里仁第四 15 子曰參乎章
081(04-15)
子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣。
子曰く、参や、吾が道は一以て之を貫く。曾子曰く、唯。子出づ。門人問いて曰く、何の謂ぞや。曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ。
現代語訳
- 先生 ――「参(シン)くん、わしの道はひとすじじゃよ。」曽(ソウ)先生の返事 ―― 「ええ。」あとで、弟子たちがたずねる、「あの意味は…。」曽先生 ――「先生の道とは、『思いやり』なんだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様が曾子に呼びかけて、「参よ、わしが説きかつ行う道には、一貫した原理があるぞよ。」と言われた。曾子は「はい」と答えた。外の門人たちには何の事かわからなかったので、先生が出かけられたのち、曾子に向かって、「さっきのは何の意味ですか」とたずねたところ、曾子が言うよう、「先生の道は結局忠恕すなわち誠実と思いやりのみ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「参よ、私の道はただ一つの原理で貫かれているのだ」
曾先生がこたえられた。――
「さようでございます」
先師はそういって室を出て行かれた。すると、ほかの門人たちが曾先生にたずねた。――
「今のはなんのことでしょう」
曾先生はこたえていわれた。――
「先生の道は忠恕の一語につきるのです」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 参 … 曾子の名。「しん」と読み、「さん」とは読まない。
- 乎 … 呼びかけに用いて「や」と読む。「~よ」と訳す。
- 一以貫之 … 「之」は「一」を強めるための語助の辞。故事名言【一以て之を貫く】参照。
- 曾子 … 姓は曾、名は参、字は子輿。魯の人。孔子より四十六歳年少の門人。『孝経』を著した。ウィキペディア【曾子】参照。
- 唯 … 「い」と読む。目上の人に対し、「はい」と答える丁寧な返事。
- 門人 … 孔子の他の門人たち。曾子の門人という説もあるが、ここではとらない。
- 何謂也 … 疑問の形。どういう意味ですか。
- 夫子 … 賢者・先生・年長者を呼ぶ尊称。ここでは孔子の弟子たちが孔子を呼ぶ尊称。
- 忠恕 … 真心と思いやり。
- 而已矣 … 「のみ」と読む。強い断定の意を示す。「而已」をさらに強調した言い方。「~だけだ」「他にはない、ただこれだけだ」の意。「而已焉」「而已耳」も同じ。
補説
- 『注疏』に「此の章は忠恕を明らかにするなり」(此章明忠恕也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 参乎 … 『義疏』に「曾子の名を呼びて之に語げんと欲す。参は、曾子の名なり」(呼曾子名欲語之。參、曾子名也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「曾子の名を呼び、之に語らんと欲するなり」(呼曾子名、欲語之也)とある。また『集注』に「参やとは、曾子の名を呼びて之に告ぐ」(參乎者、呼曾子之名而告之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 吾道一以貫之 … 『義疏』に「曾子に語る所の言なり。道とは、孔子の道なり。貫は、猶お統のごときなり。譬えば縄を以て物を穿ち、貫統すること有るが如きなり。孔子曾子に語げて曰く、吾が教化の道は、唯だ一道を用いて以て天下の万理を貫統するなり。故に王弼曰く、貫は、猶お統のごときなり。夫れ事に帰する有り。理に会する有り。故に其の帰を得れば、事殷大なりと雖も、一名を以て挙ぐ可く、其の会を総ぶ。理博しと雖も至約を以て窮す可きなり。譬えば猶お君民を御するに、一を執り衆を統ぶるの道を以てするがごときなり、と」(所語曾子之言也。道者、孔子之道也。貫、猶統也。譬如以繩穿物、有貫統也。孔子語曾子曰、吾教化之道、唯用一道以貫統天下萬理也。故王弼曰、貫、猶統也。夫事有歸。理有會。故得其歸、事雖殷大、可以一名舉、總其會。理雖博可以至約窮也。譬猶以君御民、執一統衆之道也)とある。殷大は、盛んで大きい。盛大。また『注疏』に「貫は、統なり。孔子曾子に語りて言う、我が行う所の道は、唯だ一理を用うるのみにて、以て天下万事の理を統ぶるなり、と」(貫、統也。孔子語曾子言、我所行之道、唯用一理、以統天下萬事之理也)とある。また『集注』に「貫は、通なり」(貫、通也)とある。
- 一以貫之 … 『義疏』では「一以貫之哉」に作る。
- 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為えらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 曾子曰、唯 … 『集解』に引く孔安国の注に「直ちに暁りて問わず。故に答えて唯と曰うなり」(直曉不問。故荅曰唯也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「唯は、猶お今の爾に応ずるがごときなり。曾子は孔子の言を暁る。故に直ちに爾に応ずるのみ、諮問せざるなり」(唯、猶今應爾也。曾子曉孔子言。故直應爾而已、不諮問也)とある。また『注疏』に「曾子直ちに其の理を暁りて、更に問うを須いず。故に答えて唯と曰う」(曾子直曉其理、更不須問。故答曰唯)とある。また『集注』に「唯とは、応ずるの速やかにして疑い無き者なり。聖人の心は、渾然一理にして、泛く応じ曲に当たり、用各〻同じからず。曾子其の用処に於いて、蓋し已に事に随い精察して力めて之を行えども、但だ未だ其の体の一なるを知らざるのみ。夫子其の真に積み力むること久しくして、将に得る所有らんとするを知る。是を以て呼びて之に告ぐ。曾子果たして能く其の指を黙契す。即ち応ずるの速やかにして疑い無きなり」(唯者、應之速而無疑者也。聖人之心、渾然一理、而泛應曲當、用各不同。曾子於其用處、蓋已隨事精察而力行之、但未知其體之一爾。夫子知其眞積力久、將有所得。是以呼而告之。曾子果能默契其指。即應之速而無疑也)とある。
- 子出 … 『義疏』に「当に是れ孔子曾子の処に往きて、曾子の答えを得。竟わり後にして孔子戸を出でて去る」(當是孔子往曾子處、得曾子荅。竟後而孔子出戸去)とある。また『注疏』に「孔子出でて去るなり」(孔子出去也)とある。
- 門人問曰、何謂也 … 『義疏』に「門人は、曾子の弟子なり。孔子の言を解せず。故に曾子に問うなり」(門人、曾子弟子也。不解孔子之言。故問於曾子也)とある。また『注疏』に「門人は、曾子の弟子なり。夫子の言を暁らず、故に曾子に問うなり」(門人、曾子弟子也。不曉夫子之言、故問於曾子也)とある。
- 曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣 … 『義疏』に「曾子弟子に答うるなり。孔子の道を釈するなり。忠は、中心を尽くすを謂うなり。恕は、我を忖して以て人を度るを謂うなり。言うこころは孔子の道は、更に他の法無し。故に忠恕の心を用て、己を以て物を測れば、則ち万物の理、皆窮験す可きなり。故に王弼曰く、忠とは、情の尽くるなり。恕とは、情に反りて以て物に同じき者なり。未だ諸を其の身に反りて物の情を得ずということ有らず、未だ能く其の恕を全くして理の極を尽くさずということ有らざるなり。能く理の極を尽くすときは、則ち物の統べずということ無し。極二ある可からず、故に之を一と謂うなり。身を推して物を統べ、類を窮めて適に尽くす、一言にして身を終うるまで行う可き者は、其れ唯だ恕なり、と」(曾子荅弟子也。釋於孔子之道也。忠、謂盡中心也。恕、謂忖我以度於人也。言孔子之道、更無他法。故用忠恕之心、以己測物、則萬物之理、皆可窮驗也。故王弼曰、忠者、情之盡也。恕者、反情以同物者也。未有反諸其身而不得物之情、未有能全其恕而不盡理之極也。能盡理極、則無物不統。極不可二、故謂之一也。推身統物、窮類適盡、一言而可終身行者、其唯恕也)とある。また『注疏』に「門人に答うるなり。忠は、中心を尽くすを謂うなり。恕は、己を忖り物を度るを謂うなり。言うこころは夫子の道は、唯だ忠恕の一理を以てするのみにて、以て天下万事の理を統ぶ。更に他法無し。故に而已矣と云う」(答門人也。忠、謂盡中心也。恕、謂忖己度物也。言夫子之道、唯以忠恕一理、以統天下萬事之理。更無他法。故云而已矣)とある。また『集注』に「己を尽くすを之れ忠と謂い、己を推すを之れ恕と謂う。而已矣は、竭尽して余り無きの辞なり」(盡己之謂忠、推己之謂恕。而已矣者、竭盡而無餘之辭也)とある。
- 『集注』に「夫子の一理は渾然として泛く応じ曲に当たる。譬えば則ち天地の至誠息むこと無くして、万物各〻其の所を得るなり。此れより外、固より余法無くして、亦た推すを待つこと無し。曾子此を見ること有りて、之を言い難し。故に学者の己を尽くし己を推すの目を借りて、以て之を著明にす。人の暁り易からんことを欲するなり。蓋し至誠息む無き者は、道の体なり。万殊の一本なる所以なり。万物各〻其の所を得る者は、道の用なり。一本の万殊なる所以なり。此を以て之を観れば、一以て之を貫くの実見る可し。或ひと曰く、中心を忠と為し、如心を恕と為す、と。義に於いて亦た通ず」(夫子之一理渾然而泛應曲當。譬則天地之至誠無息、而萬物各得其所也。自此之外、固無餘法、而亦無待於推矣。曾子有見於此、而難言之。故借學者盡己推己之目、以著明之。欲人之易曉也。蓋至誠無息者、道之體也。萬殊之所以一本也。萬物各得其所者、道之用也。一本之所以萬殊也。以此觀之、一以貫之之實可見矣。或曰、中心爲忠、如心爲恕。於義亦通)とある。
- 『集注』に引く程顥の注に「己を以て物に及ぼすは仁なり。己を推して物に及ぼすは恕なり。道を違ること遠からざるは是れなり。忠恕一以て之を貫く。忠は天道、恕は人道なり。忠は無妄、恕は忠を行う所以なり。忠は体、恕は用なり。大本達道なり。此れ道を違ること遠からずと異なるは、動くに天を以てするのみ」(以己及物仁也。推己及物恕也。違道不遠是也。忠恕一以貫之。忠者天道、恕者人道。忠者無妄、恕者所以行乎忠也。忠者體、恕者用。大本達道也。此與違道不遠異者、動以天爾)とある。
- 『集注』に引く程頤の注に「維れ天の命、於穆として已まずは、忠なり。乾道変化して、各〻性命を正すは、恕なり」(維天之命、於穆不已、忠也。乾道變化、各正性命、恕也)とある。
- 『集注』に引く程頤の注に「聖人の人に教うるは、各〻其の才に因る。吾が道一以て之を貫くは、惟だ曾子のみ能く此に達すと為す。孔子の之に告ぐる所以なり。曾子の門人に告げて、夫子の道、忠恕のみと曰えるも、亦た猶お夫子の曾子に告ぐるがごときなり。中庸の所謂忠恕道を違ること遠からずは、斯れ乃ち下学して上達すの義なり」(聖人教人、各因其才。吾道一以貫之、惟曾子爲能達此。孔子所以告之也。曾子告門人曰、夫子之道、忠恕而已矣、亦猶夫子之告曾子也。中庸所謂忠恕違道不遠、斯乃下學上達之義)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、聖人の道は、彝倫綱常の間に過ぎずして、人を済うを大なりと為す。故に曾子は忠恕を以て、夫子の一以て之を貫くの旨を発揮す。嗚呼聖人の道を伝えて、之を後学に告げ、其の旨明らかにして且つ尽くせり。……先儒以為えらく、夫子の心は、一理渾然として、泛応曲当す。惟だ曾子此に見ること有りて、学者の能く与り知る所に非ざるなり。故に学者忠恕の目を借りて、以て一貫の旨を暁すと。豈に然らんや」(論曰、聖人之道、不過彝倫綱常之間、而濟人爲大。故曾子以忠恕、發揮夫子一以貫之之旨。嗚呼傳聖人之道、而告之後學、其旨明且盡矣。……先儒以爲、夫子之心、一理渾然、而泛應曲當。惟曾子有見於此、而非學者之所能與知也。故借學者忠恕之目、以曉一貫之旨。豈然乎哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「吾が道とは、先王の道なり。先王の道は、孔子の由る所、故に吾が道と曰う。……大氐宋世は禅学甚だ盛んなりき。……儒者は心に之を羨む。……遂に孔門の一貫を以て、大小の大事とし、曾子の唯は、即ち迦葉の微笑なりとす。豈に児戯ならずや。……先王の道は、先王民を安んぜんが為に之を立つ。故に其の道仁なる者有り、智なる者有り、義なる者有り、勇なる者有り、倹なる者有り、恭なる者有り、神なる者有り、人なる者有り、自然に似たる者有り、偽に似たる者有り、本なる者有り、末なる者有り、近き者有り、遠き者有り、礼有り、楽有り、兵有り、刑有り、制度云為、一を以て尽くす可からず、紛雑乎として得て究む可からず。故に之に命けて文と曰う。……仁に依れば、則ち先王の道、以て之を貫す可し。故に一と曰わずして、而うして一以て之を貫すと曰う。諸を銭と繦とに辟う。仁は、繦なり。先王の道は、銭なり。銭は即ち繦なりと謂って可ならんや。是れ一貫の旨なり」(吾道者、先王之道也。先王之道、孔子所由、故曰吾道。……大氐宋世禪學甚盛。……儒者心羨之。……遂以孔門一貫、大小大事、曾子之唯、即迦葉微笑矣。豈不兒戲乎。……先王之道、先王爲安民立之。故其道有仁焉者、有智焉者、有義焉者、有勇焉者、有儉焉者、有恭焉者、有神焉者、有人焉者、有似自然焉者、有似僞焉者、有本焉者、有末焉者、有近焉者、有遠焉者、有禮焉、有樂焉、有兵焉、有刑焉、制度云爲、不可以一盡焉、紛雜乎不可得而究焉。故命之曰文。……依於仁、則先王之道、可以貫之矣。故不曰一、而曰一以貫之。辟諸錢與繦。仁、繦也。先王之道、錢也。謂錢即繦可乎。是一貫之旨也)とある。繦は、銭を通して束にするひも。銭さし。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
こちらの章もオススメ!
学而第一 | 為政第二 |
八佾第三 | 里仁第四 |
公冶長第五 | 雍也第六 |
述而第七 | 泰伯第八 |
子罕第九 | 郷党第十 |
先進第十一 | 顔淵第十二 |
子路第十三 | 憲問第十四 |
衛霊公第十五 | 季氏第十六 |
陽貨第十七 | 微子第十八 |
子張第十九 | 堯曰第二十 |