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虞美人草(曾鞏)

虞美人草
虞(ぐ)美(び)人(じん)草(そう)
曾(そう)鞏(きょう)
  • 〔テキスト〕 『詩話総亀』前集 巻二十一(『四部叢刊 初編集部』所収)、『古文真宝』前集 巻五、他
  • 七言古詩。雪・血・滅(入声屑韻)、王・亡・粧(下平声陽韻)、倒・老・草(上声皓韻)、枝・眉・時(上平声支韻)、古・土・舞(上声麌韻)、換韻。
  • 虞美人草 … 「ひなげし」の別名。この詩は、垓(がい)下(か)の戦いで項羽に殉じて自刃した虞美人(虞姫(ぐき))を悼み、合わせて人生のはかなさを詠ったもの。
  • 曾鞏 … 1019~1083。北宋の政治家、文人。建昌南豊(江西省南豊県)の人。字(あざな)は子固。南豊先生と呼ばれた。唐宋八大家の一人。嘉祐二年(1057)、39歳で進士に及第。中書舎人(詔勅の作成などを掌る官職)などを歴任した。詩文集に『元豊類藁』五十巻がある。ウィキペディア【曾鞏】参照。
鴻門玉斗紛如雪
鴻門(こうもん)の玉(ぎょく)斗(と) 紛(ふん)として雪(ゆき)の如(ごと)し
  • 鴻門玉斗 … 鴻門は、陝西(せんせい)省(しょう)臨潼(りんどう)県の東、漢の劉邦(当時は沛公、のちの高祖)が楚の項羽と会見したところ。その時、沛公は身の危険を感じて逃げてしまった。項羽の参謀范増は怒って、沛公からの贈られた玉斗(玉で作った酒を酌むひしゃく)を粉々に叩き割った。ウィキペディア【鴻門の会】参照。
  • 玉斗 … 『詩話総亀』では「刀斗」に作る。「刀」は「刁」の譌(なまり)。刁(ちょう)斗(と)は、鍋と銅鑼(どら)を兼ねた軍用の道具。昼は食物を煮るために使い、夜は打ち鳴らして陣の警戒に用いた。
  • 紛如雪 … 粉々に砕け、雪のように舞い散る様子。
十萬降兵夜流血
十(じゅう)万(まん)の降兵(こうへい) 夜(よる) 血(ち)を流(なが)す
  • 十万降兵夜流血 … 楚に降参した秦の十万もの投降兵は項羽に虐殺され、一夜にして夥しい血が流された。降兵は、戦いに負けて降参した兵。『史記』項羽本紀には「楚の軍、夜撃ちて秦の卒二十余万人を新安城の南に坑(あな)にす」(楚軍夜撃坑秦卒二十餘萬人新安城南)とある。
咸陽宮殿三月紅
咸陽(かんよう)の宮(きゅう)殿(でん) 三月(さんげつ) 紅(くれない)なり
  • 咸陽宮殿 … 秦の始皇帝が渭水のほとりに建てた宮殿。阿房宮のこと。ウィキペディア【阿房宮】参照。
  • 宮殿 … 『詩話総亀』では「春殿」に作る。
  • 三月紅 … 項羽軍が咸陽に攻め入り、宮殿に火を放った。その火は三ヶ月間燃え続けた。『史記』項羽本紀には「項羽、兵を引きて西(にし)し、咸陽を屠(ほふ)り、秦の降王子(し)嬰(えい)を殺し、秦の宮室を焼く。火、三月滅せず」(項羽引兵西、屠咸陽、殺秦降王子嬰、燒秦宮室。火三月不滅)とある。
霸業已隨煙燼滅
覇(は)業(ぎょう) 已(すで)に煙燼(えんじん)に随(したが)いて滅(ほろ)ぶ
  • 覇業 … 武力で天下を統一する事業。覇業は始皇帝の天下統一を指すが、ここでは項羽の業績も含まれる。
  • 随煙燼 … 煙や燃えかすとともに。
剛強必死仁義王
剛(ごう)強(きょう)なるは必(かなら)ず死(し)し 仁(じん)義(ぎ)なるは王(おう)たり
  • 剛強 … 強くて勇ましい者。項羽を指す。
  • 仁義 … 情け深く、正直な者。劉邦を指す。
陰陵失道非天亡
陰(いん)陵(りょう)に道(みち)を失(うしな)いしは 天(てん)の亡(ほろ)ぼせるに非(あら)ず
  • 陰陵失道 … 項羽が陰陵で道に迷い、農夫に騙されて窮地に陥ったのは。陰陵は、今の安徽省定遠県の西北にある。項羽が劉邦の軍に垓下(安徽省霊璧県東南)で包囲され、敗走し陰陵に到達したが道に迷う。農夫に道を尋ねたが騙され、大きな沼沢地に陥ってしまい、結局劉邦の軍に追いつかれてしまう。『史記』項羽本紀には「項王、陰陵に至り、迷いて道を失う。一田(でん)父(ぷ)に問う。田父紿(あざむ)きて曰く、左せよ、と。左す。乃ち大沢の中に陥る」(項王至陰陵、迷失道。問一田父。田父紿曰、左。左。乃陷大澤中)とある。
  • 非天亡 … 決して天が項羽を滅ぼそうとしたのではない。自ら招いた結果である。『史記』項羽本紀の「今卒(つい)に此に困(くる)しむ。此れ天の我を亡ぼすなり、戦いの罪に非ざるなり」(今卒困於此。此天之亡我、非戰之罪也)という項羽の言葉を作者が否定したもの。
英雄本學萬人敵
英雄(えいゆう) 本(もと)学(まな)ぶ 万人(ばんにん)の敵(てき)
  • 英雄 … 項羽を指す。
  • 本学 … かつて学んだ。もともと学んだ。
  • 万人敵 … 一人で万人を敵にまわして戦う兵法。『史記』項羽本紀には「項籍少(わか)き時、書を学びて成らず。去りて剣を学ぶ。又、成らず。項梁、之を怒る。籍曰く、書は以て名姓を記するに足るのみ。剣は一人の敵なり。学ぶに足らず。万人の敵を学ばん」(項籍少時、學書不成。去學劍。又不成。項梁怒之。籍曰、書足以記名姓而已。劍一人敵。不足學。學萬人敵)とある。
何用屑屑悲紅粧
何(なん)ぞ用(もち)いん 屑屑(せつせつ)として紅(こう)粧(しょう)を悲(かな)しむを
  • 何用 … どうして~する必要があろうか。反語。
  • 屑屑 … くよくよと。女々しく。
  • 悲紅粧 … 虞美人との別れを悲しむこと。紅粧は、化粧した美人のこと。虞美人を指す。
三軍散盡旌旗倒
三軍(さんぐん) 散(さん)じ尽(つ)くして 旌(せい)旗(き)倒(たお)れ
  • 三軍 … 諸侯の率いる大軍のこと。一軍は一万二千五百人。三軍は三万七千五百人。ここでは項羽の軍を指す。
  • 散尽 … ちりぢりになる。四方に散らばる。
  • 旌旗 … 旗指物。ここでは、項羽軍の軍旗。『孫子』軍争篇に「視(しめ)すとも相(あい)見(まみ)えず、故に旌旗を為(つく)る」(視不相見、故爲旌旗)とある。ウィキソース「孫子兵法」参照。また、北周の庾信「命を将(も)って鄴(ぎょう)に至り、祖正員に酬(こた)う」詩に「乏しきを承けて騏驥(きき)を駆り、旌旗もて琬珪(えんけい)を事とす」(承乏驅騏驥、旌旗事琬珪)とある。承乏は、人材の欠乏を補って登用されること。騏驥は、駿(しゅん)馬(め)。琬珪は、王の使者が印(しるし)として与えられる玉。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷125」参照。
  • 倒 … (項羽軍の軍旗が)倒れる。軍隊が敗れたことを示す。
玉帳佳人坐中老
玉帳(ぎょくちょう)の佳(か)人(じん) 坐(ざ)中(ちゅう)に老(お)ゆ
  • 玉帳 … 玉をちりばめた美しいとばり。
  • 佳人 … 美人。ここでは、虞美人を指す。『楚辞』九章・悲回風に「惟(た)だ佳人を之れ独り懐い、若椒(じゃくしょう)を折りて以て自ら処(お)る」(惟佳人之獨懷兮、折若椒以自處)とある。若椒は、杜若と山椒。自処は、自分で満足する。ウィキソース「楚辭/九章」参照。また、前漢の司馬相如「長門の賦」(『文選』巻十六)に「夫れ何ぞ一佳人、歩(あゆ)みて逍遥して以て自ら虞(はか)る」(夫何一佳人兮、歩逍遙以自虞)とある。ウィキソース「長門賦」参照。また、三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第八十首に「門を出(い)でて佳人を望むも、佳人豈に茲(ここ)に在らんや」(出門望佳人、佳人豈在茲)とある。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」参照。
  • 坐中老 … とばりの中であっという間に老け込んでしまった。
香魂夜逐劍光飛
香魂(こうこん) 夜(よる) 剣光(けんこう)を逐(お)いて飛(と)び
  • 香魂 … 香り高い魂。虞美人の魂。
  • 逐剣光飛 … 剣の光を追うように飛び去っていった。虞美人が自刃したことを示す。
靑血化爲原上草
青血(せいけつ) 化(か)して原(げん)上(じょう)の草(くさ)と為(な)る
  • 青血 … 鮮やかな血。鮮血。「清血」に作るテキストもある。
  • 化為原上草 … 野原の草に変わった。これが虞美人草(ひなげし)である。
芳心寂寞寄寒枝
芳心(ほうしん) 寂寞(せきばく) 寒(かん)枝(し)に寄(よ)る
  • 芳心 … 虞美人の香り高い魂。「香魂」とほぼ同じ。『詩話総亀』では「芳菲」に作る。
  • 寂寞 … もの寂しく。
  • 寄寒枝 … 寒々とした枝に宿る。この句全体は、虞美人草がもの寂しくひっそりと咲いている様子を表す。
舊曲聞來似斂眉
旧(きゅう)曲(きょく) 聞(き)こえ来(きた)りて 眉(まゆ)を斂(おさ)むるに似(に)たり
  • 旧曲 … 垓下で劉邦の軍に包囲されたとき、項羽と虞美人とが唱和した歌。項羽の歌は「力(ちから)は山(やま)を抜(ぬ)き、気(き)は世(よ)を蓋(おお)う。時(とき)利(り)あらず、騅(すい)逝(ゆ)かず。騅(すい)逝(ゆ)かざる、奈何(いかん)すべき。虞(ぐ)や虞(ぐ)や、若(なんじ)を奈何(いかん)せんと」。故事名言「四面楚歌」参照。
  • 聞来 … 聞こえてくると。
  • 似斂眉 … 虞美人草はこの曲が聞こえると葉を揺らすといわれており、その様子が眉をひそめて悲しんでいるように見える。斂眉は、眉をひそめること。
哀怨徘徊愁不語
哀怨(あいえん) 徘徊(はいかい) 愁(うれ)えて語(かた)らず
  • 哀怨 … 哀しみ恨む。『詩話総亀』では「哀語」に作る。
  • 徘徊 … ここでは虞美人草が風に揺れ動くこと。畳韻の語。
  • 愁不語 … 愁いて何も語らない。
恰如初聽楚歌時
恰(あたか)も初(はじ)めて楚歌(そか)を聴(き)ける時(とき)の如(ごと)し
  • 恰如 … ちょうど~のようだ。
  • 初聴楚歌時 … 項羽の軍が劉邦の軍に四方を包囲され、初めて楚の歌を聞いた時。虞美人がそれを聞き、驚き嘆いた時。故事名言「四面楚歌」参照。
滔滔逝水流今古
滔滔(とうとう)たる逝水(せいすい) 今(きん)古(こ)に流(なが)る
  • 滔滔 … 水がよどみなく、さかんに流れる様子。
  • 逝水 … 流れ去っていく水。元に戻らないものに喩える。
  • 流今古 … 今も昔も変わることなく、流れ行く。
漢楚興亡兩丘土
漢(かん)楚(そ)の興亡(こうぼう) 両(ふた)つながら丘(きゅう)土(ど)
  • 漢楚興亡 … 漢の国が興り、楚の国が亡んだこと。
  • 両 … 両方とも。二つとも。
  • 丘土 … 小高く土を盛り上げた墓。
當年遺事久成空
当年(とうねん)の遺事(いじ) 久(ひさ)しく空(くう)と成(な)る
  • 当年 … 当時の。
  • 遺事 … 伝えられて残っている昔の事蹟。
  • 久成空 … とうの昔にすっかり消えてしまった。
慷慨樽前爲誰舞
樽前(そんぜん)に慷慨(こうがい)して誰(た)が為(ため)にか舞(ま)わん
  • 樽前 … 酒樽(さかだる)の前で。
  • 慷慨 … いきどおり、なげくこと。
  • 為誰舞 … いったい誰のために舞おうとするのか。
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