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季氏第十六 2 孔子曰天下有道章

422(16-02)
孔子曰、天下有道、則禮樂征伐自天子出。天下無道、則禮樂征伐自諸侯出。自諸侯出、蓋十世希不失矣。自大夫出、五世希不失矣。陪臣執國命、三世希不失矣。天下有道、則政不在大夫。天下有道、則庶人不議。
こういわく、てんみちれば、すなわ礼楽れいがく征伐せいばつてんよりづ。てんみちければ、すなわ礼楽れいがく征伐せいばつ諸侯しょこうよりづ。諸侯しょこうよりづれば、けだ十世じっせいにしてうしなわざることまれなり。たいよりづれば、せいにしてうしなわざることまれなり。陪臣ばいしん国命こくめいれば、三世さんせいにしてうしなわざることまれなり。てんみちれば、すなわまつりごとたいらず。てんみちれば、すなわ庶人しょじんせず。
現代語訳
  • 孔先生 ――「きまりのある世には、文化関係も軍事行動も王さまの命令による。きまりのない世では、文化関係や軍事行動を殿さまが命令する。殿さまが命令するようでは、まず十代でほろびないことはめずらしかろう。家老が命令するようだと、五代でほろびないことはめずらしかろう。家老の家来が政権をにぎったら、三代でほろびないことはめずらしかろう。きまりのある世なら、政権は家老の手に移らない。きまりのある世では、一般人は政治論をしない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子が申すよう、「正しい道が天下に行われる時代には、礼楽征伐の命令が天子から出ます。天下に行われなくなると、礼楽征伐の命令が諸侯から出るようになります。命令が諸侯から出るようになっては、おそらく十代も政権を失わぬことはまれでありましょう。それがたいから出るようになっては、五代も続くことは稀でありましょう。その又家来が国の政権を取りしきるようになっては、三代続くことも稀でしょう。天下に道が行われれば、政権が大夫の手などにはないはずです。天下に道が行われれば、平民が政治の批判をしなくなります。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「先師がいわれた。天下に道が行なわれている時には、文武の政令がすべて天子から出る。天下に道が行なわれていない時には、文武の政令が諸侯から出る。政令が諸侯から出るようになれば、おそらくその政権が十代とつづくことはまれであろう。政令が大夫から出るようになれば、五代とつづくことはまれであろう。さらに陪臣が国政の実権を握るようになれば、三代とつづくことはまれであろう。天下に道が行なわれておれば、政権が大夫の手にうつるようなことはない。天下に道が行なわれておれば、庶民が政治を論議することもない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 道 … 正しい道。秩序。
  • 礼楽 … ここでは、政策・政治。
  • 征伐 … ここでは、軍事。
  • 自 … 「より」と読み、「~から」と訳す。時間・場所などの起点を示す。
  • 十世 … 魯の隠公、桓公、荘公、閔公、僖公、文公、宣公、成公、襄公、昭公の十人を指す(『義疏』)。
  • 大夫 … ここでは、諸侯の重臣。
  • 五世 … 魯の大夫季文子、季武子、季悼子、季平子、季桓子の五人を指す(『義疏』)。
  • 陪臣 … 家来に仕えている家来のこと。天子からみて諸侯の家来や、諸侯からみて大夫の家来など。またらい
  • 庶人 … 庶民。一般民衆。
  • 不議 … 議論しない。批判しない。
補説
  • 『注疏』に「此の一章は天下の有道・無道を論じ、礼楽・征伐の出づる所同じからざる、及び衰失の世数を言うなり」(此一章論天下有道無道、禮樂征伐所出不同、及言衰失之世數也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 天下有道、則礼楽征伐自天子出 … 『義疏』に「礼楽は先王喜びを飾る所以なり。えつは先王怒りを飾る所以なり。故に有道の世なれば、則ち礼楽征伐並びに天子より出づるなり」(禮樂先王所以飾喜。鈇鉞先王所以飾怒。故有道世、則禮樂征伐竝由天子出也)とある。鈇鉞は、おのと、まさかり。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「王者は功成りて礼を制し、治定まりて楽を作り、司馬の官を立て、九伐の法をつかさどらしむ。諸侯は礼楽を制作するを得ず、弓矢を賜わりて然る後に征伐を専らにす。是れ天下に道有るの時は、礼楽・征伐は天子より出づるなり」(王者功成制禮、治定作樂、立司馬之官、掌九伐之法。諸侯不得制作禮樂、賜弓矢然後專征伐。是天下有道之時、禮樂征伐自天子出也)とある。
  • 天下無道、則礼楽征伐自諸侯出 … 『義疏』に「若し天下に道無ければ、天子微弱にして自由に任ずるを得ず。故に礼楽征伐諸侯より出づるなり」(若天下無道、天子微弱不得任自由。故禮樂征伐從諸侯出也)とある。また『注疏』に「天子微弱となり、諸侯は上僭し、自ら礼楽を作り、専ら征伐を行うを謂うなり」(謂天子微弱、諸侯上僭、自作禮樂、專行征伐也)とある。また『集注』に「先王の制、諸侯礼楽を変じ、征伐を専らにするを得ず」(先王之制、諸侯不得變禮樂、專征伐)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 自諸侯出、蓋十世希不失矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「希は、少なり。周の幽王はけんじゅうの殺す所と為り、平王は東遷し、周始めて微弱たり。諸侯自ら礼楽を作り、征伐を専らにするは、隠公より始まる。昭公に至り十世にして政を失い、乾侯けんこうに死す」(希、少也。周幽王爲犬戎所殺、平王東遷、周始微弱。諸侯自作禮樂、專征伐、始於隱公。至昭公十世失政、死於乾侯)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「希は、少なり。若し礼楽征伐諸侯より出づるは、其の所に非ず。故に僭濫の国、十世国を失わざる者有ること少なきなり。諸侯は是れ南面の君なり。故に全数の年に至りて之を失うなり。十世濫を為し国を失うの君を証するなり。周の幽王無道にして、犬戎の殺す所と為る。其の子平王雒邑に東遷す。是に於いて周始めて微弱にして、諸侯を制する能わず。故に時に魯の隠公始めて専征濫伐し、昭公十世に至る。而して昭公季氏の出だす所と為り、乾侯の地に死するなり。十世とは、隠一、桓二、荘三、閔四、僖五、文六、宣七、成八、襄九、昭十なり」(希、少也。若禮樂征伐從諸侯出、非其所。故僭濫之國、十世少有不失國者也。諸侯是南面之君。故至全數之年而失之也。證十世爲濫失國之君也。周幽王無道、爲犬戎所殺。其子平王東遷雒邑。於是周始微弱、不能制諸侯。故于時魯隱公始專征濫伐、至昭公十世。而昭公爲季氏所出、死於乾侯之地也。十世者、隱一、桓二、莊三、閔四、僖五、文六、宣七、成八、襄九、昭十也)とある。また『注疏』に「希は、少なり。言うこころは政諸侯より出づれば、十世に過ぎずして、必ずや其の位を失い、失わざること少なきなり。魯の昭公の斉に出奔するが若きは是れなり」(希、少也。言政出諸侯、不過十世、必失其位、不失者少也。若魯昭公出奔齊是也)とある。
  • 自大夫出、五世希不失矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「季文子初めて政を得、桓子に至り五世にして、家臣の陽虎のとらうる所と為るなり」(季文子初得政、至桓子五世、爲家臣陽虎所囚也)とある。また『義疏』に「若し礼楽征伐大夫よりして専濫せば、則ち五世此の大夫政を失わざる者有ること少なきなり。其の南面の君に非ずして、道従いて勢い短なり。故に諸侯の年に半ばす。五世にして之を失う所以なり。此れ大夫専濫して五世にして家を失う者を証す。季文子始めて政を得て専濫す。五世の桓子に至りて、臣の囚うる所と為るなり。五世とは、文子一、武子二、悼子三、平子四、桓子五、是れなり」(若禮樂征伐從大夫而專濫、則五世此大夫少有不失政者也。其非南面之君、道從勢短。故半諸侯之年。所以五世而失之也。此證大夫專濫五世而失家者。季文子始得政而專濫。至五世桓子、爲臣所囚也。五世者、文子一、武子二、悼子三、平子四、桓子五、是也)とある。また『注疏』に「言うこころは政大夫に在らば、五世に過ぎずして、必ずや其の位を失い、失わざること少なきなり。魯の大夫季桓子の陽虎の囚うる所と為るが若きは是れなり」(言政在大夫、不過五世、必失其位、不失者少矣。若魯大夫季桓子爲陽虎所囚是也)とある。
  • 陪臣執国命、三世希不失矣 … 『集解』に引く馬融の注に「陪は、重なり。家臣を謂うなり。陽氏は季氏の家臣と為り、虎に至りて三世にして斉に出奔するなり」(陪、重也。謂家臣也。陽氏爲季氏家臣、至虎三世而出奔齊也)とある。また『義疏』に「陪は、重なり。其れ臣たるの臣なり。故に重と云うなり。是れ大夫の家臣僭して、邦国の教令を執るなり。此れ三世に至りて必ず失うなり。既に卑なる故に五に至らざるなり。則ち十に半して五、三も亦た五に半す。大夫傾き難し。故に十に至る。十は極数なり。小なる者は危うきこと易し。故に相半するに転ず。理の勢い然らしむるなり。亡国喪家は、其の数皆然り。未だ此を過ぎて失わざる者有らざるなり。按ずるに此れ但だ国命を執るを云いて、礼楽征伐出だす者を云わず。其れ礼楽征伐を僭すること能わざればなり。繆播云う、大夫五世、陪臣三世の者、苟しくも之を得て由ること有らば、則ち之を失うに漸有り。大なる者傾き難く、小なる者滅び易し。近く罪の軽さに本づけ、弥〻罪の重さを遠ざく。軽き故に禍い遅く、重ければ則ち敗るること速し。二理同致するは、自然の差なり、と」(陪、重也。其爲臣之臣。故云重也。是大夫家臣僭、執邦國教令。此至三世必失也。既卑故不至五也。則半十而五、三亦半五。大夫難傾。故至十。十極數也。小者易危。故轉相半。理勢使然。亡國喪家、其數皆然。未有過此而不失者也。按此但云執國命、不云禮樂征伐出者。其不能僭禮樂征伐也。繆播云、大夫五世、陪臣三世者、苟得之有由、則失之有漸。大者難傾、小者易滅。近本罪輕、遠彌罪重。輕故禍遲、重則敗速。二理同致、自然之差也)とある。また『注疏』に「陪は、重なり。家臣を謂うなり。大夫は已に臣と為る、故に家臣を謂いて陪臣と為す。言うこころは陪臣権をほしいままにし国の政命を執らば、三世に過ぎずして、必ずや其の位を失い、失わざること少なきなり。陽虎の三世にして斉に出奔するが若きは是れなり」(陪、重也。謂家臣也。大夫已爲臣、故謂家臣爲陪臣。言陪臣擅權執國之政命、不過三世、必失其位、不失者少矣。若陽虎三世而出奔齊是也)とある。また『集注』に「陪臣は、家臣なり。理に逆らうこと愈〻甚だしければ、則ち其の之を失うこと愈〻速やかなり。大約の世数此くの如くなるに過ぎず」(陪臣、家臣也。逆理愈甚、則其失之愈速。大約世數不過如此)とある。
  • 天下有道、則政不在大夫 … 『集解』に引く孔安国の注に「之を制するは君に由るなり」(制之由君也)とある。また『義疏』に「政は君に由る。故に大夫に在らず。大夫に在るは、天下道を失うに由るが故なり」(政由於君。故不在大夫。在大夫、由天下失道故也)とある。また『注疏』に「凡そ政命を為すに、之を制するは君に由るなり」(凡爲政命、制之由君也)とある。また『集注』に「政を専らにするを得ざるを言う」(言不得專政)とある。
  • 天下有道、則庶人不議 … 『集解』に引く孔安国の注に「非議する所無きなり」(無所非議也)とある。また『義疏』に「君に道有れば、則ち頌の声興る。載路に時雍の義有れば、則ち庶人民下、街群巷聚して、以て天下四方の得失を評議する所無きなり。若し道無ければ、則ち庶人共に非議する所有るなり」(君有道、則頌之聲興。載路有時雍之義、則庶人民下、無所街羣巷聚、以評議天下四方之得失也。若無道、則庶人共有所非議也)とある。また『注疏』に「議は、謗議するを謂う。言うこころは天下に道有れば、則ち上は民言を酌みて以て政教を為し、行う所は皆是なれば、則ち庶人に非毀謗議すること有る無きなり」(議、謂謗議。言天下有道、則上酌民言以爲政教、所行皆是、則庶人無有非毀謗議也)とある。また『集注』に「上に失政無ければ、則ち下に私議無し。其の口にかんして敢えて言わざらしむるに非ざるなり」(上無失政、則下無私議。非箝其口使不敢言也)とある。
  • 『集注』に「此の章は通じて天下の勢を論ず」(此章通論天下之勢)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此の章蓋し夫子春秋を作る所以の由を記すなり。……其の徳有りと雖も、苟くも其の位無くは、敢えて礼楽を作らず。天下の事、豈に庶人の議す可き所ならんや。然れども天下道有れば、則ち学上に在り。天下道無ければ、則ち学下に在り。学上に在り、故に庶人敢えて議せず。抑えて之を議せざるに非ざるなり。学下に在り、故に庶人を以て天下の事を議すと雖も、僭と為さず。其の道の天下に絶えんことを恐れてなり。故に孔子曰く、我を知る者は其れ惟だ春秋か。我を罪する者は其れ惟だ春秋か、と。蓋し已むことを得ざればなり」(此章蓋記夫子所以作春秋之由也。……雖有其德、苟無其位、不敢作禮樂。天下之事、豈庶人之所可議乎。然天下有道、則學在上。天下無道、則學在下。學在上、故庶人不敢議焉。非抑而不議之也。學在下、故雖以庶人議天下之事、而不爲僭。其恐道之絶于天下也。故孔子曰、知我者其惟春秋乎。罪我者其惟春秋乎。蓋不得已也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「十世・五世・三世は、孔子豈におうあとて之を言うか。蓋し王者のたくは、五百年にしてつ。覇は則ち善なりと雖も二三百年に過ぎず。大夫は則ち百年に過ぎず。陪臣諸侯の邦をほしいままにする者は、百年に及ばずして亡ぶ。皆自然の数なり。陪臣と云う者は、諸侯を以て之を言う。故に国命を執ると曰う。仁斎曰く、其の徳有りと雖も、苟しくも其の位無ければ、敢えて礼楽を作らず。天下の事、豈に庶人の議す可き所ならんや、と。是れ其の意に謂えらく庶人政を議するは罪有りと為すと。乃ちしゅうれい・秦始の法なり。こう曰く、大夫はかいし、士は伝言し、庶人はそしる。是れ古えの道なり。議せざる所以の者は、特に其の議す可きこと無きを以てなり。且つ敢えて礼楽を作らずと曰うのみ。豈に政を議せずと曰わんや。且つ所謂庶人なる者は民を謂うなり。君子を謂うに非ざるなり。君子其の大夫を非とせざれば、則ち政を議せざること知る可きのみ。然れども是れ礼なり。法に非ざるなり。礼なる者は君子の守る所なり。法なる者は上の立つる所なり。法を犯す者は罪有り。礼を知らざる者豈に罪有らんや。仁斎は蓋し礼・法の分を知らず」(十世五世三世、孔子豈睹已往之迹而言之乎。蓋王者之澤、五百年而斬。覇則雖善不過二三百年。大夫則不過百年。陪臣擅諸侯之邦者、不及百年而亡。皆自然之數也。陪臣云者、以諸侯言之。故曰執國命。仁齋曰、雖有其德、苟無其位、不敢作禮樂。天下之事、豈庶人之所可議乎。是其意謂庶人議政爲有罪矣。乃周厲秦始之法也。師曠曰、大夫規誨、士傳言、庶人謗。是古之道也。所以不議者、特以其無可議也。且曰不敢作禮樂而已矣。豈曰不議政乎。且所謂庶人者謂民也。非謂君子也。君子不非其大夫、則不議政可知已。然是禮也。非法也。禮者君子所守也。法者上之所立也。犯法者有罪矣。不知禮者豈有罪乎。仁齋蓋不知禮法之分焉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十