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九日陪元魯山登北城留別(蕭穎士)

九日陪元魯山登北城留別
九(きゅう)日(じつ)元(げん)魯(ろ)山(ざん)に陪(ばい)して北(ほく)城(じょう)に登(のぼ)り留(りゅう)別(べつ)す
蕭(しょう)穎(えい)士(し)
  • ウィキソース「重陽日陪元魯山德秀登北城矚對新霽因以贈別」参照。
  • この詩は、九月九日重陽の節句に、旅行中であった作者が、魯山県(河南省)の県令の元徳秀のお供をして魯山県城の北の城壁に登り、雨上がりの晴れ上がった風景を眺望し、それを送別の宴で詠んで元徳秀に贈ったもの。
  • 詩題 … 『全唐詩』では「重陽の日、元魯山徳秀に陪して北城に登り、矚(しょく)して新霽(しんせい)に対し、因りて以て別れに贈る」に作り、題下に「時に元兄には屢〻(しばしば)挂冠の意有り」と注する。北城は、魯山県城の北の城壁。矚は、眺めること。新霽は、雨のあとに晴れること。挂冠は、官職をやめること。冠(かんむり)を脱いで城門にかけて国を去った故事に基づく。この詩は、全二十八句の五言古詩のうち、第五句から第八句までを切り取ったもの。『万首唐人絶句』では「重陽日陪元魯山登北城留別七首其二」に作る。『唐詩品彙』では「元日陪元魯山登北城留別二首其一」に作る。
  • 九日 … 陰暦九月九日、重陽の節句。
  • 元魯山 … 元徳秀。695?~754?。字(あざな)は紫芝(しし)。河南(現在の洛陽市)の人。開元二十一年(733)、進士に及第。魯山県(唐代では汝州に属す、現在の河南省魯山県)の県令になった。清廉高潔な人物であったという。ウィキペディア【元德秀】(中文)参照。『新唐書』卓行伝に「元徳秀、字(あざな)は紫芝(しし)、河南(府)河南(県)の人なり。……家苦(はなは)だ貧しく、乃ち求めて魯山の令と為る。……歳(さい)満ちて、笥(はこ)に一縑(いっけん)を余し、柴車(さいしゃ)を駕して去る。……天下其の行いを高しとし、名づけず、之を元魯山と謂う」(元德秀、字紫芝、河南河南人。……家苦貧、乃求爲魯山令。……歳滿、笥余一縑、駕柴車去。……天下高其行、不名、謂之元魯山)とある。歳満つとは、任期が満了すること。一縑は、一織りの絹。柴車は、飾りのない車。ウィキソース「新唐書/卷194」参照。
  • 陪 … (身分の高い人に)随伴する。お供をする。
  • 留別 … 別れて去っていく人が、あとにとどまる人に別れを告げること。
  • 蕭穎士 … 717~768。盛唐の詩人。潁(えい)州(しゅう)汝陰(じょいん)(安(あん)徽(き)省(しょう)阜(ふ)陽(よう)市(し))の人。字(あざな)は茂(も)挺(てい)。開元二十三年(735)、進士に及第。秘書正字に任ぜられた。その後、集賢校理になったが、宰相の李(り)林(りん)甫(ぽ)に憎まれ、広陵(江蘇省揚州市)の参軍事に左遷された。李林甫の死後、河南府(河南省洛陽市)の参軍事に任ぜられた。最後は汝南(河南省汝南県)で客死した。李華の友人。ウィキペディア【蕭穎士】参照。
綿連滍川迴
綿連(めんれん)として滍(ち)川(せん)迴(はる)かに
  • 綿連 … 長く続いて途切れないこと。連綿に同じ。北周の王褒「洞(どう)簫(しょう)の賦」(『文選』巻十七)に「翩(へん)として綿連として以て牢落(ろうらく)たり、漂(ひょう)として乍(たちま)ち棄てて他を為す」(翩綿連以牢落兮、漂乍棄而爲他)とある。洞簫は、楽器の名。尺八に似て底のない縦笛。翩は、軽々と飛ぶこと。牢落は、虚ろなさま。漂は、音が揺れ動くこと。他を為すとは、他の曲に変化すること。ウィキソース「洞簫賦 (王褒)」参照。
  • 滍川 … 魯山に源を発し、東へ流れて葉県を経て、汝水(現在の北汝河)に会して潁水(えいすい)(現在の潁(えい)河(が))に合流する川。現在の名は沙河(さが)。『読史方輿紀要』河南六、南陽府、葉県の条に「滍(ち)水(すい)は、県の東北一里に在り。汝州魯山県の堯(ぎょう)山(ざん)より源を発し、東南に流れて県界に入り、昆陽(こんよう)の故城の北を径(へ)て、又た東のかた沙河(さが)に合し、舞(ぶ)陽(よう)県の界に入り、下流して汝水に入る」(滍水、在縣東北一里。自汝州魯山縣之堯山發源、東南流入縣界、徑昆陽故城北、又東合於沙河、入舞陽縣界、下流入於汝水)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十一」参照。また『春秋左氏伝』僖公三十三年に「晋の陽処父、蔡(さい)を侵(おか)す。楚の子(し)上(じょう)之を救い、晋の師と泜(ち)を夾(はさ)みて軍す」(晉陽處父侵蔡。楚子上救之、與晉師夾泜而軍)とある。泜(ち)は、泜(ち)水(すい)。滍(ち)水(すい)の別名。ウィキソース「春秋左氏傳/僖公」参照。
  • 迴 … (滍(ち)川(せん)の流れが)はるかに続いている。
杳渺鴉路深
杳(よう)渺(びょう)として鴉路(あろ)深(ふか)し
  • 杳渺 … 遠くて、かすかなさま。杳眇とも。杳は、奥深く暗い様子。『説文解字』巻六上、木部に「杳は、冥(くら)きなり」(杳、冥也)とある。ウィキソース「說文解字/06」参照。前漢の司馬相如「上林の賦」(『文選』巻八)に「俯せば杳眇として見ゆること無く、仰(あう)げば橑(たるき)を攀(よ)じて天を捫(な)づ」(俯杳眇而無見、仰攀橑而捫天)とある。ウィキソース「上林賦」参照。
  • 鴉路 … 魯山(現在の河南省平頂山市魯山県)の西南、南召(現在の河南省南陽市南召県)辺りを通る道。北の洛陽(現在の河南省洛陽市)と南の南陽(現在の河南省南陽市)を結ぶ近道。三鴉路ともいう。後漢の光武帝が河(か)朔(さく)に行くとき、この辺りで道に迷ったが、鴉(からす)が馬の前を飛んで導いてくれたという伝説から名づけられたという。『読史方輿紀要』河南六、南陽府、南陽県の条に「三鴉路は、府の北七十里。府境より北に出(い)で、汝・洛への径(こみち)なり。道狭く路深く、称して険要(けんよう)と為す」(三鴉路、府北七十里。自府境北出、汝洛之徑。道狹路深、稱爲險要)とある。険要は、地勢が険しく、敵を防ぐのに適していること。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷五十一」参照。
彭澤興不淺
彭沢(ほうたく) 興(きょう)浅(あさ)からず
  • 彭沢 … かつて彭沢(現在の江西省九江市彭沢県)の県令になった陶淵明のこと。陶彭沢とも称す。ここでは、高潔の士である元魯山が県令を辞めて帰ろうとしたので、退隠した陶淵明と万事似ており、陶淵明になぞらえたもの。
  • 興不浅 … 興が尽きない。感興深いこと。興は、感興の意。『晋書』庾亮伝に「亮徐(おもむ)ろに曰く、諸君少(しば)らく住(とど)まれ。老子此の処に於いて興(きょう)復た浅からず、と」(亮徐曰、諸君少住。老子於此處興復不淺)とある。ウィキソース「晉書/卷073」参照。
臨風動歸心
風(かぜ)に臨(のぞ)んで帰(き)心(しん)を動(うご)かす
  • 臨風 … 吹く風に向かいながら。風に吹かれつつ。『楚辞』九歌・少司命に「美人を望めども未だ来(きた)らず、風に臨んで怳(こう)として浩(こう)歌(か)す」(望美人兮未來、臨風怳兮浩歌)とある。ウィキソース「九歌」参照。怳は、虚(うつ)ろな気持ちでぼんやりすること。恍に同じ。浩歌は、大きい声で歌うこと。また「古詩三首」(『古詩紀』巻二十)の第三首に「悵(ちょう)望(ぼう)して何の言う所ぞ、風に臨んで懐抱(かいほう)を送る」(悵望何所言、臨風送懷抱)とある。悵望は、思う人の方を眺めて嘆き悲しむこと。懐抱は、心に思う事柄。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷020」参照。
  • 風 … 『全唐詩』には「一作流」と注する。
  • 動帰心 … 故郷に帰りたいと思う心を動かし起こした。『史記』魯仲連伝に「国敝(つい)えて禍(わざわい)多く、民、心を帰する所無し」(國敝而禍多、民無所歸心)とある。ウィキソース「史記/卷083」参照。
余説
 この詩の原詩は、次の通りである。
  山縣繞古堞  山県(さんけん) 古(こ)堞(ちょう)を繞(めぐ)らし
  悠悠快登望  悠悠(ゆうゆう)として登望(とうぼう)を快(こころよ)うす
  雨餘秋天高  雨余(うよ) 秋(しゅう)天(てん)高(たか)く
  目盡無隱狀  目(め)尽(つ)きて 隠(いん)状(じょう)無(な)し
  綿連滍川迴  綿連(めんれん)として滍(ち)川(せん)迴(はる)かに
  杳渺鴉路深  杳(よう)渺(びょう)として鴉路(あろ)深(ふか)し
  彭澤興不淺  彭沢(ほうたく) 興(きょう)浅(あさ)からず
  臨風動歸心  風(かぜ)に臨(のぞ)んで帰(き)心(しん)を動(うご)かす
  賴茲琴堂暇  茲(こ)の琴堂(きんどう)の暇(いとま)に頼(よ)り
  傲睨傾菊酒  傲睨(ごうげい)して 菊酒(きくしゅ)を傾(かたむ)く
  人和歳已登  人(ひと)和(わ)して歳(とし)已(すで)に登(みの)る
  從政復何有  政(まつりごと)に従(したが)う 復(ま)た何(なに)か有(あ)らん
  遠山十里碧  遠山(えんざん) 十(じゅう)里(り)碧(みどり)にして
  一道銜長雲  一道(いちどう) 長(ちょう)雲(うん)を銜(ふく)む
  靑霞半落日  青(せい)霞(か) 半(なか)ば落日(らくじつ)
  混合疑晴曛  混合(こんごう)して晴曛(せいくん)を疑(うたが)わしむ
  漸聞驚栖羽  漸(ようや)く栖(せい)羽(う)の驚(おどろ)くを聞(き)き
  坐歎清夜月  坐(そぞ)ろに清(せい)夜(や)の月(つき)を歎(たん)ず
  中歡愴有違  中(ちゅう)歓(かん) 違(たが)うこと有(あ)るを愴(いた)み
  行子念明發  行(こう)子(し) 明発(めいはつ)を念(ねん)ず
  僅能泯寵辱  僅(わず)かに能(よ)く寵辱(ちょうじょく)を泯(ほろぼ)すも
  未免傷別離  未(いま)だ別(べつ)離(り)を傷(いた)むを免(まぬか)れず
  江湖不可忘  江(こう)湖(こ) 忘(わす)る可(べ)からず
  風雨勞相思  風(ふう)雨(う) 相(そう)思(し)を労(ろう)せん
  明時當盛才  明(めい)時(じ) 盛才(せいさい)に当(あた)る
  短伎安所設  短(たん)伎(ぎ) 安(いず)くにか設(もう)くる所(ところ)ぞ
  何日謝百里  何(いず)れの日(ひ)か百(ひゃく)里(り)を謝(しゃ)し
  從君漢之澨  君(きみ)に漢(かん)の澨(みぎわ)に従(したが)わん
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 深・心(下平声侵韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百五十四(排印本、中華書局、1960年)※詩題:重陽日陪元魯山德秀登北城矚對新霽因以贈別
  • 『万首唐人絶句』五言・巻二十一(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)※詩題:重陽日陪元魯山登北城留別七首其二
  • 『唐詩解』巻二十二(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)※詩題:元日陪元魯山登北城留別二首其一
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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