陽貨第十七 11 子曰禮云禮云章
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子曰、禮云禮云、玉帛云乎哉。樂云樂云、鐘鼓云乎哉。
子曰、禮云禮云、玉帛云乎哉。樂云樂云、鐘鼓云乎哉。
子曰く、礼と云い礼と云う、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云う、鐘鼓を云わんや。
現代語訳
- 先生 ――「礼儀礼儀というが、玉や絹のことだろうかね。音楽音楽というが、鐘やタイコのことだろうかね。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「礼・礼というが、それは玉や絹の礼式用度をいうのであろうや。楽・楽というが、それは鐘や太鼓の楽器をいうのであろうや、心の敬が形にあらわれたのが礼であるから、心の敬を失ったら、どんな上等の玉帛を用いても礼にはならぬ。心の和が音にあらわれるのが楽であるから、心の和を失ったらどんな妙音の鐘鼓を用いても楽にはならぬ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「礼だ、礼だ、と大さわぎしているが、礼とはいったい儀式用の玉や帛のことだろうか。楽だ、楽だ、と大さわぎしているが、楽とはいったい鐘や太鼓のことだろうか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 玉帛 … 玉と絹布。神を祭るときに用いる。また、王と諸侯間の礼物にも用いる。
- 乎哉 … 「や」と読む。反問の気持ちをあらわす。
- 鐘鼓 … 楽器の鐘と太鼓。
補説
- 『注疏』に「此の章は礼・楽の本を弁ずるなり」(此章辨禮樂之本也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 礼云、礼云、玉帛云乎哉 … 『集解』に引く鄭玄の注に「玉は、珪璋の属なり。帛は、束帛の属なり。言うこころは礼は但だ此の玉帛を崇めるのみに非ず。貴ぶ所の者は、乃ち其の上を安んじ民を治むるを貴ぶなり」(玉、珪璋之屬。帛、束帛之屬。言禮非但崇此玉帛而已。所貴者、乃貴其安上治民也)とある。珪璋は、儀式に用いる玉の飾り。束帛は、天子への進物として用いる束にした絹。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の章は礼楽の本を弁ずるなり。夫れ礼の貴ぶ所、上を安んじ民を治むるに在り。但だ上を安んじ民を治むるは、玉帛に因らずして達せず。故に礼を行うには必ず玉帛を用うるのみ。周の季末の君に当たり、唯だ玉帛を崇尚するを知るのみにして、上を安んじ民を治むること能わず。故に孔子之を歎きて云うなり。故に礼と云い、礼と云う、玉帛を云わんやと重言す。礼の云う所、玉帛ならざるを明らかにするなり」(此章辨禮樂之本也。夫禮所貴、在安上治民。但安上治民、不因於玉帛而不達。故行禮必用玉帛耳。當乎周季末之君、唯知崇尚玉帛、而不能安上治民。故孔子歎之云也。故重言禮云禮云玉帛云乎哉。明禮之所云不玉帛也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「玉は、圭璋の属、帛は、束帛の属、皆礼を行うの物なり。言うこころは礼の云う所は、豈に此の玉帛を云う者に在らんや、と。言うこころは但だに此の玉帛を崇ぶのみに非ず、貴ぶ所の者は、上を安んじ民を治むるに在るなり」(玉、圭璋之屬、帛、束帛之屬、皆行禮之物也。言禮之所云、豈在此玉帛云乎者。言非但崇此玉帛而已、所貴者、在於安上治民)とある。また『集注』に「敬して之を将うに玉帛を以てすれば、則ち礼と為す」(敬而將之以玉帛、則爲禮)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 楽云、楽云、鐘鼓云乎哉… 『集解』に引く馬融の注に「楽の貴ぶ所の者は、風を移し俗を易う。鐘鼓を謂うに非ざるのみ」(樂之所貴者、移風易俗。非謂鐘鼓而已也)とある。また『義疏』に「楽の貴ぶ所は、風を移し俗を易うるに在り。鐘鼓に因ってして宜し。故に楽を行うは必ず鐘鼓を仮るのみ。澆季の主に当たりては、唯だ鐘鼓を崇尚するを知るのみにして、風を移し俗を易うること能わず。孔子は楽と云い、楽と云う、鐘鼓を云わんやと重言す。楽の云う所は鐘鼓に在らざるを明らかにするなり」(樂之所貴、在移風易俗。因於鐘鼓而宜。故行樂必假鐘鼓耳。當澆季之主、唯知崇尚鐘鼓、而不能移風易俗。孔子重言樂云樂云鐘鼓云乎哉。明樂之所云不在鐘鼓也)とある。澆季は、人情が薄くなり、風俗が乱れた末の世のこと。また『注疏』に「鍾鼓は、楽の器なり。楽の貴ぶ所は、其の風を移し俗を易うるを貴ぶにて、此の鍾鼓の鏗鏘を貴ぶを謂うのみに非ず。故に孔子之を歎ず。之を重言するは、深く礼楽の本の玉帛・鍾鼓に在らざるを明らかにするなり」(鍾鼓、樂之器也。樂之所貴者、貴其移風易俗、非謂貴此鍾鼓鏗鏘而已。故孔子歎之。重言之者、深明禮樂之本不在玉帛鍾鼓也)とある。鏗鏘は、金属などの高く澄んだ音。また『集注』に「和して之を発するに鐘鼓を以てすれば、則ち楽と為る。其の本を遺れて専ら其の末を事とすれば、則ち豈に礼楽の謂ならんや」(和而發之以鐘鼓、則爲樂。遺其本而專事其末、則豈禮樂之謂哉)とある。
- 鐘 … 底本では「鍾」に作るが、『義疏』等に従い「鐘」に改めた。同義。
- 『集注』に引く程頤の注に「礼は只だ是れ一箇の序にして、楽は只だ是れ一箇の和なり。只だ此の両字、多少の義理を含蓄す。天下に一物として礼楽無きは無し。且つ此れ両椅を置くが如し。一も正しからざれば、便ち是れ序無し。序無ければ便ち乖き、乖けば便ち和せず。又た盗賊の如きは至りて不道を為せども、然れども亦た礼楽有り。蓋し必ず総属有りて、必ず相聴順して、乃ち能く盗を為す。然らざれば則ち叛乱して統無く、一日も相聚まりて盗を為すこと能わざるなり。礼楽は処として之れ無きこと無し。学者須らく識得すべきことを要す」(禮只是一箇序、樂只是一箇和。只此兩字、含蓄多少義理。天下無一物無禮樂。且如置此兩椅。一不正、便是無序。無序便乖、乖便不和。又如盜賊至爲不道、然亦有禮樂。蓋必有總屬、必相聽順、乃能爲盜。不然則叛亂無統、不能一日相聚而爲盜也。禮樂無處無之。學者須要識得)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「礼は以て上を安んじ民を治む可し。楽は以て風を移し俗を易う可し。豈に玉帛鐘鼓の云うならんや。故に礼儀三百、威儀三千、必ず其の人を待ちて行わる。苟くも其の人に非ざれば、則ち儀文失うこと無く、声容観る可しと雖も、而も以て礼楽の実を見ること無きなり」(禮可以安上治民。樂可以移風易俗。豈玉帛鐘鼓之云乎哉。故禮儀三百、威儀三千、必待其人而行。苟非其人、則雖儀文無失、聲容可觀、而無以見禮樂之實也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- 荻生徂徠『論語徴』に「礼に玉帛を以て云い、楽に鐘鼓を以て云うは、皆其の大なる者なり。故に此の章は、孔子人君の為に之を言う。蓋し先王礼楽の道は、己に施すときは則ち此れを以て其の徳を成し、人に用うるときは則ち此れを以て其の俗を成す。先王の不言の教えを施し無為の化を成す所以の者は、専ら此に在り。然れども世の人君此れを識らずして、徒らに耳目を悦ばしむるの具と以える者衆し。故に孔子此の言有るなり。馬・鄭は、上を安んじ民を治め、風を移し俗を易うというを以てす。是れ此の章の主とする所は人君に在り。故に此の解之を得たり。朱子は敬・和を以て言い、程子は序・和を以て言う。皆其の家学にして、徒らに其の理を言いて其の事を遺る。且つ敬・序・和は、豈に以て礼楽の理を尽くすに足らんや。程子、盗賊も亦た礼楽有りと云うに至りては、真に乱道するかな。夫れ三代以下の無き所にして、而も盗賊に之れ有りと謂いて可ならんや。是れ其の意は礼楽の須臾も離る可からざるの意を極言するのみ。然れども其の人聖人を尊信せずして、吾言語を以て其の人を喩さんと欲するは、豈に得可けんや。之を要するに聖人なる者は得て之に及ぶ可からず。故に其の道を尊信して之を奉ず、必ず是の心有りて而る後得て之を教う可し。乃ち信ぜざるの人に向かいて弁言を以て其れをして之を信ぜ俾めんと欲す。是れ孟子以後の失なり」(禮以玉帛云、樂以鐘鼓云、皆其大者也。故此章、孔子爲人君言之。蓋先王禮樂之道、施於己則以此成其德、用於人則以此成其俗。先王之所以施不言之教成無爲之化者、專在此焉。然世之人君不識此、而徒以悦耳目之具者衆矣。故孔子有此言也。馬鄭以安上治民移風易俗。是此章所主在人君。故此解得之。朱子以敬和言、程子以序和言。皆其家學、徒言其理而遺其事焉。且敬序和、豈足以盡禮樂之理哉。至於程子云盜賊亦有禮樂、眞亂道哉。夫三代以下所無、而謂盜賊有之可乎。是其意極言禮樂不可須臾離之意耳。然其人不尊信聖人、而吾欲以言語喩其人、豈可得乎。要之聖人者不可得而及之矣。故尊信其道而奉之、必有是心而後可得而教之焉。乃欲向不信之人而以辨言俾其信之。是孟子以後之失也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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