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八佾第三 18 子曰事君盡禮章

058(03-18)
子曰、事君盡禮、人以爲諂也。
いわく、きみつかうるにれいくせば、ひともっへつらいとすなり。
現代語訳
  • 先生 ――「おかみをうやまえば、ごきげん取りといわれる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「君に対して礼を尽すのは当然のことだのに、今の人はそれを見てオベッカだとそしる。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「君主に仕えて礼をつくすのは当然だ。しかるに世間ではそれをへつらいだという」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 君 … 君主。
  • 事 … 仕える。
  • 諂 … おべっか。御機嫌をとる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は時の臣の君に事うるに多く礼無きことをにくむなり」(此章疾時臣事君多無禮也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 事君盡禮、人以爲諂也 … 『集解』に引く孔安国の注に「時に君に事うる者、多くは礼無し。故に礼有る者を以て諂いと為すなり」(時事君者、多無禮。故以有禮者爲諂也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「今時に当たり、臣皆佞諂ねいてん阿党す。若し能く君に礼を尽くし忠を竭くす者有るを見れば、因りて共にひるがえしてへつらうを為すと謂う。故に孔子以て当時を疾むを明言するなり」(當于今時、臣皆佞諂阿黨。若見有能盡禮竭忠於君者、因共飜謂爲諂。故孔子明言以疾當時也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは若し人の君に事うるに其の臣の礼を尽くすこと有るも、其の美を将順す、及び善には則ち君を称するの類を謂う、而も礼無きの人は、反りて以て諂佞てんねいと為すなり」(言若有人事君盡其臣禮、謂將順其美、及善則稱君之類、而無禮之人、反以爲諂佞也)とある。また『集注』に引く黄祖舜の注に「孔子は君に事うるの礼に於いて、加うる所有るに非ざるなり。是くの如くして後に尽くすのみ。時人能くせず、反って以て諂うと為す。故に孔子之を言い、以て礼の当然を明らかにするなり」(孔子於事君之禮、非有所加也。如是而後盡爾。時人不能、反以爲諂。故孔子言之、以明禮之當然也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く程頤の注に「聖人は君に事うるに礼を尽くせば、当時以て諂うと為す。若し他人之を言えば、必ず我君に事うるに礼を尽くせども、小人以て諂うと為すと曰わん。而して孔子の言、此くの如くに止まる。聖人の道の大にして徳の宏きこと、此にも亦た見る可し」(聖人事君盡禮、當時以爲諂。若他人言之、必曰我事君盡禮、小人以爲諂。而孔子之言、止於如此。聖人道大德宏、此亦可見)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ夫子当時の薄俗を傷みて、之を歎ずるなり。人臣の君に於ける、礼を尽くすを以て本と為す。夫子を譏りて以て諂いと為る者は、本昏愚柔懦の人に非ず。必ず是れ己を揚げ物におごり、遜譲を知らざる者の言、其の流れ必ず道をそこなうに至る。故に君子は悪む。荀子の言に曰く、道義重ければ則ち王侯を軽んず、と。非なり。王侯豈に軽んず可き者ならんや。其の王侯を軽んずる者は、まさに其の道義を知らざる所以なり」(此夫子傷當時之薄俗、而歎之也。人臣之於君、以盡禮爲本。譏夫子以爲諂者、本非昏愚柔懦之人。必是揚己敖物、不知遜讓者之言、其流必至於賊道。故君子惡焉。荀子之言曰、道義重則輕王侯。非也。王侯豈可輕者耶。其輕王侯者、適其所以不知道義也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「戦国の時、先王の礼廃す。而して君は益〻おごり、臣は益〻いやし。故に孟・荀の言興る。其の弊を究むるに、亦た或いは仁斎の言の若き者有らん。秦天下をあわすに及んで、倨れる者は益〻倨り、卑しき者は益〻卑し。其の定めて以て朝廷の制と為す所の者は、世俗の礼のみ。後世改めず、いつに其の制に沿う。故に秦漢以後、礼無きを以て其の臣を責むる者は、皆暗君なり。礼無きのけんる者は、多くは忠臣とす。何となれば、喜べば則ち賞し、怒れば則ち罰す。賞罰の権君に在り、臣いずくんぞ之を軽んずることを得ん。故に能く王侯を軽んじ大人をかろんずる者は、秦漢よりして後は、是れを君子とす。礼の殊なるが故なり。叚使もし後世の人君をして三代の人臣を視しむれば、則ち其の以て礼無しと為さざる者はいくばくもからん。仁斎之を知らずして荀子を非とするは、亦た其の礼を知らざるが為の故なり。且つ下章に曰く、君、臣を使うに礼を以てすれば、臣、君に事うるに忠を以てす、と。是れ臣の君に事うる、其の礼無きことを患えず、而して其の忠ならざることを患う。勢いの必至なり。故に孔子は礼を言わず。此れを以て之を観る。予故に此の章の言は、孔子の魯の為に発せしことを知る。三家強くして公室弱し。人皆三家に附して公室を軽んじ、習いて以て常と為せり。故に孔子を以て諂うと為す者之れ有り。而して孔子は俗にたがいて必ず其の礼を尽くす。亦た公室をおおいにして三家を抑うる所以なり」(戰國之時、先王之禮廢。而君益倨、臣益卑。故孟荀之言興。究其弊、亦或有若仁齋之言者。及秦幷天下、倨者益倨、卑者益卑。其所定以爲朝廷之制者、世俗之禮耳。後世不改、一沿其制。故秦漢以後、以無禮責其臣者、皆暗君也。獲無禮之譴者、多爲忠臣也。何者、喜則賞、怒則罰。賞罰之權在君、臣安得輕之。故能輕王侯藐大人者、秦漢而後、是爲君子。禮殊故也。叚使後世人君視於三代人臣、則其不以爲無禮者幾希矣。仁齋不之知而非荀子者、亦爲其不知禮故也。且下章曰、君使臣以禮、臣事君以忠。是臣之事君、不患其無禮、而患其不忠。勢之必至也。故孔子不言禮。以此觀之。予故知此章之言、孔子爲魯發焉。三家強而公室弱。人皆附三家而輕公室、習以爲常。故以孔子爲諂者有之。而孔子違俗而必盡其禮。亦所以張公室抑三家也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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