>   論語   >   学而第一   >   2

学而第一 2 有子曰其爲人也孝弟章

002(01-02)
有子曰、其爲人也、孝弟而好犯上者鮮矣。不好犯上而好作亂者、未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者、其爲仁之本與。
ゆういわく、ひとりや、孝弟こうていにしてかみおかすをこのものすくなし。かみおかすことをこのまずしてらんすをこのものは、いまらざるなり。くんもとつとむ。もとちてみちしょうず。孝弟こうていなるものは、じんもとるか。
現代語訳
  • 有先生 ――「人がらがすなおなのに、目上にさからうものは、まずない。目上にさからわないのに、むほんをするものは、あったためしがない。土台がだいじだ。土台あっての道だ。すなおということが、人の道のはじまりだな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 有子が言うよう、「その人柄ひとがらが孝すなわち親孝行でありまた弟すなわち兄思いであって、それで目上の人にさからいたてつくことのすきな者はまずなかろう。目上にさからいたてつくことがすきでなくてそれで騒動そうどうずきの平和撹乱者かくらんしゃであることはけっしてあり得ない。君子たる者は道徳の根本に力をそそぐべきで、根本がシッカリと立てばその先の道はおのずから開けるものだ。この孝と弟こそ結局最高道徳たるじんの根本ではないだろうか。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • ゆう先生がいわれた。――
    「家庭において、親には孝行であり、兄には従順であるような人物が、世間に出て長上に対して不遜であったためしはめったにない。長上に対して不遜でない人が、好んで社会国家の秩序をみだし、乱をおこしたというためしは絶対にないことである。古来、君子は何ごとにも根本を大切にし、まずそこに全精力を傾倒して来たものだが、それは、根本さえ把握すると、道はおのずからにしてひらけて行くものだからである。君子が到達した仁という至上の徳も、おそらく孝弟というような家庭道徳の忠実な実践にその根本があったのではあるまいか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 有子 … 孔子の門弟。姓はゆう、名はじゃくあざなは子有。魯の人。容貌が孔子に似ていたという。門人で「子」と敬称を付けて呼ばれたのは、この有子とそうぜんびんの四人だけ。ウィキペディア【有若】参照。
  • 為人 … 人柄。
  • 孝弟 … 親に孝行で、兄に対して柔順なこと。
  • 犯上 … 目上の人にさからう、楯突く。
  • 鮮矣 … ほとんどない。「矣」は置き字。読まない。
  • 作乱 … 秩序をみだす。争いを起こす。
  • 未之有也 … 今までにあったためしがない。「未」は「いまだ~(せ)ず」と読み、「まだ~しない」と訳す。再読文字。
  • 務本 … 物事の根本の事柄に努力する。
  • 立 … 確立する。
  • 道 … 仁に進むべき方法。
  • 生 … 自然に出てくる。
  • 其為仁之本与 … 仁の根本であろうか。「其~与」は「それ~か」と読み、「きっと~であろうよ」と訳す。また「其れ仁を為すの本か」と訓読した場合は「仁を行なう根本であろうか」と訳す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孝弟の行いを言うなり」(此章言孝弟之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 有子 … 『集解』に引く孔安国の注に「弟子の有若なり」(弟子有若)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。『集注』に「有子は、孔子の弟子、名は若」(有子、孔子弟子、名若)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。なお、生年については確定できず、孔子より三十六歳年少、四十三歳年少など諸説ある。『孔子家語』七十二弟子解に「有若はひとあざなは子有。孔子よりわかきこと三十六歳。人とり強識にして、古道を好む」(有若魯人、字子有。少孔子三十六歲。爲人強識、好古道也)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「有若、孔子よりわかきこと四十三歳。……有若の状、孔子に似たり。弟子あいともともに立てて師と為し、之を師とすること夫子の時の如し」(有若少孔子四十三歲。……有若狀似孔子。弟子相與共立爲師、師之如夫子時也)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。孔子の死後、有若が孔子に似ているので、子夏・子張・子游らが孔子の代わりに彼につかえようとしたが、曾子が大反対したという逸話がある。『孟子』滕文公上篇に「他日子夏・子張・子游、有若の聖人に似たるを以て、孔子に事うる所を以て之に事えんと欲し、曾子にう。曾子曰く、不可なり。江漢以て之をあらい、秋陽以て之をさらす。皜皜こうこうとしてくわう可からざるのみ、と」(他日子夏子張子游、以有若似聖人、欲以所事孔子事之、彊曾子。曾子曰、不可。江漢以濯之、秋陽以暴之。皜皜乎不可尚已)とある。ウィキソース「孟子/滕文公上」参照。
  • 其爲人也、孝弟而 … 『義疏』に「其とは、其の孝悌の者なり。善く父母につかうるを孝と曰い、善く兄に事うるを悌と曰うなり」(其、其孝悌者也。善事父母曰孝、善事兄曰悌也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「善く父母につかうるを孝と為す。善く兄長に事うるを弟と為す」(善事父母爲孝。善事兄長爲弟)とある。
  • 孝弟 … 『義疏』では「孝悌」に作る。同義。
  • 而好犯上者鮮矣 … 『集解』の何晏の注に「鮮は、少なり。上とは、凡そ己の上に在る者を謂う。言うこころは孝悌の人は必ず恭順有りて、好みて其の上を犯さんと欲する者は少なきなり」(鮮、少也。上、謂凡在己上者。言孝悌之人必有恭順、好欲犯其上者少也)とある。また『義疏』に「好は、心欲を謂うなり。犯は、諫争を謂うなり。上は、君・親を謂うなり。鮮は、少なり。言うこころは孝悌の人は、必ず違うこと無きを以て心と為し、恭従を以て性と為す。若し其の君親のかおを犯して諫争せんと欲すること有る者、此の人有ること少なきなり。然して孝悌の者は、実にすべて欲せず。必ず其の人無けん、而るを少と云うことは、君親過ち有るときは、若し任せて諫めずんば、必ず不義におとしいる、孝子の心を存して、都て諫めざらしめんことを欲せざることを明らかにせんと欲す、故に其の少分を開いて必ず諫めしむるなり。故に熊埋云う、孝悌の人は、こころざし和悦に在り、意に先んじて旨を承く。君親日月の過ち有るときは、かおを犯すの諫むること無きを得ず、然して屢〻しばしば忠規を納ると雖も、何ぞ嘗て之を好むや。今実に都て好むこと無けん、而して復た鮮なしと云うことは、好むを以て見に開けば、則ち陵犯の慚を生ず、犯すを以て見に塞げば、則ちきょうひつの心をおさう。必ず宜しくひそかに許す所有るべき者なり、実に其の志分をすすめて、弥〻いよいよ教体を論ずるに在るなり、と」(好謂心欲也。犯謂諫爭也。上謂君親也。鮮少也。言孝悌之人、必以無違爲心、以恭從爲性。若有欲犯其君親之顏諫爭者、有此人少也。然孝悌者、實都不欲。必無其人、而云少者、欲明君親有過、若任而不諫、必陷於不義、不欲存孝子之心、使都不諫、故開其少分令必諫也。故熊埋云、孝悌之人、志在和悦、先意承旨。君親有日月之過、不得無犯顏之諫、然雖屢納忠規、何嘗好之哉。今實都無好、而復云鮮矣者、以好見開、則生陵犯之慚、以犯見塞、則抑匡弼之心。必宜微有所許者、實在奬其志分、彌論教體也)とある。また『注疏』に「弟子の有若曰く、其の人と為りや、父母に孝に、兄長に順にして、而も凡そ己の上に在る者を陵犯せんことを好むは少なし、と。言うこころは孝弟の人、性は必ず恭順なり、故に其の上を犯さんと欲するを好む者は少なきなり」(弟子有若曰、其爲人也、孝於父母、順於兄長、而好陵犯凡在己上者少矣。言孝弟之人、性必恭順、故好欲犯其上者少也)とある。また『集注』に「上を犯すは、上に在るの人をおかし犯すを謂う。鮮は、少なり」(犯上、謂干犯在上之人。鮮少也)とある。
  • 不好犯上而好作乱者、未之有也 … 『義疏』に「熊埋曰く、孝悌の人は、不義に当りて之を争えども、尚お上を犯すに意無し、必ずもととして乱のはしを為さざるなり、と。侃案ずるに、熊の解の意は、是れ言うこころは既に上を犯さんことを好まずんば、必ず乱をおこさず、故に未だ之れ有らざるなりと云う。然れども熊の解を観るに、乃ち間然すること無し、煩長たるが如し。既に上を犯すことを好まず、理宜しく乱れざるべし、何ぞ煩わしく巧明なることを設けん。今師の説を案じて云う、夫れ孝ある者好まず、心自ずから是れ恭順なり、而れども又た不孝の者有りて、亦た好まざること有り、是れは君親のやぶれを願う。故に孝と不孝と、同じく好まざること有り、而れども不孝の者の好まざるは、必ず乱をおこさんと欲す、此れ孝ある者の好まざるは、必ず乱の理無けん、故に未だ之れ有らざるなりと云う、と」(熊埋曰、孝悌之人、當不義而争之、尚無意犯上、必不職爲亂階也。侃案、熊解意、是言既不好犯上、必不作亂、故云未之有也。然觀熊之解、乃無閒然、如爲煩長。既不好犯上、理宜不亂、何煩設巧明。今案師説云、夫孝者不好、心自是恭順、而又有不孝者、亦有不好、是願君親之敗。故孝與不孝、同有不好、而不孝者不好、必欲作亂、此孝者不好、必無亂理、故云未之有也)とある。また『注疏』に「既に上を犯すを好まずして、而も乱をおこはいぎゃくの行いを為さんと欲するを好む者は必ずや無かるべし。故に未だ之れ有らざるなりと云う」(既不好犯上、而好欲作亂爲悖逆之行者必無。故云未之有也)とある。悖逆は、目上の人に背いて害を与えること。また『集注』に「乱を作すは、則ちはいぎゃく争闘の事たり。此れ人能く孝弟なれば、則ち其の心は和順、上を犯すを好むこと少なく、必ず乱を作すを好まざるを言うなり」(作亂、則爲悖逆爭鬪之事矣。此言人能孝弟、則其心和順、少好犯上、必不好作亂也)とある。
  • 君子務本 … 『義疏』に「此れも亦た有子の語なり。務は、猶お向のごときなり。慕うなり。本は、孝悌を謂うなり。孝悌なる者は既に乱を作さず。故に君子は必ず之に向慕するなり」(此亦有子語也。務猶向也。慕也。本謂孝悌也。孝悌者既不作亂。故君子必向慕之也)とある。また『注疏』に「是の故に君子は孝弟を修めて、以て道の基本と為すを務む」(是故君子務脩孝弟、以爲道之基本)とある。また『集注』に「務は、力を専らにするなり。本は、猶お根のごときなり」(務專力也。本猶根也)とある。
  • 本立而道生 … 『集解』の何晏の注に「本は、基なり。基立ちて而る後に大成す可きなり」(本、基也。基立而後可大成也)とある。また『義疏』に「本義に向慕する所以を解くなり。若し其の本成り立たば、則ち諸行の道悉く滋く生ずるなり」(解所以向慕本義也。若其本成立、則諸行之道悉滋生也)とある。また『注疏』に「基本既に立ちて、而る後に道徳生ず」(基本既立、而後道德生焉)とある。
  • 孝弟也者、其為仁之本与 … 『集解』の何晏の注に「先ず能く父兄に事えて、然る後に乃ち仁は成る可きなり」(先能事父兄、然後可乃仁成也)とある。また『義疏』に「此れ更に孝悌を以て本を解し、仁を以て道を釈するなり。言うこころは孝は是れ仁の本なり。若し孝を以て本と為せば、則ち仁乃ち生ずるなり。仁は是れ五徳の初めなり。仁を挙ぐれば、則ち余従うこと知る可きなり。故に孝経に云う、夫れ孝は徳の本なり。教えの由りて生ずる所なり、と」(此更以孝悌解本、以仁釋道也。言孝是仁之本。若以孝爲本、則仁乃生也。仁是五德之初。舉仁則餘從可知也。故孝經云、夫孝德之本也。教之所由生也)とある。また『注疏』に「人の未だ其の本とは何を謂えるかを知らざるを恐れ、故に又た、孝弟なる者は、其れ仁の本たるかと言う。礼は謙退を尚べば、敢えて質言せず、故にと云うなり」(恐人未知其本何謂、故又言、孝弟也者、其爲仁之本歟。禮尚謙退、不敢質言、故云與也)とある。また『集注』に「仁は、愛の理、心の徳なり。仁を為すは、猶お仁を行うと曰うがごとし。与とは、疑辞なり。謙退し敢えて質言せざるなり。言うこころは君子は凡事に専ら力を根本に用い、根本既に立てば、則ち其の道自ら生ず。上文の所謂孝弟の若きは、乃ち是れ仁を為すの本、学者此に務むれば、則ち仁道此れより生ずるなり」(仁者、愛之理、心之德也。爲仁、猶曰行仁。與者、疑辭。謙退不敢質言也。言君子凡事專用力於根本、根本既立、則其道自生。若上文所謂孝弟、乃是爲仁之本、學者務此、則仁道自此而生也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「孝弟は、順徳なり。故に上を犯すことを好まざれば、豈に復た理に逆らい常を乱すの事有らんや。徳に本有り、本立てば則ち其の道充大す。孝弟は家に行われて、而る後に仁愛物に及ぶ。所謂親を親しみて民を仁にするなり。故に仁を為すは孝弟を以て本と為す。性を論ずれば、則ち仁を以て孝弟の本と為す。或ひと問う、孝弟は仁を為すの本、此れは是れ孝弟に由りて以て仁に至る可きや否や、と。曰く、非なり。仁を行うは孝弟より始むるを謂う。孝弟は是れ仁の一事なり。之を仁を行うの本と謂えば則ち可、是れ仁の本と謂えば則ち不可。蓋し仁は是れ性なり、孝弟は是れ用なり、性中に只だ箇の仁・義・礼・智の四者有るのみ。なんぞ嘗て孝弟有らん。然れども仁は愛を主とし、愛は親を愛するより大なるは莫し。故に曰く、孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か、と」(孝弟、順德也。故不好犯上、豈復有逆理亂常之事。德有本、本立則其道充大。孝弟行於家、而後仁愛及於物。所謂親親而仁民也。故爲仁以孝弟爲本。論性、則以仁爲孝弟之本。或問、孝弟爲仁之本、此是由孝弟可以至仁否。曰、非也。謂行仁自孝弟始。孝弟是仁之一事。謂之行仁之本則可、謂是仁之本則不可。蓋仁是性也、孝弟是用也、性中只有箇仁義禮智四者而已。曷嘗有孝弟來。然仁主於愛、愛莫大於愛親。故曰孝弟也者、其爲仁之本與)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此の章は総べて孝弟の至徳たることを賛せるなり。蓋し其の人と為りや孝弟なる者は、其の性の最も美にして道に近き者なり。則ち其の必ず上を犯し乱を作すの事無きこと知る可し。此れ則ち徳に進み聖と作るの基本にして、以て仁に至る可し。仁は道なり。孝弟は其の本なり。……編者此を以てこれを首章の次に置けり。蓋し孝弟は乃ち学問の本根なるを明らかにせるなり。旨有るかな」(此章總贊孝弟之爲至德也。蓋其爲人也孝弟者、其性之最美而近道者也。則其必無犯上作亂之事可知矣。此則進德作聖之基本、而可以至於仁矣。仁者道也。孝弟者其本也。……編者以此置諸首章之次。蓋明孝弟乃學問之本根也。有旨哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「仁斎先生又た本を以て本根と為し、而して言う、孝弟に由って以て仁徳を成す可きなり、と。是れ孟子を誤読するの失のみ。先王の道、仁はおのずから仁、孝弟は自ずから孝弟なり。豈にこんず可けんや。蓋し仁・智は徳なり。礼とは先王の礼、義とは先王の義。礼は以て心を制し、義は以て事を制す。皆道なり」(仁齋先生又以本爲本根、而言可由孝弟以成仁德也。是誤讀孟子之失已。先王之道、仁自仁、孝弟自孝弟。豈可混乎。蓋仁智德也。禮者先王之禮、義者先王之義。禮以制心、義以制事。皆道也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十