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秋興四首其三(杜甫)

秋興四首其三
秋興(しゅうきょう)四(し)首(しゅ) 其(そ)の三(さん)
杜甫(とほ)
  • 七言律詩。山・間・關・顏・班(上平声刪韻)。
  • ウィキソース「秋興八首之五」参照。
  • 詩題 … 『全唐詩』等では「秋興八首其五」に作る。本来は八首の連作であるが、底本では第一・第三・第五・第七首を採り出して「秋興四首」と命名している。『分門集注本』では「秋興五首其二」に作る。この『分門集注本』では、巻二に第一首から第三首を収め、「秋興三首」と命名し、巻六に第四首から第八首を収め、「秋興五首」と命名している。
  • 秋興 … 秋の感興。秋に感じる情趣。秋に感じての思い。大暦元年(766)の秋、夔(き)州(しゅう)(重慶市奉節県)での作。作者五十五歳。
  • 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。河南府鞏(きょう)県(河南省鄭(てい)州(しゅう)市鞏(きょう)義(ぎ)市)生まれ。本籍は襄(じょう)州襄(じょう)陽(よう)県(湖北省襄陽市襄州区)の人。字(あざな)は子美(しび)。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛(しゅく)宗(そう)のもとで左拾遺(天子に諫言する職)に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣(かん)花(か)渓(けい)に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜(りと)」と並称される。『杜工部集』『草堂詩箋』などがある。ウィキペディア【杜甫】参照。
蓬萊宮闕對南山
蓬萊(ほうらい)の宮(きゅう)闕(けつ) 南山(なんざん)に対(たい)し
  • 宮 … 『杜詩詳注』では「高」に作り、「舊作宮、別作仙」と注する。
  • 對 … 『草堂詩箋』(『古逸叢書』所収)には「一作望」と注する。
承露金莖霄漢間
承(しょう)露(ろ)の金茎(きんけい) 霄(しょう)漢(かん)の間(かん)
西望瑤池降王母
西(にし)のかた瑤(よう)池(ち)を望(のぞ)めば 王(おう)母(ぼ)降(くだ)り
  • 降王母 … 底本では「王母降」に作るが、諸本により改めた。
東來紫氣滿函關
東来(とうらい)の紫気(しき) 函関(かんかん)に満(み)つ
雲移雉尾開宮扇
雲(くも)移(うつ)りて 雉尾(ちび) 宮(きゅう)扇(せん)を開(ひら)き
日繞龍鱗識聖顏
日(ひ)繞(めぐ)りて 竜(りょう)鱗(りん) 聖顔(せいがん)を識(し)る
一臥滄江驚歳晩
一(ひと)たび滄江(そうこう)に臥(ふ)して歳晩(さいばん)に驚(おどろ)く
幾囘青瑣點朝班
幾回(いくかい)か青(せい)瑣(さ)にて朝(ちょう)班(はん)に点(てん)ぜられし
  • 點 … 『全唐詩』では「照」に作り、「一作點」と注する。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻五(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻二百三十(排印本、中華書局、1960年)
  • 『分門集注杜工部詩』巻二(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『杜詩詳注』巻十七(仇兆鰲注、中華書局、1979年)
  • 『唐詩品彙』巻八十四([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
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