衛霊公第十五 19 子曰君子疾没世而名不稱焉章
398(15-19)
子曰、君子疾沒世而名不稱焉。
子曰、君子疾沒世而名不稱焉。
子曰く、君子は世を没するまで名の称せられざるを疾む。
現代語訳
- 先生 ――「人物は、死んでから名を残さないのをおそれる。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「君子たる者、この世を去るまで名が聞こえないようでは困る。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「君子といえども、死後になっても自分の名がたたえられないのは苦痛である」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 没世 … 「世を没う」とも読む。生涯を終える。死ぬまで。終身。
- 名不称 … 自分の名が世に讃えられない。世間の評判にならない。
- 疾 … 「疾む」とも読む。悪む。嫌う。恥じる。
補説
- 『注疏』に「此の章は人に徳を脩むるを勧むるなり」(此章勸人脩德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 君子疾没世而名不称焉 … 『集解』の何晏の注に「疾は、猶お病のごときなり」(疾、猶病也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「世を没すは、身没して以後を謂うなり。身没して名誉称揚せられて人の知る所と為らず、是れ君子の疾む所なり。故に江熙云う、匠、年を終うるまで斧を運かすも、器を成すこと能わず。匠者之を病む。君子は年を終うるまで善を為すも、名を成すこと能わず。亦た君子之を病むなり、と」(没世、謂身没以後也。身没而名譽不稱揚爲人所知、是君子所疾也。故江熙云、匠終年運斧、不能成器。匠者病之。君子終年爲善、不能成名。亦君子病之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「疾は、猶お病のごときなり。言うこころは君子は其の世を終えて善名の称せられざるを病うるなり」(疾、猶病也。言君子病其終世而善名不稱也)とある。また『集注』に引く范祖禹の注に「君子の学は以て己の為にし、人に知らるることを求めず。然れども世を没するまで名の称せられざれば、則ち善を為すの実無きこと知る可し」(君子學以爲己、不求人知。然沒世而名不稱焉、則無爲善之實可知矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ人の時に及びて進修せんことを勉むるなり。張氏栻曰く、是の実有れば、則ち是の名有り。名とは其の実に命ずる所以なり。其の身を終うるまで、実の名づく可き無きは、君子之を疾む。其の名無きを疾むに非ざるなり、其の実無きを疾むなり、と」(此勉人及時進修也。張氏栻曰、有是實、則有是名。名者所以命其實也。終其身、而無實之可名、君子疾之。非疾其無名也、疾其無實也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「世を没うは、身を終うなり。荀子曰く、世を末え年を窮む、と。世を末うは即ち世を没うなり。孔子又た曰く、四十五十にして聞こゆること無きは、斯れ亦た畏るるに足らざるのみとは、後生を主として以て之を言う。然れども大器は晩成す、人の資質も亦た品多し。又た少壮に放逸し中年に至りて悔悟する者も有り。故に孔子亦た此の言有るのみ」(沒世、終身也。荀子曰、末世窮年。末世即沒世也。孔子又曰、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已、主後生以言之。然大器晩成、人之資質亦多品。又有少壯放逸至中年悔悟者。故孔子亦有此言耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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