子桑伯子の簡は、是れ大簡なり」(言居身寬略、而行又寬略、乃大簡也、則子桑伯子之簡、是大簡也)とある。また『集注』に「若し先ず自ら処るに簡を以てすれば、則ち中に主無くして、自ら治むること疎なり。而して行う所も又た簡なれば、豈に之を大簡に失いて法度の守る可きこと無からざらんや。家語に記す、伯子衣冠せずして処る。夫子其の人道を牛馬に同じくせんと欲するをそしる、と。然らば則ち伯子蓋し大簡なる者にして、仲弓、夫子の過って許すかと疑う」(若先自處以簡、則中無主、而自治疎矣。而所行又簡、豈不失之大簡而無法度之可守乎。家語記、伯子不衣冠而處。夫子譏其欲同人道於牛馬。然則伯子蓋大簡者、而仲弓疑夫子之過許與)とある。
  • 子曰、雍之言然 … 『義疏』に「雍の簡を論ずること既になり、故に孔子は之を然りと許すなり。虞喜曰く、説苑に曰く、孔子伯子にまみゆ、伯子衣冠せずして処る、弟子曰く、夫子なんれぞ此の人にまみゆるや。曰く、其の質美にして文繁無し、吾説きて之を文あらしめんと欲す。孔子去る、子桑伯子の門人よろこばずして曰く、なんれぞ孔子にまみゆるや。曰く、其の質美にして文繁なり、吾説きて其の文を去らしめんと欲す。故に曰く、文質おさまる者、之を君子と謂い、質有りて文無き、之を易野いやと謂う。子桑伯子は易野にして、人道を牛馬に同じうせんと欲す、故に仲尼曰く、大簡なり、と」(雍論簡既是、故孔子然許之也。虞喜曰、説苑曰、孔子見伯子、伯子不衣冠而處、弟子曰、夫子何爲見此人乎。曰、其質美而無文繁、吾欲説而文之。孔子去、子桑伯子門人不説曰、何爲見孔子乎。曰、其質美而文繁、吾欲説而去其文。故曰、文質修者、謂之君子、有質而無文、謂之易野。子桑伯子易野、欲同人道於牛馬、故仲尼曰大簡也)とある。易野は、心が誠実であるが、礼文が備わらないこと。また『注疏』に「然は、猶おのごときなり。夫子は仲弓の言を許す、是の故に然りと曰う」(然、猶是也。夫子許仲弓之言、是故曰然)とある。『集注』に「仲弓蓋し未だ夫子の可の字の意をさとらざるも、其の言う所の理、黙契もっけいする者有り。故に夫子之を然りとす」(仲弓蓋未喩夫子可字之意、而其所言之理、有默契焉者。故夫子然之)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「子桑伯子の簡は、取る可しと雖も、而れども未だ善を尽くさず。故に夫子可なりと云う。仲弓因りて言う、内、敬を主として簡なれば、則ち要直と為す。内、簡を存して簡なれば、則ち疎略と為す。其の旨を得たりと謂う可し」(子桑伯子之簡、雖可取而未盡善。故夫子云可也。仲弓因言、内主於敬而簡、則爲要直。内存乎簡而簡、則爲疎略。可謂得其旨矣)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「敬に居れば則ち心中に物無し。故に行う所自ら簡なり。簡に居れば、則ち先ず簡に心有りて、一の簡の字多し。故に太簡と曰う」(居敬則心中無物。故所行自簡。居簡、則先有心於簡、而多一簡字矣。故曰太簡)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人の上に居る者は、衆の倚り頼る所なり。故に事を敬するを以て主と為す。政の柄を執る者は、亦たそうに至り易し。故に易簡を以て要と為す。故に居ること敬にして行うこと簡ならば、則ち民ならう所有りて、政其の要を得ん。夫子の之を許すも宜なり」(居人之上者、衆之所倚賴。故以敬事爲主。執政之柄者、亦易至叢脞。故以易簡爲要。故居敬而行簡、則民有所效、而政得其要。夫子許之宜矣)とある。叢脞は、こまごまとしていて、まとまりがないこと。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「雍や南面せしむ可し、包咸曰く、言うこころは諸侯に任じて治めしむるなり。家語顔子を以て王者のしょうと為し、仲弓をゆうの君子と為す。包註は蓋しこれに本づく。朱註に、寛洪簡重にして、人君の度有り、と。本文はだ南面せしむ可きを言う。故に朱子も亦た止だ人君の度有るを謂い、而うして家語・包註を取らず。然れども古えの所謂君とは、皆諸侯の称、儀礼諸書皆しかり。……然れども其の材は諸侯と為る可くして、而も大夫と為る可からず。……仲弓は以て伯子も亦た南面せしむるに足ると為し、孔子之を然りとす。故に可なりと曰う。……蓋し万世の人君、がいなるに論ずる亡く、其の聡慧なるは皆苛細に失す。故に書に曰く、元首そうなるかな、と。此れ孔子の簡もて伯子を取る所以なり。……居くこと敬にして行うこと簡は、孔安国曰く、身を敬粛に居いて、しもに臨むに寛略なるときは則ち可なり、と。……謂う所の心中物無しとは、達磨に非ずして何ぞ」(雍也可使南面、包咸曰、言任諸侯治。家語以顏子爲王者相、仲弓爲有土之君子。包註蓋本諸。朱註、寛洪簡重、有人君之度也。本文止言可使南面。故朱子亦止謂有人君之度、而不取家語包註。然古所謂君者、皆諸侯之稱、儀禮諸書皆爾。……然其材可爲諸侯、而不可爲大夫。……仲弓以爲伯子亦足使南面、孔子然之。故曰可也。……蓋萬世人君、亡論愚騃、其聰慧皆失於苛細。故書曰、元首叢脞哉。此孔子所以簡取伯子也。……居敬而行簡、孔安國曰、居身敬肅、臨下寛略則可。……所謂心中無物、非達磨而何)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十