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子夜春歌(郭震)

子夜春歌
子夜(しや)春(しゅん)歌(か)
郭震(かくしん)
  • ウィキソース「子夜四時歌 (陌頭楊柳枝)」参照。
  • この詩は、春になっても旅から帰ってこない男性(夫であろう)を恋い慕う女性の気持ちを詠んだもの。
  • 詩題 … 楽府題の一つ。『楽府詩集』巻四十五・清商曲辞・呉声歌曲に属する。ウィキソース「樂府詩集/045卷」参照。東晋の時代、呉の地に子夜という名の娘が歌を作って歌っていた。その曲は哀調を帯びたもので大流行した。その曲を「子夜歌」といい、また、春夏秋冬の四部に分けて歌詞が作られるようになり、それを「子夜四時歌」という。のちに後人(こうじん)によっていくつも替え歌が作られた。『楽府古題要解』巻上に「晋に女子有り、子夜と曰う。作る所の声至りて哀(かな)し。晋の武帝、太元中(376~396)に、瑯琊王軻の家に鬼有り之を歌う。後人四時行楽の詞に依って、之を子夜四時歌と謂う」(晉有女子、曰子夜。所作聲至哀。晉武帝太元中、瑯琊王軻家有鬼歌之。後人依四時行樂之詞、謂之子夜四時歌)とある。ウィキソース「樂府古題要解」参照。『全唐詩』では「子夜四時歌六首 春歌二首其一」に作る。『楽府詩集』では「子夜四時歌六首 春歌二首其二」に作る。『唐詩品彙』『古今詩刪』では「子夜春歌二首其一」に作る。『万首唐人絶句』では「子夜四時歌六首 春歌二首其二」に作る。
  • 郭震 … 656~713。初唐の詩人。魏(ぎ)州貴(き)郷(きょう)(河北省大名(だいめい)県)の人。字(あざな)は元振(げんしん)(『唐詩選』では誤って姓名を郭振に作る)。高宗の咸亨(かんこう)四年(673)、十八歳で進士に及第。梓(し)州通泉(つうせん)県(四川省射洪(しゃこう)県)の尉となる。のちに同(どう)中(ちゅう)書門(しょもん)下(か)三品(さんぼん)(宰相職)に至った。玄宗の時、新州(広東省新興県)に流され、開元元年(713)、罪を軽減されて饒(じょう)州(江西省鄱(は)陽(よう)県)司馬に遷されたが、任地に赴く途中で病死した。現存する詩は二十三首。ウィキペディア【郭震】参照。
陌頭楊柳枝
陌頭(はくとう) 楊(よう)柳(りゅう)の枝(えだ)
  • 陌頭 … 道ばた。道のほとり。ちなみに畑のあぜ道を阡陌(せんぱく)といい、阡は、南北に通るあぜ道のこと。陌は、東西に通るあぜ道のことをいう。『宋書』劉穆之伝に「時に穆之、京(けい)城(じょう)に叫(きょう)譟(そう)の声有るを聞き、晨(あした)に起きて陌頭に出(い)で、属〻(たまたま)信(つか)いと会う」(時穆之聞京城有叫譟之聲、晨起出陌頭、屬與信會)とある。京城は、都。叫譟は、騒ぎ立てる声。信は、ここでは使者。ウィキソース「宋書/卷42」参照。また、南朝梁の武帝の楽府「襄(じょう)陽(よう)白銅(はくどう)鞮(てい)歌(か)三首」(『玉台新詠』巻十)の第一首に「陌頭の征人(せいじん)去り、閨(けい)中(ちゅう)の女(じょ) 機(き)を下(くだ)る」(陌頭征人去、閨中女下機)とある。襄陽は、現在の湖北省襄陽市。鞮は、革(かく)履(り)(革靴)。征人は、旅人。閨中の女は、閨(ねや)(婦人の部屋)にいる妻。機は、機(はた)。ウィキソース「襄陽白銅鞮 (蕭衍)」参照。
  • 楊柳 … 柳の総称。楊は、カワヤナギ。柳は、シダレヤナギ。古楽府「折楊柳の歌辞」(『楽府詩集』巻二十五)に「馬に上(の)れども鞭を捉(と)らず、反って折る 楊柳の枝」(上馬不捉鞭、反折楊柳枝)とある。ウィキソース「樂府詩集/025卷」参照。また、南朝梁の簡文帝の楽府「折楊柳」(『玉台新詠』巻七、『楽府詩集』巻二十二)に「楊柳乱れて糸を成し、攀折(はんせつ)す上春の時」(楊柳亂成絲、攀折上春時)とある。攀折は、枝を引き寄せて折ること。上春は、陰暦の正月。孟春に同じ。ウィキソース「折楊柳 (蕭綱)」参照。
已被春風吹
已(すで)に春(しゅん)風(ぷう)に吹(ふ)かれたり
  • 春風 … 春の風。春の暖かい風。戦国時代、楚の宋玉「登(とう)徒子(とし)好色の賦」(『文選』巻十九)に「春風を寤(さと)り、鮮栄(せんえい)を発す」(寤春風兮、發鮮榮)とある。鮮栄は、美しい花。ウィキソース「登徒子好色賦」参照。また、南朝斉の謝朓の楽府「永明楽十首」(『楽府詩集』巻七十五)の第三首に「秋雲 甘露を湛(たた)え、春風 芝(し)草(そう)を散ず」(秋雲湛甘露、春風散芝草)とある。ウィキソース「樂府詩集/075卷」参照。また「子夜四時歌七十五首 夏歌二十首」(『楽府詩集』巻四十四)の第十三首に「昔別(わか)るるとき春風起こり、今還(かえ)りて夏雲浮かぶ」(昔別春風起、今還夏雲浮)とある。ウィキソース「樂府詩集/044卷」参照。また、南朝梁の沈約「高きに登って春を望む」詩(『玉台新詠』巻五)に「春風雑樹を揺(うご)かし、葳(い)蕤(すい)緑にして且つ丹(あか)し」(春風搖雜樹、葳蕤綠且丹)とある。葳蕤は、草木の花の美しいさま。ウィキソース「登高望春」参照。また、西晋の潘岳「悼亡の詩三首」(『文選』巻二十三、『玉台新詠』巻二)の第一首に「春風は隟(ひま)に縁りて来たり、晨(しん)霤(りゅう)は檐(のき)を承けて滴(したた)る」(春風縁隟來、晨霤承檐滴)とある。悼亡は、妻の死を弔うこと。隟は、戸の隙間。晨霤は、雨だれ。ウィキソース「悼亡詩」参照。
  • 已被春風吹 … もう春風に吹かれて靡(なび)いている。
妾心正斷絶
妾(しょう)が心(こころ) 正(まさ)に断絶(だんぜつ)す
  • 妾 … 女性の一人称代名詞。わたし。わらわ。「古詩、焦仲(しょうちゅう)卿(けい)の妻の為の作」(『玉台新詠』巻一)に「妾は駆使(くし)に堪へず、徒(いたず)らに留まるも施す所無し」(妾不堪駆使、徒留無所施)とある。駆使は、こき使われること。ウィキソース「古詩為焦仲卿妻作」参照。また、三国魏の文帝(曹丕)「寡婦」詩(『魏文帝集』、『古詩紀』巻二十二)に「妾が心感じて惆悵(ちゅうちょう)し、白日忽(たちま)ちに西に頽(くず)る」(妾心感兮惆悵、白日忽兮西頽)とある。惆悵は、嘆き悲しむこと。ウィキソース「寡婦」参照。
  • 妾心正断絶 … 私の心は断ち切れんばかりの苦しさ。南朝梁の呉均の詩「蕭(しょう)洗(せん)馬(ば)子(し)顕(けん)の古意に和す六首」(『玉台新詠』巻六)の第三首に「春草攬(と)りて結ぶ可し、妾が心正に断絶」(春草可攬結、妾心正斷絶)とある。ウィキソース「和蕭洗馬子顯古意」参照。
君懷那得知
君(きみ)が懐(おも)い那(なん)ぞ知(し)ることを得(え)ん
  • 君懐 … あなたの胸のうち。あなたの気持ち。「古詩八首」(『玉台新詠』巻一)の第六首に「風に従って君が懐(ふところ)に入る、四坐(しざ)歓(よろこ)ばざる莫し」(從風入君懷、四坐莫不歡)とある。四坐は、部屋の四方に坐っている人。その坐にいるすべての人。ウィキソース「四坐且莫諠」参照。
  • 那得知 … どうしたら知ることができようか。『世説新語』品藻篇に「王(子敬)曰く、外人那ぞ知るを得ん」(王曰、外人那得知)とある。王子敬は、東晋の書家、王献(けん)之(し)(344~386)。王羲之(ぎし)の七男。外人は、ここでは世間の人。ウィキソース「世說新語/品藻」参照。
  • 那 … 「なんぞ」と読み、「どうして~か(いや~ではない)」と訳す。反語の意を示す。
余説
 この詩は江戸時代の詩人によって、いくつか意訳されている。
  • 道のほとりの青柳(あをやぎ)を、あれ春風の吹きわたる、わしの心のやるせのなさを、思ふあたりに知らせたや。(服部南郭(なんかく))
  • 町のほとりの柳さへ、あれ春風が吹くわいな、わしが心の遣る瀬なさ、思ふとのごにしらせたい。(柳沢淇(き)園(えん))
  • 往(ゆ)き返る、ちまたの柳、枝垂れて、春のあらしに吹かるめり、心乱れしこのうさを、恋しき人の知るべくもがな。(大江玄(げん)圃(ぽ))
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 枝・吹・知(上平声支韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻六十六(排印本、中華書局、1960年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻十三(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩解』巻二十一(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻三十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『楽府詩集』巻四十五・清商曲辞(北京図書館蔵宋刊本影印、中津濱渉『樂府詩集の研究』所収)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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