秋興四首 其二(杜甫)
秋興四首 其二
秋興四首 其の二
秋興四首 其の二
- 〔テキスト〕 『唐詩選』巻五、『分門集注杜工部詩』巻二(『四部叢刊 初編集部』所収)、『杜詩詳注』巻十七、『全唐詩』巻二百三十、『唐詩品彙』巻八十四、他
- 七言律詩。暉・微・飛・違・肥(平声微韻)。
- ウィキソース「秋興八首之三」参照。
- 秋興 … 秋の感興。秋に感じる情趣。秋に感じての思い。大暦元年(766)の秋、夔州(重慶市奉節県)での作。作者五十五歳。原作は八首あるが、『唐詩選』では第一・第三・第五・第七首を採り出し、「秋興四首」と命名している。
- 秋興四首 其二 … 『全唐詩』等では「秋興八首 其三」に作る。『分門集注杜工部詩』(『四部叢刊 初編集部』所収)では「秋興三首 其三」に作る。この四部叢刊本では、巻二に第一首から第三首を収め、「秋興三首」と命名し、巻六に第四首から第八首を収め、「秋興五首」と命名している。
- 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
千家山郭靜朝暉
千家の山郭 朝暉静かなり
日日江樓坐翠微
日日 江楼 翠微に坐す
- 日日 … 『全唐詩』では「一日」に作り、「一作百處。一作日日」とある。
信宿漁人還泛泛
信宿の漁人 還た泛泛
- 泛泛 … 『分門集注杜工部詩』(『四部叢刊 初編集部』所収)では「汎汎」に作る。
清秋燕子故飛飛
清秋の燕子 故に飛飛
匡衡抗疏功名薄
匡衡 疏を抗げて功名薄く
- 疏 … 『分門集注杜工部詩』(『四部叢刊 初編集部』所収)では「䟽」に作る。
劉向傳經心事違
劉向 経を伝えて心事違う
同學少年多不賤
同学の少年 多く賤しからず
五陵衣馬自輕肥
五陵の衣馬 自ずから軽肥
- 衣 … 『唱經堂杜詩解』では「裘」に作る。
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