衛霊公第十五 18 子曰君子病無能焉章
397(15-18)
子曰、君子病無能焉。不病人之不己知也。
子曰、君子病無能焉。不病人之不己知也。
子曰く、君子は能無きことを病う。人の己を知らざることを病えざるなり。
現代語訳
- 先生 ――「人物は自分の無能なことは苦にしても、人からみとめてもらえないことは苦にしないものだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「君子たるべき者は、自分に才能のないことを心配して、学を修め徳に進まんことを思うが、人が自分を知らないことを心配しない。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「君子は自分に能力のないのを苦にする。しかし、人が自分を知ってくれないのを苦にしないものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『集注』には、この章の注なし。
- 『注疏』に「此の章は人の己を脩むるを戒むるなり」(此章戒人脩己也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 君子病無能焉。不病人之不己知也 … 『集解』に引く包咸の注に「君子の人は但だ聖人の道無きを病うのみ。人の己を知らざるを病えず」(君子之人但病無聖人之道。不病人之不知己)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「病は、猶お患のごときなり。君子の人は常に己の才能無きを患うるのみ。己才能有れども、人之を知るを見ざるを患えざるなり」(病、猶患也。君子之人常患己無才能耳。不患己有才能、而人不見知之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「病は猶お患のごときなり。言うこころは君子の人は、但だ己に聖人の道無きを患うるのみにて、人の己を知らざるを患えざるなり」(病猶患也。言君子之人、但患己無聖人之道、不患人之不知己也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ夫子の家法、学者の当に務むべき所なり」(此夫子之家法、學者之所當務也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「能は才能を謂うなり。……是れ人を官にするは能を以てす。古えの道なり。学んで以て徳を成せば、各〻其の能有り。仕えて其の義を行う所以なり。道学先生の徒、其の意多く徳を貴びて能を賤しみ、人人聖人と為らんことを欲す。豈に是の理有らんや」(能謂才能也。……是官人以能。古之道也。學以成德、各有其能。所以仕而行其義也。道學先生之徒、其意多貴德而賤能、欲人人爲聖人。豈有是理)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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