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同洛陽李少府観永楽公主入蕃(孫逖)

同洛陽李少府觀永樂公主入蕃
洛陽らくようしょうが「永楽えいらく公主こうしゅばんるをる」にどう
孫逖そんてき
  • ウィキソース「同洛陽李少府觀永樂公主入蕃」参照。
  • この詩は、洛陽の県尉であった李某という人が、永楽公主の契丹に降嫁されるときの行列を見送り、そのときに作った「永楽公主が未開の地に嫁いで往かれるのを見る」という詩に作者が唱和したもの。開元三年(715)、契丹族の首領失活しっかつが部族を率いて唐に帰順した。玄宗皇帝はこれを歓迎し、失活をしょうばく郡王に封じた。翌年、失活が入朝したので宗室の外甥がいせい(男の側からみて他家に嫁いだ姉妹が産んだ男の子)のようげんの息女を天子の養女にして、失活にめあわせた。『旧唐書』契丹伝に「開元三年、其の首領の李失活、黙啜ぼくせつまつりごと衰うるを以て、種落しゅらくを率いてないす。……失活を封じてしょうばく郡王と為し、きんえい大将軍兼松漠都督を拝す。……明年、失活入朝し、宗室の外甥がいせいむすめ楊氏を封じて永楽公主と為し、以て之にめあわす」(開元三年、其首領李失活以默啜政衰、率種落内附。……封失活爲松漠郡王、拜左金吾衞大將軍兼松漠都督。……明年、失活入朝、封宗室外甥女楊氏爲永樂公主、以妻之)とある。黙啜は、突厥のがん(君主)。種落は、部落。内附は、服属すること。ウィキソース「舊唐書/卷199下」参照。
  • 洛陽 … 今の河南省洛陽市。唐代の副都として栄えた。東都とも呼ばれた。ウィキペディア【洛陽市】参照。『読史方輿紀要』河南、河南府に「洛陽の故城は、府の東北二十里に在り。周の顕王以後、みやこする所なり」(洛陽故城、在府東北二十里。周顯王以後所都也)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷四十八」参照(原文に異同あり)。
  • 李 … 李某。人物については不詳。
  • 少府 … 県尉の雅称。県の警察事務を掌る職。
  • 永楽公主 … 公主は、天子の娘。唐の宗室の外甥がいせいにあたるようげんの娘を天子の養女として契丹に降嫁させたので、これに与えた称号。
  • 入蕃 … 蕃地に嫁いで往かれる。蕃は、蕃地。辺境の外地。吐蕃の意ではない。
  • 同 … 元の詩と同じ韻を踏んで、返しの詩を作ること。これを和韻という。ちなみに和韻には、依韻・用韻・次韻の三種がある。依韻は、原作と同類の韻を用いること。用韻は、原作に用いられている韻字を順不同でそのまま用いること。次韻は、原作と同一の字を同一の順に用いること。
  • 孫逖 … 696~761。盛唐の詩人。博州武水(山東省聊城りょうじょう県附近)の人。一に河南府鞏県の人といわれる。中書舎人・刑部侍郎を歴任。ウィキペディア【孫逖】参照。
邊地鶯花少
へん おうすくなく
  • 辺地 … 辺境の地。ここでは、契丹族が住んでいた中国東北部を指す。三国魏のけん皇后の楽府「とうじょうこう」(『楽府詩集』巻三十五、『玉台新詠』巻二)に「辺地に悲風多し、樹木何ぞ蕭蕭たる」(邊地多悲風、樹木何蕭蕭)とある。塘上行とは、池の堤のほとりの歌の意。ウィキソース「塘上行 (甄皇后)」参照。
  • 鶯花 … うぐいすと花。春らしい景色のこと。中唐の白居易「病中多雨、寒食に逢う」詩に「さんじゅん してわたる鶯花の月、一半 春す風雨の天」(三旬臥度鶯花月、一半春銷風雨天)とある。三旬は、三十日間。月は、時節。一半は、ここでは春の半分。ウィキソース「病中多雨逢寒食」参照。
年來未覺新
としきたるもいまあらたなるをおぼえず
  • 年来 … 新しい年が来ること。南朝梁の呉均「りゅううんと相贈答する六首」(『玉台新詠』巻六)の第四首「白日城楼に隠る」詩に「歳の去るは煙の流るるより甚だしく、年のきたるは軸を転ずるが如し」(歳去甚流煙、年來如轉軸)とある。軸を転ずるとは、車軸が回転すること。速やかなることのたとえ。ウィキソース「與柳惲相贈答」参照。
  • 未覚新 … いっこうに新しい気分はしないものだ。
美人天上落
じん てんじょうより
  • 美人 … 美しい女性。ここでは、永楽公主を指す。『詩経』邶風はいふう・静女に「なんじの美たるにあらず、美人のおくりもの」(匪女之爲美、美人之貽)とある。ウィキソース「詩經/靜女」参照。
  • 天上落 … 天上から(美人が)降りてこられた。ここでは、唐の帝室を天上にたとえ、蕃地に降嫁されることを指す。楽府「江陵女歌」(『楽府詩集』巻四十七)に「雨は天上より落ち、水はきょうより流る」(雨從天上落、水從橋下流)とある。ウィキソース「樂府詩集/047卷」参照。また、南朝陳の周弘正「武関に入る」詩(『古詩紀』巻一百十一)に「将軍 天上より落ち、童子 しゅを棄ててきたる」(將軍天上落、童子棄繻來)とある。繻は、薄衣うすぎぬ。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷111」参照。
龍塞始應春
りょうさい はじめてまさはるなるべし
  • 竜塞 … りょうさいのこと。現在の河北省遷西県の西北にあった要塞。ここでは、契丹の地をいったもの。三国魏の曹操ががん討伐の際、道を塞がれて進軍できず、隠棲中のでんちゅうに相談し、盧竜口から進軍する道を教えてもらい、大勝することができた。曹操は田疇に封爵を与えようとしたが、田疇は「どうして盧竜の塞を売り、爵位や俸禄を得ることができましょうか」と言い、その褒賞を固辞したという。『三国志』魏書に「豈に盧竜の塞を売りて、以て賞禄にえる可けんや」(豈可賣盧龍之塞、以易賞祿哉)とある。ウィキソース「三國志/卷11」参照。
  • 始応春 … はじめて春が訪れることであろう。北周の庾信「王少保の遥かに周処士を傷むに和す」詩(『古詩紀』巻一百二十六)に「三山 猶お鶴有り、五柳 更に応に春なるべし」(三山猶有鶴、五柳更應春)とある。王少保は、太子少保の王褒おうほうのこと。周処士は、南朝梁の処士、しゅうこうじょうのこと。三山は、仙人が住むという蓬萊ほうらい・方丈・えい州の三神山のこと。五柳は、五本の柳。ここでは、東晋の陶潜が号した「五柳先生」に掛けている。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷126」参照。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 新・春(上平声真韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻一百十八(排印本、中華書局、1960年)
  • 『孫逖集』(明銅活字本、『唐五十家詩集』所収、上海古籍出版社、1989年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻二十五(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十一(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻三十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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