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衛霊公第十五 40 子曰辭達而已矣章

419(15-40)
子曰、辭達而已矣。
いわく、たっするのみ。
現代語訳
  • 先生 ――「ことばは、よくわかるのがいい。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「言語文章は意味の通ずることが肝心かんじんじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「言葉というものは、十分に意志が通じさえすればそれでいい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 辞 … 言語文章。なお、荻生徂徠は「辞命」と解釈している。辞命は、春秋時代、外交的なやりとりをするための、使者の言葉や文章。応接の言葉。
  • 達 … 意志を十分に通達すること。
  • 達而已矣 … 「達せんのみ」とも訓読する。
  • 而已矣 … 「のみ」と読む。強い断定の意を示す。「而已のみ」をさらに強調した言い方。「…だけだ」「他にはない、ただこれだけだ」の意。「而已焉」「而已耳」も同じ。
補説
  • 『注疏』に「此の章は言語の法を明らかにするなり」(此章明言語之法也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 辞達而已矣 … 『集解』の何晏の注に「凡そ事は実に足るに過ぐること莫きなり。辞も達すれば則ち足る。文艶の辞を煩わさざるなり」(凡事莫過於實足也。辭達則足矣。不煩文艷之辭也)とある。なお、『義疏』及び『注疏』では孔安国の注とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「言語の法は、辞をして其の事を宜達するに足らしむるのみ。須らく其の言を美奇して以て事実より過ぐべからざるなり」(言語之法、使辭足宜達其事而已。不須美奇其言以過事實也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「凡そ事は実に過ぐるは莫く、辞は達すれば則ち足りて、文艶を煩わさざるなり」(凡事莫過於実、辞達則足矣、不煩文豔也)とある。また『集注』に「辞は意を達するに取りて止む。富麗を以てたくみと為さず」(辭取達意而止。不以富麗爲工)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「辞は意明らかに理尽くるを以て本と為す、所謂達なり。若し専ら工を言詞の間に用いれば、則ち意理皆病む、何ぞ辞を用いること為さん。陳氏曰く、達の一字は、辞を修むるの法なり。東坡人と文を論ずるに、つねに夫子の此の言を以て主と為す、と」(辭以意明理盡爲本、所謂達也。若專用工於言詞之間、則意理皆病、何用辭爲。陳氏曰、達之一字、修辭之法也。東坡與人論文、毎以夫子此言爲主)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「按ずるに凡そ言のあやを成せる、之を辞と謂う。而うしてここは辞命を謂うなり。春秋の時、辞命を為す者、おおむね虚誇して俗を成し、競いて文飾を以て相高ぶり、両国の情、因りて以て達せず。故に孔子云うことしかり。後世字義を審らかにせず、誤りて以て言語の道皆然りと為し、達を以て達意と為す。非なり。夫れ言語の道はいつならず、或いは簡或いは繁、或いはえん或いは直、何ぞ必ずしも通快めいちょうを取て善と為さんや。……孟子よりしてしも、此の道ほろぶ。務めて言語を以て道を尽くさんと欲するや、以て知らざる者の前に聒争かっそうす。夫れ人は言を以てさとす可からざるなり。況んや言を以て其の心を服す可けんや。故に其の言の明暢しつは、まさに以て一偏の説たるに足るのみ。故に性善・性悪、万古に聚訟しゅうしょうす。程朱の性理は、堅白の弁たるに過ぎず。悲しいかな。此れ未だ必ずしも此の章を誤解するに因らずんばあらざるなり。学者これを察せよ」(按凡言之成文謂之辭。而此謂辭命也。春秋時、爲辭命者、率虚誇成俗、競以文飾相高、兩國之情、因以不達。故孔子云爾。後世不審字義、誤以爲言語之道皆然、以達爲達意。非也。夫言語之道不一、或簡或繁、或婉或直、何必取通快明暢爲善哉。……孟子而下、此道泯焉。務欲以言語盡乎道也、以聒爭於不知者之前焉。夫人不可以言喩也。況可以言服其心乎。故其言之明暢備悉、適足以爲一偏之説耳。故性善性惡、聚訟萬古。程朱性理、不過爲堅白之辨。悲哉。此未必不因誤解此章也。學者察諸)とある。聚訟は、集まって言い争うこと。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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