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答武陵田太守(王昌齢)

答武陵田太守
りょうでん太守たいしゅこた
おうしょうれい
  • ウィキソース「答武陵田太守」参照。
  • この詩は、作者が竜標(現在の湖南省懐化市こうトン族自治県)に貶せられた頃、武陵郡の太守(長官)の田某に世話になり、彼から贈られた送別の詩に、感謝のしるしとして答えて詠んだもの。
  • 詩題 … 『文苑英華』では「留答武陵田太守」に作る。『万首唐人絶句』では「留別武陵田太守」に作る。
  • 武陵 … 郡名。今の湖南省常徳市。武徳4年(621)、武陵郡は朗州に改められた。天宝元年(742)、朗州は武陵郡に改称された。乾元元年(758)、武陵郡は朗州に戻された。『旧唐書』地理志に「武徳四年、しょうせんを平らげ、朗州を置く。天宝元年、改めて武陵郡と為す。乾元元年、復た朗州と為す」(武德四年、平蕭銑、置朗州。天寶元年、改爲武陵郡。乾元元年、復爲朗州)とある。ウィキソース「舊唐書/卷40」参照。
  • 田 … 姓。人物については不詳。
  • 太守 … 郡の長官。ちなみに州の長官は、刺史。
  • 王昌齢 … 698~755。盛唐の詩人。京兆(現在の陝西省西安市)の人。あざなは少伯。開元十五年(727)、進士に及第。秘書省の校書郎に任ぜられたが、素行が悪かったため、竜標(現在の湖南省懐化市こうトン族自治県)の尉に左遷された。のちに安禄山の乱が起こったので故郷に逃げ帰ったが、刺史のりょ丘暁きゅうぎょうに殺されたという。李白とともに七言絶句の名手として有名。また、高適・岑参とともに辺塞詩人のひとりに数えられる。『王昌齢詩集』がある。ウィキペディア【王昌齢】参照。
仗劒行千里
けんってせん
  • 仗剣 … 「剣につえついて」と読んでもよい。剣を仗に。剣をたよりに。『史記』刺客列伝に「じょうせいは乃ち辞して独り行き、剣をつえつきて韓に至る」(聶政乃辭獨行、杖劍至韓)とある。聶政は、戦国時代、韓の人。ウィキソース「史記/卷086」参照。
  • 仗 … 『全唐詩』には「一作按」と注する。『万首唐人絶句』では「按」に作る。
  • 行千里 … 千里の遠きに行こうとする。『史記』鄭当時伝に「しょう曰く、吾聞く鄭荘ていそうは行くに、千里、かてもたらさず、と」(上曰、吾聞鄭莊行、千里不齎糧)とある。鄭当時は、前漢の人。あざなは荘。ウィキソース「史記/卷120」参照。
微軀敢一言
微軀びく えて一言いちげんせん
  • 微軀 … 卑賤の身。つまらぬ身。自分を謙遜していうことば。西晋の陸機の楽府「とうじょうこう」(『文選』巻二十八、『玉台新詠』巻三、『楽府詩集』巻三十五)に「微軀の退けらるるを惜しまず、但だ蒼蠅そうようすすまんことをおそる」(不惜微軀退、但懼蒼蠅前)とある。塘上行は、堤のほとりの歌。蒼蠅は、アオバエ。ここでは、人を陥れようと告げ口する人のたとえ。ウィキソース「塘上行 (陸機)」参照。
  • 敢一言 … あえて一言申し上げておきたい。戦国時代の四君の一人で、魏の公子信陵君は謙虚な人柄で、賢人に対し、身分を問わず丁重にもてなした。魏の都大梁(現在の河南省開封市)のもん(大梁の都の東門)の門番をしていた侯嬴こうえいという七十歳の隠者に対しても手厚くもてなした。あるとき、秦が趙を攻めたため、信陵君は趙への援軍として出陣することとなった。信陵君は出発して夷門に立ち寄り、侯嬴に挨拶したが、侯嬴は「頑張りなさい。この年寄りは付き従うことはできません」と答えただけだった。信陵君は数里進んだがこのことを不快に思い、引き返して侯嬴に「今私が死地に赴こうとしているのに、あなたは一言半句も助言してくれなかった。私に何か落度でもあったのですか」と尋ねた。侯嬴は「私はあなたが戻ってくるのがわかっておりました。窮地にありながら、これといった方策もなく秦と戦うことは、飢えた虎に肉を投げるようなものです」と言って、信陵君に秘策を授け、勝利に導いたという故事を踏まえる。『史記』信陵君伝に「今われまさに死せんとするも、侯生こうせいかつて一言半辞も我を送る無し」(今吾且死、而侯生曾無一言半辭送我)とある。侯生は、侯嬴のこと。ウィキソース「史記/卷077」参照。ウィキペディア【信陵君】【侯嬴】参照。
  • 敢 … 『全唐詩』『文苑英華』『万首唐人絶句』では「感」に作る。
曾爲大梁客
かつたいりょうかく
  • 大梁客 … 大梁の食客。大梁は、戦国時代の魏の都。現在の河南省開封市。ここでは、信陵君の食客となり厚遇された侯嬴に、田太守に厚遇された作者を比したもの。『史記』信陵君伝に「公子の人とり仁にして士にくだる。士は賢不肖と無く、皆な謙して之に礼交し、敢えて其の富貴を以て士に驕らず。士此れを以てほう数千里より争い往き之に帰す。食客三千人を致す」(公子爲人仁而下士。士無賢不肖、皆謙而禮交之、不敢以其富貴驕士。士以此方數千里爭往歸之。致食客三千人)とある。ウィキソース「史記/卷077」参照。
不負信陵恩
しんりょうおんそむかず
  • 不負信陵恩 … 信陵君の恩に背くことは、決していたしません。ここでは、田太守を信陵君に、作者自身をその食客であった侯嬴こうえいに比している。
  • 不負 … 裏切らない。前漢の枚乗「上書して重ねて呉王を諫む」(『文選』巻三十九)に「夫れ三淮南さんわいなんの計、其の約にそむかず」(夫三淮南之計、不負其約)とある。三淮南は、淮南の三王。淮南王の劉安、衡山こうざん王の劉勃、おう王の劉賜を指す。計は、計略。其の約とは、漢との盟約。呉楚七国が乱を起こしたとき、この三王は漢との盟約を守って呉の出兵の要請に応じなかったという。ウィキソース「上書重諫吳王」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 言・恩(上平声元韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百四十三(排印本、中華書局、1960年)
  • 『王昌齢集』巻下(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『王昌齢詩集』巻四(享保十八年刊、『和刻本漢詩集成 唐詩1』所収)
  • 『文苑英華』巻二百四十二(影印本、中華書局、1966年)※詩題:留答武陵田太守
  • 『万首唐人絶句』七言・巻十一(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)※詩題:留別武陵田太守
  • 『唐詩品彙』巻四十([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
  • 『王昌齢集編年校注』巻三(胡問涛・羅琴校注、巴蜀書社、2000年)
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