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宿昭応(顧況)

宿昭應
昭(しょう)応(おう)に宿(しゅく)す
顧(こ)況(きょう)
  • 七言絶句。壇・官・寒(上平声寒韻)。
  • ウィキソース「宿昭應」参照。
  • 昭応 … 今の陝西省西安市臨潼区。驪(り)山(ざん)の西北。秦始皇帝陵及び兵馬俑坑がある。『新唐書』地理志に「昭応は……本の新豊なり、垂(すい)拱(きょう)二年慶山と曰う、神竜元年故(もと)の名に復す。宮有り、驪山の下に在り、貞観十八年置く、咸亨(かんこう)二年始めて温泉宮と名づく。天宝元年驪山を更(あらた)めて会昌山と曰う。……六載、温泉を更(あらた)めて華清宮と曰い、湯井(とうせい)を治めて池と為し、山を環(めぐ)りて宮室を列(つら)ぬ。……七載、新豊を省き、会昌県及び山を更めて昭応と曰う」(昭應……本新豐、垂拱二年曰慶山、神龍元年復故名。有宮在驪山下、貞觀十八年置、咸亨二年始名溫泉宮。天寶元年更驪山曰會昌山。……六載、更溫泉曰華清宮、治湯井爲池、環山列宮室。……七載省新豐、更會昌縣及山曰昭應)とある。湯井は、湯の出る井戸。ウィキソース「新唐書/卷037」参照。ウィキペディア【臨潼区】参照。
  • 宿 … 宿泊する。
  • この詩は、作者が昭応の町に宿泊したとき、玄宗の往時を懐かしんで詠んだもの。玄宗が不老長生を祈願したが、その願いは叶えられなかったことを諷している。
  • 顧況 … 725~814?。中唐の詩人。蘇州海塩県(今の浙江省嘉興市海塩県)の人。字(あざな)は逋(ほ)翁(おう)。至徳二載(757)、進士に及第。秘書郎、著作郎となった後、饒州(江西省)の司戸参軍に左遷された。晩年は家族を連れて茅山(今の江蘇省鎮江市句容県の東南)に隠棲し、華陽真逸と号した。ウィキペディア【顧況】参照。
武帝祈靈太乙壇
武(ぶ)帝(てい) 霊(れい)に祈(いの)る 太乙(たいいつ)壇(だん)
  • 武帝 … 漢の武帝(在位前141~前87)。ウィキペディア【武帝 (漢)】参照。
  • 祈霊 … 神霊に祈願すること。
  • 太乙壇 … 天帝の太乙を祀るために築いた祭壇。太乙は、北辰の神。北極神。天上の最高神。太一・泰一とも書く。『史記』孝武本紀に「亳人(はくひと)(薄(はく))誘(ゆう)忌(き)、泰一(たいいつ)を祠(まつ)る方(ほう)を奏(そう)して曰(いわ)く、天神(てんしん)の貴(たっと)き者(もの)は泰一(たいいつ)なり。泰一(たいいつ)の佐(さ)を五(ご)帝(てい)と曰(い)う。古(いにしえ)は天(てん)子(し)春秋(しゅんじゅう)を以(もっ)て泰一(たいいつ)を東南(とうなん)の郊(こう)に祭(まつ)り、太牢(たいろう)の具(ぐ)を用(もち)うる七(なぬ)日(か)、壇(だん)を為(つく)り、八通(はっつう)の鬼(き)道(どう)を開(ひら)く、と。是(ここ)に於(お)いて天(てん)子(し)太(たい)祝(しゅく)をして其(そ)の祠(し)を長(ちょう)安(あん)の東南(とうなん)の郊(こう)に立(た)たしめ、常(つね)に奉(ほう)祠(し)すること忌(き)の方(ほう)の如(ごと)くす」(亳人薄誘忌、奏祠泰一方曰、天神貴者泰一。泰一佐曰五帝。古者天子以春秋祭泰一東南郊、用太牢具七日、爲壇、開八通之鬼道。於是天子令太祝立其祠長安東南郊、常奉祠如忌方)とある。ウィキソース「史記/卷012」参照。
  • 乙 … 『万首唐人絶句』では「一」に作る。
  • この句は、漢の武帝が方士の言に従い、天帝の太乙を祀った故事をもって、玄宗皇帝が方士田周秀の言に従い、朝元閣に老子を祀り、不老長生を祈願したことに喩えたもの。しかし何のご利益もなかったことを諷している。南宋の程大昌『雍録』温泉の条、朝元閣の注に「天宝七載、玄元皇帝、朝元閣に見(あらわ)れ、即ち名を降聖閣と改む」(天寶七載、玄元皇帝見於朝元閣、即改名降聖閣)とある。玄元皇帝は、老子のこと。ウィキソース「雍錄/卷04」参照。また『旧唐書』玄宗紀の天宝七載の条に「玄元皇帝、華清宮の朝元閣に見(あらわ)ると言う、乃ち改めて降聖閣と為す。会昌県を改めて昭応県と為す、会昌山を昭応山と為す」(言玄元皇帝見於華清宮之朝元閣、乃改爲降聖閣。改會昌縣爲昭應縣、會昌山爲昭應山)とある。ウィキソース「舊唐書/卷9」参照。
新豐樹色繞千官
新豊(しんぽう)の樹(じゅ)色(しょく) 千官(せんかん)を繞(めぐ)れり
  • 新豊 … 昭応の旧名。漢代の呼び名。『漢書』地理志、京兆尹の条の注に「太上皇、東帰せんことを思う、是に於いて高祖、城寺街里を改築して以て豊に象(かたど)り、豊の民を徙(うつ)して以て之を実(み)つ、故に新豊と号す」(太上皇思東歸、於是高祖改築城寺街里以象豐、徙豐民以實之、故號新豐)とある。和刻本では「城寺」を「城市」に作る。『漢書評林』巻二十八(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 樹色 … 木々の色。ここでは木々の緑が色鮮やかで美しい様子。
  • 千官 … 随行の多くの役人。百官にほぼ同じ。『荀子』正論篇に「古(いにしえ)は天子に千官あり、諸侯に百官あり」(古者天子千官、諸侯百官)とある。ウィキソース「荀子/正論篇」参照。また『呂氏春秋』君守篇に「大聖(たいせい)は事(こと)無くして、千官、能を尽くす」(大聖無事、而千官盡能)とある。大聖は、偉大なる聖王。無事は、自ら手を下さないこと。能は、職能。ウィキソース「呂氏春秋/卷十七」参照。
  • 繞 … (木々の緑が千官を)取りまく。取り囲む。包む。
那知今夜長生殿
那(な)んぞ知(し)らん 今(こん)夜(や) 長(ちょう)生(せい)殿(でん)
  • 那知 … それがどうしたことか。
  • 那 … 「なんぞ」と読み、「どうして~か(いや~ではない)」と訳す。反語の意を示す。『全唐詩』には「一作豈」と注する。『万首唐人絶句』では「豈」に作る。
  • 長生殿 … 華清宮の中にある宮殿の名。もとは斎殿で、朝元閣で祭事をするとき、ここで斎戒沐浴をした。『雍録』温泉の条、長生殿の注に「斎殿なり。朝元閣に事有れば、即ち此の殿に斎沐(さいもく)す」(齋殿也。有事於朝元閣、即齋沐此殿)とある。ウィキソース「雍錄/卷04」参照。また、唐の玄宗が楊貴妃と歓楽をつくした所でもある。中唐の白居易「長恨歌」に「七月(しちがつ)七(なぬ)日(か)長(ちょう)生(せい)殿(でん)、夜(や)半(はん)人(ひと)無(な)く私語(しご)の時(とき)」(七月七日長生殿、夜半無人私語時)とある。ウィキソース「長恨歌」参照。ここでは、玄宗が「長生」の名にかけて、不老長寿を祈ったが、その願いは実現されなかったことをいう。
獨閉空山月影寒
独(ひと)り空山(くうざん)月影(げつえい)の寒(さむ)きに閉(と)ざされんとは
  • 独 … 「ひとり~(のみ)」と読み、「ただ~だけ」と訳す。限定の意を示す。
  • 空山 … 人(ひと)気(け)のない寂しい山。南朝梁の江淹「無錫県歴山の集(つど)い」詩(『古詩紀』巻八十五)に「窃(ひそ)かに悲しむ 杜(と)蘅(こう)の暮、涕(なみだ)を擥(ぬぐ)いて 空山に弔う」(竊悲杜蘅暮、擥涕弔空山)とある。杜蘅は、植物の名。カンアオイ。ウィキペディア【カンアオイ】参照。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷085」参照。また、南朝梁の陶弘景の楽府「寒夜怨」(『楽府詩集』巻七十六)に「空山霜満ちて高煙(こうえん)平らかに、鉛(えん)華(か)沈み照らして帳(ちょう)孤(ひと)り明らかなり」(空山霜滿高煙平、鉛華沈照帳孤明)とある。高煙は、高(たか)嶺(ね)にかかる靄(もや)。鉛華は、おしろい。帳は、とばり。ウィキソース「樂府詩集/076卷」参照。『全唐詩』では「山門」に作り、「一作空山」と注する。山門は、驪山の麓にある長生殿の門を指す。
  • 月影寒 … 寒々とした月の光の中で。月影は、月光。
  • 閉 … 扉を固く閉ざしていようとは。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻七(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百六十七(排印本、中華書局、1960年)
  • 『顧況集』巻下(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻十五(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻五十([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『唐詩別裁集』巻二十([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
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