衛霊公第十五 28 子曰人能弘道章
407(15-28)
子曰、人能弘道。非道弘人。
子曰、人能弘道。非道弘人。
子曰く、人能く道を弘む。道の人を弘むるに非ず。
現代語訳
- 先生 ――「人が道をひろめるんで、道が人をひろめるんじゃない。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「道はもちろん人を待って存するものではないけれども、人を待って拡大強化されるものじゃ。すなわち人が道をひろめるもので、道が人をひろめるものではないから、人たる者は道を弘めんがために立志努力すべきである。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「人が道を大きくするのであって、道が人を大きくするのではない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 道 … 人の道。道徳。
- 弘 … 広げて大きくすること。
- 弘道 … 水戸藩の藩校「弘道館」の名は、ここから出ている。ウィキペディア【弘道館】参照。
補説
- 『注疏』に「此の章は道を論ずるなり」(此章論道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 人能弘道。非道弘人 … 『集解』に引く王粛の注に「材の大なる者には道も随いて大なり、材の小なる者には道も随いて小なり。故に人を弘むること能わざるなり」(材大者道隨大、材小者道隨小。故不能弘人也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「道とは、物に通ずるの妙なり。物に通ずるの法は、本と通ず可きに通じ、通ず可からざるに通ぜず。若し人才大なれば、則ち道之に随いて大なり。是れ人能く道を弘むるなり。若し人才小なれば、則ち道小なり。大ならしむる能わず。是れ道人を弘むるに非ざるなり」(道者、通物之妙也。通物之法、本通於可通、不通於不可通。若人才大、則道隨之而大。是人能弘道也。若人才小、則道小。不能使大。是非道弘人也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「弘は、大なり。道とは、物に通ずるの名なり。虚無にして妙用、須臾も離る可からず。但だ仁者は之を見て之を仁と謂い、知者は之を見て之を知と謂う。是れ人才の大なる者は、道も之に随いて大なり。故に人能く道を弘むと曰う。百姓は則ち日〻に用いて知らず。是れ人才の小なる者は、道も亦た小に随いて、道は其の人を大にすること能わざるなり。故に道人を弘むるに非ずと曰う」(弘、大也。道者、通物之名。虚無妙用、不可須臾離。但仁者見之謂之仁、知者見之謂之知。是人才大者、道隨之大也。故曰人能弘道。百姓則日用而不知。是人才小者、道亦隨小、而道不能大其人也。故曰非道弘人)とある。また『集注』に「弘は、廓して之を大いにするなり。人の外に道無く、道の外に人無し。然れども人心に覚有りて、道体為すこと無し。故に人能く其の道を大いにし、道其の人を大いにすること能わざるなり」(弘、廓而大之也。人外無道、道外無人。然人心有覺、而道體無爲。故人能大其道、道不能大其人也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 非道弘人 … 『義疏』では「非道弘人也」に作る。
- 『集注』に引く張載の注に「心は能く性を尽くし、人は能く道を弘むるなり。性は其の心を検することを知らず、道の人を弘むるに非ざるなり」(心能盡性、人能弘道也。性不知檢其心、非道弘人也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ聖人専ら成るを人に責むるなり。蓋し道は大なりと雖も為すこと無し。人は小なりと雖も知ること有り。苟くも学を力め徳を修むれば、則ち各〻其の才に随いて、聖と為り賢と為りて、文章徳業、以て天下に被覆するに足るなり」(此聖人專責成於人也。蓋道雖大而無爲。人雖小而有知。苟力學修德、則各隨其才、爲聖爲賢、而文章德業、足以被覆於天下也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「道とは先王の道なり。道は虚しくは行われず。必ず人に存す。孔子の云うこと爾る所以の者は、徒だ道を守りて則ち已む容からず、必ず当に之を盛大にすべし。故に道人を弘むるに非ずと曰う。朱註は道体を以て言い、性を以て言い、及び人外に道無く、道外に人無しと。皆道・徳を混じて之を一つにす。古義に非ず。王粛曰く、才大なる者は道随って大、才小なる者は道随って小、故に人を弘むること能わず、と。善く古意を得たりと謂う可し。言うこころは伝うる所の者は同じく先王の道たれども、子思は孔子に及ばず、孟子は子思に及ばず、是れ道の汚隆は、人の為す所なり、道を伝うる者皆能く盛大を極むるには非ずと」(道者先王之道也。道不虚行。必存乎人。孔子所以云爾者、不容徒守道則已、必當盛大之。故曰非道弘人。朱註以道體言、以性言、及人外無道、道外無人。皆混道德一之。非古義矣。王肅曰、才大者道隨大、才小者道隨小、故不能弘人。可謂善得古意。言所傳者同爲先王之道、而子思不及孔子、孟子不及子思、是道之汚隆、人之所爲也、非傳道者皆能極盛大焉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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