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子罕第九 22 子曰後生可畏章

227(09-22)
子曰、後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已。
いわく、後生こうせいおそるべし。いずくんぞ来者らいしゃいまかざるをらんや。じゅうじゅうにしてきこゆることくんば、おそるるにらざるのみ。
現代語訳
  • 先生 ――「若い者はこわい。どうして未来がわれわれ以下だといえよう。四十五十になっても知られないようなら、それはもうこわくないがね。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「若い者はおそろしい。明日の後進が今日の先輩せんぱいに及ばぬとどうして言い切れようぞ。しかし四十歳五十歳にもなって善行有能の名が聞こえぬようでは、おそるるに足らない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「後輩をばかにしてはならない。彼等の将来がわれわれの現在に及ばないと誰がいい得よう。だが、四十歳にも五十歳にもなって注目をひくに足りないようでは、おそるるに足りない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 後生 … あとから生まれた人。後輩。青年。宮崎市定は「後生は單なる若者ではない。先生に對する後生であって、學問に從事する後輩であろう」と注釈している(『論語の新研究』255頁)。
  • 可畏 … 畏敬すべきである。ここでの「可」は認定・許可・評価の意で「~にあたいする」「~してもよい」と訳す。
  • 焉知 … どうして分かろうか(いや分かるものではない)。「焉~也」は「いずくんぞ~や」と読む。反語。
  • 来者 … 未来の人間。「後生」に同じ。
  • 不如 … ~に及ばない。~に劣る。
  • 今 … 現在の人間。今のわれわれ(孔子を含む)。
  • 四十五十 … 「陽貨第十七26」には「とし四十にしてにくまる、其れ終らんのみ」(年四十而見惡焉、其終也已)とある。
  • 無聞 … 名声が聞こえてこない。
  • 焉 … 句末・文末に「焉」が置かれた場合は訓読しない。断定の気持ちを示す助詞。
  • 亦 … これはまあ。
  • 不足畏 … 畏敬する値打ちがない。
  • 也已 … 「のみ」と読む。
補説
  • 後生可畏 … 『集解』の何晏の注に「後生は、年少を謂うなり」(後生、謂年少也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「後生は、年少にして己に在りて後に生まるる者を謂うなり。畏る可しは、才学有りて心服す可き者を謂うなり」(後生、謂年少在己後生者也。可畏、謂有才學可心服者也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 可畏 … 『義疏』では「可畏也」に作る。
  • 焉知来者之不如今也 … 『義疏』に「焉は、安なり。来者は、未来の事なり。今は、我今の師徒を謂うなり。後生既に畏る可し。亦たいずくんぞ未来の人、師徒教化の我の今日に如かざるを知らんや。う可からざるを曰うなり」(焉、安也。來者、未來事也。今、謂我今師徒也。後生既可畏。亦安知未來之人、師徒教化不如我之今日乎。曰不可誣也)とある。また『注疏』に「言うこころは年少の人、以て学を積み徳を成すに足る。誠に畏る可きなり。いずくんぞ将来の者の道徳、我が今日に如かざるを知らんや」(言年少之人、足以積學成德。誠可畏也。安知將來者之道德不如我今日也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已 … 『義疏』に「又た言う、後生畏る可しと雖も、若し年四十五十にして世に声誉聞達無き者は、則ち此の人も亦た畏る可きに足らざるなり。孫綽曰く、年知命に在るも、蔑然として聞こゆる無くんば、畏るるに足らざるなり、と」(又言、後生雖可畏、若年四十五十而無聲譽聞達於世者、則此人亦不足可畏也。孫綽曰、年在知命、蔑然無聞、不足畏也)とある。
  • 也已 … 『義疏』では「也已矣」に作る。
  • 『集注』に「孔子言う、後生は年富み力つよし。以て学を積みて待つこと有るに足る。其の勢い畏る可し。安んぞ其の将来、我の今日に如かざるを知らんや。然れども或いは自ら勉むること能わず、老に至りて聞こゆること無きは、則ち畏るるに足らず。此を言いて以て人をいましめ、時に及びて学に勉めしむるなり。曾子曰く、五十にして善を以て聞こえざれば、則ち聞こえず、と。蓋し此の意を述ぶ」(孔子言、後生年富力彊。足以積學而有待。其勢可畏。安知其將來不如我之今日乎。然或不能自勉、至於老而無聞、則不足畏矣。言此以警人、使及時勉學也。曾子曰、五十而不以善聞、則不聞矣。蓋述此意)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「わかくして勉めず、老いて聞こゆること無きは、則ち亦た已む。少きよりして進む者は、安んぞ其の極に至らざるを知らんや。是れ畏る可きなり」(少而不勉、老而無聞、則亦已矣。自少而進者、安知其不至於極乎。是可畏也)とある。
  • 鄭玄の注に「後生は幼稚なるを謂う。顔淵をすなり。畏る可しとは、其の才の美にして人を服するを言うなり。孟子曰く、吾が先子の畏るる所なり、と。是の時顔淵死せり。故に発言す、何ぞ来世将にかくのごとき人無きを知らんや」(後生謂幼稚。斥顏淵也。可畏者、言其才美服人也。孟子曰、吾先子之所畏。是時顏淵死矣。故發言、何知來世將無此人)とある(金谷治編『唐抄本鄭氏注論語集成』269頁)。宮崎市定はこれを批判し、「この章もまた一般的な眞理として、新進の後學に囑望すべきことを說いたものとして同感できる。それを又もや顏淵ひとりに獨占されたのでは讀む人に何の共鳴もわかない」と言っている(『論語の新研究』54頁)。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ人年富み力強きの間にあたって、当につとき夜にねて、惕厲てきれい勤勉し、以て其の徳を成すがごときを戒むるなり。いやしくも歳月を悠悠し、老大に至らば、則ち徒らに自ら悔いて、及ぶ可からず。故に学を為す者、苟くも時に及びて勤めざれば、則ち猶お草木の発生の時に当たりて、潅培の功を闕くがごとし。未だにわかに枯槁せずと雖も、然れども幹痩せ枝かしけて、終にちょうすること能わず。此れ学者の当に深く慮るべき所なり」(此戒人方年富力強之間、當夙興夜寐、惕厲勤勉、以成其德也。苟悠悠歳月、至於老大、則徒自悔焉、而不可及。故爲學者、苟不及時而勤、則猶草木當發生之時、而闕灌培之功。雖未遽枯槁、然幹痩枝瘁、終不能暢茂焉。此學者之所當深慮也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「四十を強と曰う、つかう(禮記、曲禮上)。五十にしてしゃくす(禮記、内則)。故に四十・五十は、徳立ち名あらわるるの時なり」(四十曰強、仕。五十而爵。故四十五十、德立名彰之時也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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