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憲問第十四 9 子曰爲命章

341(14-09)
子曰、爲命、裨諶草創之、世叔討論之、行人子羽脩飾之、東里子產潤色之。
いわく、めいつくるに、じんこれ草創そうそうし、せいしゅくこれ討論とうろんし、行人こうじん子羽しうこれ脩飾しゅうしょくし、とうさんこれ潤色じゅんしょくせり。
現代語訳
  • 先生 ――「外交文書は裨諶(ヒジン)が原稿をつくり、世叔(セイシュク)がそれを検討し、外交官の子羽(シウ)が文を練り、東里(地名)の子産が磨きをかけた。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「ていの国では外交文書を作るのにも、まずじんがだいたいの要項を立案し、せいしゅくじつをただし論理を合わせ、外交官子羽しうが文章を添削てんさく整理し、最後に東里のさんの手元でぶんしょくを加えて仕上げをする。さても念のったことかな。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ていの国では、外交文書を作成するには、じんが草稿をつくり、せいしゅくがその内容を検討し、外交官の子羽しうがその文章に筆を入れ、さらにとうさんがそれに最後の磨きをかけている」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 命 … 辞命。諸侯と応対する外交文書。公文書。
  • 裨諶 … 鄭の大夫。名は皮。
  • 之 … 四つとも「命」を指す。
  • 草創 … 草稿を作る。
  • 世叔 … 鄭の大夫。名は游吉ゆうきつ。子大叔ともいう。
  • 討論 … 典故を調べ、それを検討する。
  • 行人 … 官名。賓客や使者の接待を司る名。外交官。
  • 子羽 … 鄭の大夫。公孫揮ともいう。
  • 脩飾 … 添削する。
  • 東里 … 子産の住んでいる地名。場所は不明。
  • 子産 … ?~前522。ていの大夫。姓は公孫こうそん、名はきょうあざなは子産、また子美。孔子より一世代前の政治家。教養があり、優れた政治家であった。ウィキペディア【子産】参照。
  • 潤色 … 色つやを加え、文学的に美しく仕上げる。
補説
  • 『注疏』に「此の章は鄭国の大夫の善きをあとづくるなり」(此章迹鄭國大夫之善也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、為命、裨諶草創之 … 『集解』に引く孔安国の注に「裨諶は、鄭の大夫の名なり。野に謀れば則ち獲、国に謀れば則ち否らず。鄭国将に諸侯の事有らんとすれば、則ち車に乗らしめて以て野にき、而して謀りて盟会の辞を作らしむるなり」(裨諶、鄭大夫名也。謀於野則獲、謀於國則否。鄭國將有諸侯之事、則使乘車以適野、而謀作盟會之辭也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「為は、作るなり。命は、君命なり。此れ鄭国の事を謂うなり。盟会の書を作るなり。裨諶は、鄭国の大夫なり。性静かにして怯弱なり。謂えらく、其の君盟会の辞を作らしむれば、則ち草野の中に入りて、以て之を創り之を獲、と」(爲、作也。命、君命也。此謂鄭國之事也。作盟會之書也。裨諶、鄭國大夫。性静怯弱。謂其君作盟會之辭、則入於草野之中、以創之獲之)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「裨諶は、鄭の大夫なり。命は、政命・盟会の辞を謂うなり。言うこころは鄭国将に諸侯の事有らんとし、盟会・政命の辞を作るときは、則ち裨諶をして草野に適きて以て之を創制せしむ」(裨諶、鄭大夫也。命、謂政命盟會之辭也。言鄭國將有諸侯之事、作盟會政命之辭、則使裨諶適草野以創制之)とある。また『集注』に「裨諶以下の四人は、皆鄭の大夫。草は、略なり。創は、造なり。草藁そうこうを造為するを謂うなり」(裨諶以下四人、皆鄭大夫。草、略也。創、造也。謂造爲草藁也)とある。造為は、つくること。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『左伝』襄公三十一年に「裨諶は能くはかる。に謀れば則ちくにに謀れば則ちしからず」(裨諶能謀。謀於野則獲、謀於邑則否)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/襄公」参照。
  • 世叔討論之 … 『集解』に引く馬融の注に「世叔は、鄭の大夫游吉なり。討は、治なり。裨諶既に謀をし、世叔復た治めて之を論し、つまびらかにして之をあきらかにするなり」(世叔、鄭大夫游吉也。討、治也。裨諶既造謀、世叔復治而論之、詳而審之也)とある。また『義疏』に「世叔も亦た是れ鄭の大夫なり。討は、治なり。論とは、評なり。世叔は草創する能わざること有り。学問は才藻さいそう寡なし。盟会の辞、但だ能くじん造る所の辞を討論治正するのみ」(世叔亦是鄭大夫也。討、治也。論者、評也。世叔有不能草創。學問寡才藻。盟會之辭、但能討論治正諶所造之辭)とある。また『注疏』に「世叔は、即ち子大叔、鄭の大夫の游吉なり。討は、治なり。裨諶既に謀をし、世叔復た治めて之を論じ、詳らかにして之を審らかにするなり」(世叔、即子大叔、鄭大夫游吉也。討、治也。裨諶既造謀、世叔復治而論之、詳而審之也)とある。また『集注』に「世叔は、游吉なり。春秋伝は子太叔に作る。討は、尋ね究むなり。論は、講じ議するなり」(世叔、游吉也。春秋傳作子太叔。討、尋究也。論、講議也)とある。また『左伝』襄公三十一年に「子大叔は美秀にして文なり」(子大叔美秀而文)とある。
  • 行人子羽脩飾之 … 『集解』に引く馬融の注に「行人は、使をつかさどるの官なり。子羽は、公孫揮なり」(行人、掌使之官也。子羽、公孫揮也)とある。また『義疏』に「子羽も亦た鄭の大夫なり。行人は、是れ使を掌る者の官名なり。始め創る能わず。又た討治する能わず。能く前人の創治する者を取り、更に彫して之を修飾す」(子羽亦鄭大夫。行人、是掌使者官名也。不能始創。又不能討治。能取前人創治者、更彫修飾之)とある。また『注疏』に「行人は、使を掌るの官。子羽は、公孫揮、亦た鄭の大夫なり。世叔既に討論したるに、復た公孫揮をして之を修飾せしむるなり」(行人、掌使之官。子羽、公孫揮、亦鄭大夫也。世叔既討論、復令公孫揮脩飾之也)とある。また『集注』に「行人は、使をつかさどるの官。子羽は、公孫揮なり。脩飾は、之を増損するを謂う」(行人、掌使之官。子羽、公孫揮也。脩飾、謂增損之)とある。また『左伝』襄公三十一年に「公孫揮は能く四国のしわざを知る」(公孫揮能知四國之爲)とある。
  • 東里子産潤色之 … 『集解』に引く馬融の注に「子産は東里に居す。因りて以て号と為す。此の四賢をて成る。故に敗事有ることすくなきなり」(子產居東里。因以爲號。更此四賢而成。故鮮有敗事也)とある。また『義疏』に「鄭の東里に居す。因って氏と為す。姓又た公孫、僑は名。亦た国僑と曰う。字は子産。才学前の三賢に過超せり。周旋して会盟の辞に加添潤色するなり。此の四賢有りて過失有ること鮮し」(居鄭之東里。因爲氏。姓又公孫、僑名。亦曰國僑。字子產。才學過超前之三賢。加添潤色周旋會盟之辭也。有此四賢鮮有過失)とある。また『注疏』に「東里は、鄭の城中の里名なり。子産は東里に居り、因りて以て号と為す。修飾・潤色は皆増修して華美ならしむを謂うなり。既に此の四賢をて成る、故に敗事有ること鮮なきなり」(東里、鄭城中里名。子產居東里、因以爲號。脩飾潤色皆謂增脩使華美也。既更此四賢而成、故鮮有敗事也)とある。また『集注』に「東里は地名、子産の居る所なり。潤色は、加うるに文采を以てするを謂うなり」(東里地名、子産所居也。潤色、謂加以文采也)とある。
  • 『集注』に「鄭国の辞命をつくる、必ず此の四賢の手をて成る。詳審精密、各〻長ずる所を尽くす。是を以て諸侯に応対し、敗事有すことすくなし。孔子の此を言うは、蓋し之を善しとするなり」(鄭國之為辭命、必更此四賢之手而成。詳審精密、各盡所長。是以應對諸侯、鮮有敗事。孔子言此、蓋善之也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、古えの良相と称せし者は、専ら己の善を用いるに在らずして、能く人の善を用いるに在り。蓋し己の善は限り有りて、天下の善は窮まり無し。故に能く天下の善を用いて、而る後に能く天下の善を成すなり。按ずるに左伝に裨諶等の三人、皆子産の薦むる所にして、子産鄭国の政を執ること、四十余年、国兵を受けず、諸侯に応対して、敗事有ること無し。能く人の善を用いるの効に非ずや」(論曰、古之称良相者、不在專用己之善、而在能用人之善。蓋己之善有限、而天下之善無窮。故能用天下之善、而後能成天下之善也。按左傳裨諶等三人、皆子產之所薦、而子產執鄭國之政、四十餘年、國不受兵、應對諸侯、無有敗事。非能用人之善之效乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「脩飾・潤色、其の義同じからず。蓋し裨諶草を作り、世叔討論して未だ定まらず、子羽の手を経てのち定まり、ここに於いてかぶん成る。故に脩飾と曰う。子産の潤色は、乃ち文成るの後に在るなり。討論の二字、人或いは其の解を知らず、多く尋討とおもえり。古義に非ず。蓋し其の罪を声するを討と曰う。故に討論とは、其の非をばくするのいいなり」(脩飾潤色、其義不同。葢裨諶作草、世叔討論而未定、經子羽之手後定。於是乎文成矣。故曰脩飾。子產之潤色、乃在文成之後也。討論二字、人或不知其解、多謂尋討也。非古義矣。葢聲其罪曰討。故討論者、駁其非之謂也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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